ミスチル「HANABI」は「花火」と「離日」2つの意味がある?
こんにちは!YouTuberの金やんです。
今回はカバーさせて頂いたMr.Children「HANABI」の歌詞について書かせてもらいます。
ファンの中では、「HANABI」には「花火」と「離日(離れる日)」の二つの意味が込められているというのが通説になっているようです。
桜井さんが明言されているわけではありませんが、歌詞に登場する「君」は「亡くなってしまった大切な人」という解釈をされる方が多い印象。
ご本人が飼っていた「金魚」から歌詞の着想を得て、「別れ」をテーマに書かれたというこの曲にその意味を当てはめて解釈していきたいと思います。
「HANABI」の基本情報
「HANABI」は、2008年9月3日にリリースされたMr.Childrenの33枚目のシングルで、ドラマ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』の主題歌として起用されました。
コード・ブルーはシーズン3まで放映され、劇場版も制作された大ヒットドラマで、全ての主題歌に使われています。
プロデューサーの増本淳さん曰く「『HANABI』という曲は『コード・ブルー』に欠かすことのできない登場人物の一人」だそうで、その物語に必要不可欠な要素として考えられていたようです。
この「HANABI」で「innocent world」から29作連続初登場1位を達成したという、異次元の記録を持つバンドがMr.Childrenでございます。
曲が出来上がった経緯
実はコードブルーの主題歌の話をもらった後、それ用のもうちょっとポップな曲を書いてレコーディングまで済ませていたそうです。
でも気がつけば、メロディーが他の曲のイントロと全く同じだった部分があって、ポシャってしまったと。
その後、桜井さんがアコギの練習として好きなアーティストの曲を弾いていた時に、お蔵入りになっていた曲を思い出して弾いていると、「HANABI」のイントロが出来上がったんだとか。
それを叩き台にして、現在の完成形に漕ぎ着けたということみたいです。
歌詞が出来上がった経緯
これもファンの間では有名な話ですが、ライブのMCで飼っているペットの話題に触れたそうです。
様々なペットを飼っていて、休日はそのお世話をするのがお決まりの過ごし方。
そんな中で、「金魚」の水槽の水の替え方を間違っていたので、どんどん金魚が弱っていって、死んでしまったんだとか。
その時にペットショップに聞いてみると、「水は絶えず動かして新鮮な空気を取り込んでおかないと腐ってしまう」とアドバイスを受けた。
その言葉が桜井さんの琴線に触れ、歌詞のアイデアへと繋がったと語られました。
「水」と「人の心」を重ね合わせ、「滞っていると淀んで濁ってしまう。楽しんだり悲しんだり、常に心を揺り動かすことで澄んだ心になっていくんじゃないか」と考えたということなんですね。
この辺りの閃きは、日常にアンテナを張り巡らせて過ごしている桜井さんだからこそ為せることでしょう。
この出来事が歌詞の内容にそのまま反映されている部分があります。
そして、桜井さんはこの曲で伝えたかったことに関してのインタビューで、「みんな問題を抱えてるんだってことだと思うんですけどね…。伝えたかったことは音楽の中にあるので、それだけで十分だった気もします。」と語っています。
問題を抱えてるのは桜井さん自身も同じなんだということだと思いますし、それが日常の中で起きた金魚にまつわる出来事と結びついて、歌詞へと昇華されていった。
それに加えて、主題歌の依頼を受けてから作っていることを考えると、おそらくドラマの脚本を読まれてから書かれているので、医療ドラマである「コード・ブルー」の世界観ともしっかりリンクしているんですよね。
ドラマの内容に完全に寄っているわけでもなく、曲単体で聞いた時にも多くの人が共感できる歌詞になっていることが桜井さんの作詞能力の凄さだと思います。
「花火」の持つ意味
打ち上げ花火は江戸時代の1733年に隅田川で行われた水神祭が起源だと言われているそうです。
飢饉や疫病の流行によって多くの死者が出ていた当時、慰霊・悪疫退散の願いを込めて祭りが行われ、打ち上げ花火が上げられた。
それが華やかさを好む江戸の人々に受け入れられて、多くの花火師が出現し、全国的に広がっていくことになります。
そして日本の蒸し暑い気候によって、夜風にあたりながら花火を眺めるという夕涼みの文化として根付いたということみたいなんですね。
この元々「打ち上げ花火」が持つ「死者を弔う」という意味は、金魚の話や冒頭で触れた「離日」に繋がっていきます。
まったく桜井さんはどこまで考えて作詞をされているんでしょうか…。
ちなみに、「コード・ブルー」が始まったのは2008年7月、「夏」です。
おいおい完璧かよ…w
「HANABI」の歌詞の解釈
ここからは歌詞を上記の情報を元にして読んでいきます。
1番Aメロ
冒頭で歌詞中に登場する「君」が「亡くした大切な人」と捉える人が多いと書きましたが、それを念頭に置くと、
「君」がいない世界に意味を見出せないでいる「僕」という像が思い浮かびます。
ドラマに照らし合わせてみると、日々救急救命という仕事に忙殺されて自分のことは何もできないまま過ごしていると、何のためにこの仕事をしているのか?という疑問に駆られることもありそうです。
そして、それは桜井さんでもそうでしょうし、一般的な仕事をしている人たちにも当てはまります。
疲れてる時に、「私、何してんだろ…」と思うような人は少なくないんじゃないでしょうか。
何かを手に入れるためには、何かを捨てなければならない。
とはよく言いますけど、自分が選ばなかった道を俯瞰して見ると、今の自分にはないものを手に入れられていたということは往々にしてあります。
スーパースターになった桜井さんが切り捨てたもの、救急救命の仕事をしているが故に切り捨てたもの、僕たちが生きてきた中で切り捨てたもの。
考えればキリがありませんし、そんな無い物ねだりをしながら過ごしてはいけませんよね。
1番Bメロ
そんな中で生きていくためには、希望を持っていなければならない。
けれども、どんなものを思い描けばいいのか?
その答えは数学の問題のように答えが用意されているわけでもありません。
そして追われる日常の中に、そんな考えは葬り去られていってしまいます。
ここの表現は「弔い」の意味を持つ「花火」に掛けられているとも取れるかと思います。
1番Aメロ'
ここで初めて「君」が出てきますが、「いたら」という言葉遣いがされているということは「いない」ということになります。
別れてしまって会えなくなった人と捉えてもそうですが、亡くなっていると解釈するのであれば、胸を締め付けられるほど切ない歌詞ですよね。
大好きだった笑顔に触れたいけど、もう触れられない。
くよくよ悩んでいる「僕」を笑い飛ばしてくれる存在がいたらどんなに気持ちが楽になるでしょう。
誰もが心のどこかでそんな存在を求めているんじゃないでしょうか。
1番サビ
この部分の「光」は「君」と捉えてもいいと思いますし、「希望や理想」と考えてもいいかもしれません。
「もう一回」と4回繰り返すこの部分は非常に印象的で、ライブでも人差し指を立てて振りかざす大勢の観客が圧巻ですよね。
捕まえられないとわかっていても、捕まえようと手を伸ばしたい。
それほど「君」を愛している。
もしくは、それほど叶えたい想いがあるということです。
そして、桜井さんが語った「みんな問題を抱えてる」という言葉に重なる「誰も皆 悲しみを抱えてる」というフレーズが出てきますね。
人生は楽しいことばかりではないですし、否応なく苦しく悲しいことは襲ってきてしまう。
それでも、僕らは素敵な明日があると信じて生きている。
これは多くの人が共感できる部分ではないかと思います。
全てが完璧で思い通りにいっている人なんていないでしょうし、問題を抱えながらも、明るい明日を求めているんですよね。
おじけづいてネガティブなもので覆われたように見える世界の中で、どれだけ前向きに生きていけるんだろうか?
疑問符で終わっているところに、桜井さんの答えを押し付けない歌詞の優しさがあるように思えます。
2番Aメロ
不器用な自分が嫌いだけれど、器用な自分はもっと嫌い。
一見相反するようにも見えますが、器用に振る舞っているくらいなら、不器用な自分でいたいということのように感じます。
ドラマでは上司に不器用にぶつかる場面が描かれていたりしますが、現実世界で上司の言いなりになって器用にそつなくこなしている自分に、より嫌悪感を感じるという人もいることでしょう。
社会の中で生活していると処世術のようなものを身につけてしまいますけど、本当の自分は不器用な方にあるのかもしれません。
2番Bメロ
どんなことを考えてどんな過ごし方をしていても、時間の流れは止められません。
ここで未来を擬人化して、未来から僕らは呼ばれていると表現しています。
そして「君」にもそれが聞こえてる?と問いかけています。
今はいない「君」と過ごしたかった未来から呼ばれる声が、聞こえていて欲しいという願いにも思えますね。
2番サビ
ここで最初に紹介した「離日(離れる日)」と繋がる部分が出てきます。
「死者を弔う」意味を持つ「花火」と掛け合わせた作詞は脱帽ものです。
「さよならが迎えに来る」→「死」と捉えると、もし出会った時から「君」を亡くしてしまうとわかっていても出会って、何度でも会いたいと思えるほど強い想いを持っている。
この部分を読むともう亡くなってしまっている相手に向けて語りかけているという解釈は当てはまりますね。
もちろん亡くなっていない、もう会えなくなってしまった大切な人と捉えても意味は通ります。
出会えたことで世界が輝いて見えるほど、自分の価値観を変えられたような「君」に「ありがとう」と感謝を伝えたい気持ちでいる。
「コード・ブルー」は生死を扱うテーマなので、患者の死に遭遇する場面もありますし、命の儚さを目の当たりにすることによって、死生感が変わったという経験をした人は少なくないと思います。
そんな時に湧き上がってくる感情はこの「僕」のように「感謝」なのでしょう。
Cメロ
ここで「金魚」の話にリンクする歌詞が登場します。
循環させると澄んでいく水のように、心も揺れ動いていくことで透き通っていくのではないかという桜井さんの解釈。
「あれたら」と言っているので、心に淀みがあることを認めているし、常にそういった意識でいることの難しさも物語っているようにも感じます。
ついつい凝り固まった考え方をしていたり、心が動かないような繰り返しの日々を過ごしていたりする。
そんな時はこの言葉を思い出すと、滞って淀んでしまった心も少しずつ澄んでいくかもしれませんね。
ラスサビ
最初の「〜なったときの分まで」と書かれている部分は、これから先に起こるかもしれないことを示唆しています。
つまり、未来へ向けて進もうとしていて、不安を拭うために何度も何度も「君」を心に焼き付けようとしている。
そして、問題を抱えながらも素敵な明日へ向けて歩みを進めていこうという決意が感じられます。
最後に「もう一回」とさらに重ねられて、高音でのロングトーンで締められるので、よりその想いが乗っかっていてエモいですよね。
ドラマでは何度も何度も苦境に立たされては乗り越えて…という繰り返しの日々を戦う若者たちが描かれています。
現実に日常で苦しく悲しい想いを背負いながら、一生懸命に生きている人もたくさんいます。
桜井さん自身も問題を抱えていて、日々迷い悩み葛藤しながら生きているんでしょう。
それは誰だって同じで、それでも素敵な明日を思い描きながら、もう一回もう一回と光に手を伸ばしている。
だからこそ、そんな問題を抱える多くの人々の心に響く曲になっているんじゃないでしょうか。
まとめ
全体的にネガティブな部分が多いようにも受け取れますけど、サビにはポジティブに未来へと向かう要素が詰め込まれています。
「君」という言葉が使われてる歌詞なので恋愛ソングに受け取られがちですが、対象は家族であれ友人であれペットであれ、大切なものを思い浮かべて自分の状況に置き換えながら聴くといいと思います。
捉え方は自由ですし、単純に問題を抱えていて上手くいかない状況にいるとしたら、「もう一回頑張ってみようよ」と励ましてもらっているように受け取ってもいいわけです。
ちょっとした疑問なんですけど、インタビューでは「みんな問題を抱えてる」と言っていましたが、1番で「悲しみ」とした理由はあるんでしょうか。
最後のサビでは「問題」になっているのが少し引っかかったんですよね。
もしかすると桜井さんの歌詞の作り方として、1番は広い層に受け入れられやすいように書くというセオリーがあるので耳馴染みを重視されたのかもしれません。
そして最後に本当に言いたかった言葉を持ってきた…とか。(完全なる推測ですw)
何はともあれ、サラッと読んでも深読みしてもいい歌詞すぎて、桜井さんの作詞センスの恐ろしさを見せつけられました。。
絶妙に抽象的な言葉遣いで書かれていることで、様々な捉え方ができるような作りになっているのがサクライズムなんですよね〜。
う〜凄すぎて参考にできるレベル超えてるぜこれはw
あとは、曲の作りも珍しいんですよ。
1番はA→B→A'→サビで、2番A→B→サビという構成になってるっていう。
そして、Cメロもあってドラマチック展開をするので、テンポはそれほど遅くないのに5分半くらいある大作になってます。
余談ですが、「HANABI」のジャケットを担当された森本千絵さんの話。
歌詞を読んで、「普通は空を見上げて見るもの。でも前向きだけじゃない、後ろ向きにみる花火だってある、下を向いても花火がある」と感じたそうで、そこからイメージを膨らましたんだとか。
確かにこの曲って、「花火」が彼女と見た思い出の花火みたいなポジティブなものとしては描かれてはいなくて、儚く散ってしまうものの象徴のような感じですよね。
結果的に「氷の中の花火」「水たまりの中に映る花火」をジャケット候補案として出して、メンバーに採用されたということなんです。
いや〜、固定観念に縛られない素敵な歌詞の解釈をされる方だなぁ〜。
今回も勉強させてもらいました!ありがとうございました!
それでは、また!
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