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[歌詞徹底考察]米津玄師「Azalea」ドラマに繋がる伏線と深すぎる意味に感動…!

米津玄師さんの「Azalea」の歌詞の意味がわからないというあなた。
一度これを最後まで読んでみてください。

調べても部分的な解釈しか書いていない記事が多いので、知りたいところが知れないと思っている方もいるんじゃないかと思います。

ということで、歌詞を全て丁寧に一文ずつ読み解いて考察してみます。
すごいとはわかっていても、改めて米津玄師さんの才覚に感動するはずです。

歌詞徹底考察

NETFLIXシリーズ「さよならのつづき」より

11月14日に世界配信されたNetflixシリーズ「さよならのつづき」の主題歌として米津玄師さんが書き下ろした「Azalea」。

米津さんは作品を見てから着想を得て、ドラマにリンクさせるように歌詞を書かれたそうなので、歌詞単体で見ると読み解けない部分があります。
そのため、ドラマの内容のネタバレを含む形で書いていきながら考察するので、ご理解の上読み進めてください。

また、歌詞考察は正解がないので、一つの解釈として捉えてもらうようお願いいたします。

YouTubeチャンネルでは歌詞だけでなく、楽曲を絡めてドラマ、歌詞、メロディー、アレンジ全てがリンクしているという解説を投稿しているので、そちらも合わせてご覧くださいませ。

それではいきましょう。

1番

“咲いてた ほら 残してった挿し木の花 あの時のままだ
私は ただ あの時と同じように 君の頬を撫でた”

Azalea / 米津玄師

「挿し木の花」とは「アザレア」のことで、動画で説明した通り、植物の茎や葉、枝、根などの一部を採取して、植えて育てることで苗木を増やす繁殖方法です。
挿し木で育った株は、親株と同じ性質を持つ株(クローン)となります。
その概念をドラマの心臓移植による記憶転移と重ね合わせている

この比喩については米津さん自身がインタビューで明言されています。

「さよならのつづき」は、ヒロイン・さえ子が婚約者・雄介を事故で亡くし、その心臓が移植された男性・成瀬が、記憶転移により雄介の生前の記憶や特徴を受け継ぐことになるというストーリー。
さえ子はそんな成瀬と互いに惹かれ合って行きます。

過去にアザレアを挿し木した時に君の頬を撫でた。
そして、そのアザレアが変わらず咲いているのを見て、同じように頬を撫でる。
という様子が書かれています。

頬を撫でるというのは大切な人にしかやらないような行為ですよね。
過去を思い出しているような語り口で、時間が経過しても君への思いが変わらないことを示唆しているようです。

“ずっと側にいてって 手に触れてって 言ったよね 君が困り果てるくらいに
誰も知らぬプルートゥ 夜明けのブルーム 仄かに香るシトラス
二人だけ 鼻歌がリンクしていく”

Azalea / 米津玄師

付き合っている当時、君が困り果てるくらいに気持ちを確認していた様子が伺えます。
君に対する執着を感じる部分で、思いの大きさが表現されています。

続いての「プルートゥ」については「冥王星」のことであると動画で説明をしました。
冥王星はで太陽系の中で最も小さく(月よりも小さい)、地球から遠くに位置しているので望遠鏡でもぼんやりとしか見えません。
現在は太陽系から外されています。

これが二人のことを表しているとすると、どう解釈できるのか。

ドラマでは二人の男女がクローズアップして描かれていますが、広い視点で見るとどこにでもいるようなありふれたカップルです。
私たちも同じで、常に自分中心の目線で世界を見ていますが、俯瞰するととても小さい存在ですよね。
そういった意味で、宇宙の片隅にいるような誰にも知られない二人を表しているのかと思います。

次の「夜明けのブルーム」は捉え方が難しいですね。
「ブルーム(bloom)」という単語は「花が開く」というような意味を持ちますが、ここでは「ブルーム効果」を表していると考えてみます。
「ブルーム効果」とは、カメラや映像編集において、非常に明るい光源が周囲にぼやけた光の環を作り出す現象をシミュレートする技術です。
つまり、夜明けの太陽の周りに現れる、虹のような光の環(ハロ)を表現しているのではないかと。

という感じで解釈していくと、
宇宙の片隅にいる誰にも知られないような二人は、共に迎える美しい朝日があったり、思い出のシトラスの香りがあったり、同じタイミングで好きな歌の鼻歌を歌い出したりする。

そんなありふれた二人の日常が思い浮かびました。
こちらも大好きだった君との思い出を思い返しているようなイメージでしょうか。

全体を通して至る所で韻が踏まれているのもこの曲の特徴ですが、Bセクションは特にキャッチーなワードと小気味良い押韻で難解な歌詞なのにスルッと頭に入ってくる印象的な部分です。

“せーので黙って何もしないでいてみない?
今時が止まって見えるくらい
君がどこか変わってしまっても
ずっと私は 君が好きだった
君はアザレア”

Azalea / 米津玄師

この部分が唯一曲中で繰り返されるメロディーと歌詞になるのでサビであり、動画で解説したようにメインテーマと考えられます。

あなたは好きな人といる時にどんなことをしますか?
お出かけをしたり、ご飯を食べたり、映画を観たり、楽しくお話ししたり、体を重ねたり。
パートナーといる時には何かしらを一緒にするということが一般的な感覚ではないかと思います。

しかし、ここではその逆で「黙って何もしないでいてみない?」と提案している。
そこにどういった意味があるのか。

次に続いている歌詞は「時が止まって見えるくらい」となっています。
誰もが認識しているように時間は止まることはありませんし、見えることもありません。

でも、二人でいる時に、黙ったまま動きを止めて何もしないでいるとどうでしょうか。
目に見える世界では何も変化が起きないので、時が止まったような感覚になるかもしれません。

「このまま時が止まればいいのに」という言葉はよく目にすると思いますが、つまりはそういうことではないかと。
あり得ないとわかっているけれど、このまま時が止まってほしいと願うくらいに君のことを思っているということ。

米津さんにかかれば使い古されたフレーズもこんなにオシャレな表現に早変わりしてしまいます。

しかし、時が止まることはないわけで。
だからこそ、「君がどこか変わってしまっても ずっと私は 君が好きだった」という次の歌詞が輝きます。

時が経っても変わらないものはない。
それならば、変わっていく君を受け入れて、それでも好きでい続けるという愛情の深さが感じられます。

そして、「君はアザレア」。
冒頭で「挿し木の花」の説明をしましたが、ここは花言葉を当てはめていいのではないかと思います。

「アザレア」とは「つつじ」のことで、全体の花言葉は「節制」「禁酒」「恋の喜び」

さらに花の色ごとに花言葉を持っていて、
赤…「節制」「節度の愛」
白…「あなたに愛されて幸せ」「充足」
ピンク…「青春の喜び」

となっています。

ドラマのストーリーを考えるとどれも関わってきそうなワードかと思いました。
婚約者の雄介と過ごした時間は青春だっただろうし、プロポーズされて愛される充足感があっただろうし、あなたに愛されて幸せだったという思いは変わらないだろうし、その後惹かれてしまう既婚者の成瀬には節度を持って接さなければならない。

ここでは雄介のことを表していると思うので、「恋の喜び」であり、「青春の喜び」であり、「あなたに愛されて幸せ」でもある

1番は雄介に対しての思いが綴られているようですが、解釈が限定されないよう、ドラマの内容というよりは広い意味で捉えられるように書かれている印象です。

二人のこれまでを振り返り、改めて愛情の深さに気づいたという経験がある方も多いんじゃないでしょうか。
そんな愛する相手が変わっていってしまっても、好きな気持ちはずっと変わらないという思いも共感を呼ぶ部分かと思います。

2番

“眩むように熱い珈琲 隙間ひらく夜はホーリー
酷い花に嵐 その続きに 思いがけぬストーリー
どうやら今夜未明 二人は行方不明
積み重なるメッセージ そのままほっといて”

Azalea / 米津玄師

この2番のAセクションの歌詞がこの曲で最も難解な気がします。
怒涛の押韻で耳障りが良くノレる部分でもあるので、印象的ではあるのですが、解釈がとても難しい。

歌詞だけから読み解けることが少ないので、ドラマの内容になぞらえてあると仮定して、「さよならのつづき」4~5話のストーリーを当てはめて考えてみます。

4話で、珈琲豆の輸入販売をする会社に勤めているさえ子は、偶然成瀬が勤めている大学と仕事をすることになります。
そんな中で、大型の台風が接近している時に大学に訪れて帰れなくなり、夜を明かすことになる。
さえ子は図書館に行き興味のある珈琲の本を読んでいるうちに眠ってしまいました。
目を開けると成瀬が目の前にいて、突然雄介しか知らない誕生日を祝う言葉を告げられる。(さえ子は少し前に誕生日で成瀬もそれは知っていた)
さえ子が驚いて狼狽えていると、気づけば外の雨は止み、窓からは朝日が差し込んでいた…。

というようなシーンがあります。
ここを歌詞に落とし込んでいる可能性があるのではないかと思いました。

「眩むように熱い珈琲」というのはリアルな珈琲を指しているのではなく、成瀬から雄介しか知らないはずの言葉を言われて、眠気が覚めるような気持ちになるが、狼狽してまともな判断ができない様子を描いている。
「眩む」には、ある物事に心を奪われてよしあしの判断ができなくなる、という意味があるのでそっちで捉えます。

「隙間ひらく夜はホーリー」は、雨が止んで暗い夜が明けてきて窓から柔らかい光が入っている様を「隙間がひらく」と形容しているのではないでしょうか。
「ホーリー」と夜がくっつくと聖夜のクリスマスイブを思い浮かべてしまいますが、物語ではクリスマスは関係してこないので、「珈琲」と韻を踏むためのワードかと思います。
ここではその様子が「尊い」という意味に捉えてもいいんじゃないでしょうか。
この部分は「夜明けのブルーム」と同じ夜が明けていく様なので、表現が被らないようにあえてわかりづらい言葉のチョイスをされているのかもしれません。

続いて、「酷い花に嵐 その続きに 思いがけぬストーリー」。
「花に嵐」とはことわざで、よいことばかりは続かず、とかく邪魔が入りやすいということを花になぞらえたもの。
この歌で言う「花」と言う言葉は挿し木の花「アザレア」を指していると思うので、心臓を移植された成瀬のことだと考えてみます。
台風のことが「嵐」で、成瀬と台風に巻き込まれた先には思いがけないストーリーが待っていると取れます。。
ちなみに5話のタイトルは「嵐のつづき」なので、4話の台風が嵐という言葉で表されているのも納得できます。

「どうやら今夜未明 二人は行方不明
積み重なるメッセージ そのままほっといて」

ここは、物語の冒頭で雄介とさえ子が電車で雪崩に巻き込まれて行方不明になってしまった場面が思い浮かびましたが、2番を成瀬との関係が書かれている仮定で解釈する上では、歌詞の流れ的にここに入るのはちょっと違う気がします。

そこで、5話のさえ子と成瀬が雄介の思い出の場所を巡ることになるシーンを当てはめて考えてみました。
ドラマでは夜の場面ではないし、行方不明でもありません。
ただ、成瀬は妻に言わずに二人で出かけたので、「行方不明」として、「行方不明」と韻を踏む「未明」を使うために「今夜」という言葉を使っているのではないかと。
雄介の親友に思い出の場所を送ってもらいながら巡るのですが、複数の場所がどんどん積まれていくメッセージを返信しないで放っておいたまま様々な場所に行くシーンが描かれるので、その様子を引用していると考えられます。

このセクションの解釈は正直少し強引だとも思いますが、このようにドラマをこじつけていかないと解きほぐしていけないので、意味よりも押韻を優先して書かれている歌詞なのかなとも思いました。

「ように」「珈琲」
「酷い花に嵐 」「その続きに」「ストーリー」
「今夜未明」「 行方不明」


こんな風にバリバリに韻を踏んでいて心地いいし、意味を伝えるよりも気持ちよさ重視という感じがします。
だとしても、簡単に書ける歌詞ではないですが。

1番のBセクション同様に歌詞としては難解なのですが、反面響きが良くて聴き心地がいい。
こういったところが米津さんのバランス感覚の凄さですね。

ひょんなことから人生が交差して、二人の物語が始まるということは恋愛においてよくあることです。
そして、大切な人と一緒にいる時間は、誰かからのメッセージなんて気にしたくないほど大切なものでもありますよね。

“目を見つめていて もう少し抱いて ぎゅっとして
それはクリムトの絵みたいに
心臓の音を知ってエンドルフィン 確かに続くリフレイン
ずっとそこにいたんだね”

Azalea / 米津玄師

思い出の地巡りの中で、さえ子が成瀬の胸に耳を当てて心臓の音を聞くシーンがあるのですが、まさにそれしか思い浮かばないセクション。

「さよならのつづき」5話より

エンドルフィンは、「幸せホルモン」と呼ばれる、脳内に分泌される神経伝達物質の一種。
ストレスや快楽、感動などの刺激によって分泌されます。

リフレインは、歌や詩、文章などで同一句による繰り返し表現のことを指します。

「クリムトの絵」は動画で説明したように、男女が一体となるほどきつく抱き合って接吻している様子が描かれています。

クリムト「接吻」

つまり、成瀬の胸に耳を当てて雄介の心臓が繰り返し脈打っているのを聞いて、感動して幸せホルモンが出ている様子を描いている。
この世からいなくなってしまったと思っていた雄介が「ずっとそこにいたんだね」と思えた時のさえ子の溢れ出す感情が感じられるようです。

クリムトの絵のように、見つめてぎゅっと抱いて欲しいとどれだけ願ったことでしょうか。

“遣る瀬ない夜を壊して 感じたい君のマチエール
縺れ合うように 確かめ合うように 触って”

Azalea / 米津玄師

マチエール(仏:matiere)とはフランス語で物質、品質、材質のことで、美術用語では、絵画の画面の肌合いや光沢の状態、表面のテクスチャなどを指し、作者の個性や癖が出る部分でもあるそうです。

CDジャケットを毎回自分で手がけるほど絵やデザインに精通している米津さんだからこそ、説得力が出る言葉のチョイスです。

何度過ごしたかわからない遣る瀬ない(思いを晴らすすべがない)夜を壊して、近くで触れることでしか感じられない君の質感を感じたい。

この歌詞では嗅覚、味覚、触覚に関わる表現が多く使われているのですが、その点は結果的にそうなったと米津さんは語られています。
「剥き身な感じが最近の自分のテーマでもある」からだそうで、物理的に近い距離で感じられる相手の質感を大事にしているということなんでしょう。

これは恋愛において、相手の愛情を感じる手段としてとても重要な部分ですよね。
いくらテクノロジーが発達してテキストでやり取りをしたり、顔を見ながら声が聞ける時代になったとしても、実際に会って感じる相手の質感こそが大切であることは変わりません。

続いている歌詞が「縺れ合う」「確かめ合う」となっているので、一方向性ではなく相互性のある表現なのが素敵です。

成瀬の胸に耳を当てて雄介の質感を感じられたさえ子は、雄介が本当にそこにいるような気持ちになったのかもしれません。

“せーので黙って何もしないでいてみない?
今時が止まって見えるくらい
君がどこか変わってしまっても
ずっと私は 君が好きだった”

Azalea / 米津玄師

2番は1番のように広い意味ではなく、モロにドラマでの成瀬との関係性を元に描かれているような印象を受けました。
そう考えると、1番のサビと同じ歌詞のこの部分もまた違った聞こえ方がしてきますね。

成瀬の中で亡くなった生き続けている雄介を感じることで、改めて雄介への愛情を再確認したさえ子が語りかけているのだと思うと重みが増す言葉です。

1番からの時間の経過を感じさせ、雄介との関係性が変わっていることも表現されていると考えられます。

好きな人との関係性も時間と共に変わって行くものですが、そこに変わらない愛情があるということ。
それはとても難しいことでもありますけど、誰もが願って止まないことなのかもしれません。

“泡を切らしたソーダみたいに
着ずに古したシャツみたいに
苺が落ちたケーキみたいに
捨てられない写真みたいに
そこにいてもいなくても君が君じゃなくても
私は君が好きだった
君はアザレア”

Azalea / 米津玄師

この部分は動画でも解説してあるのですが、本来あるべきと思われてる姿、理想の状態から変わってしまっているものの比喩が羅列されています。

炭酸があるべきなのに抜けている。
着るべきなのに着ないで古くなってしまった。
ショートケーキに苺は乗っているべきなのに乗ってない。

最後の「捨てられない写真みたいに」は、そこだけ性質が違うと動画で話しましたが、その通りにドラマとの関連性で捉えてもいいですし、こんな考え方もできます。

「捨てられない」ということは、捨てきれていないだけで、捨てるかどうか迷っているものなわけです。
写真というのは本来、大切な思い出を残しておくためのもので、その役割からは変わってしまっている。
そういった意味では、前の3つと同じカテゴリーに入るとも言えます。

つまり、ここで表現しているのは
元の状態から変わったり欠けたりしてしまっても、そういうことは問題ではない。
たとえ君がこの世から消えていなくなっても、君が君じゃなくなっても、好きだったということは変わらないんだということ。

全てが時間と共に変わっていくものだとしても
私にとって「君はアザレア」。


恋の喜びを感じた青春であり、君に愛されて幸せだったことは変わらないのだから。

米津玄師の思想が反映された歌詞

言うまでもなく素晴らしい歌詞ですよね。

天才と言うのは簡単ですが、ここまで細かく意味を持たせた歌詞を書いて、楽曲も同様にドラマや歌詞にリンクしているアレンジに仕上げるのは生半可なことではありません。
見えないところで膨大な時間と労力を掛けて、頭を悩ませながら制作されているからこその賜物だと思います。

米津さんは最近、変わっていくことを前提に目の前にいる相手とその都度関係を結ぶというコミュニケーションのあり方を大切にされているとインタビューで語られています。

これまでの人間関係で反省したり考えを改めたりしていくこともあって、「私もあんたも変わっていくもんね。でも、変わっていったとしても連続していくものがあるといいよね」という考え方になった、と。

この歌の中でも、変化に対する受容や変化の中に不変を求める姿が描かれていて、「変化の中の連続性」がテーマになっていると動画でお伝えしたのは、米津さんのこの考え方によるものです。

「Azalea」の歌詞はドラマを観ていないと読み解けないであろう部分も多いのですが、難しい言葉を並べて難解にしているのではなく、言葉自体はわかりやすくてキャッチーですし、至る所で韻が踏まれていて響きも心地いいので、たとえ意味がわからなくても気持ちよく聞けます。

ただ、こうして細かく読み解いてみると曲の印象が変わってくるのではないでしょうか。

実際にドラマを見進めるごとに曲の感じ方が変わっていったというリスナーの意見もあるので、そこが米津玄師さんの凄さ。
知らなくても良し、知れば尚良し。

もちろん今回の考察は一つの解釈でしかないので、リスナーそれぞれが好きな捉え方をしていいと思っています。
この考察が参考になり、あなたが曲を楽しむ一助になっていたら嬉しいです。

改めて、冒頭で紹介したYouTube動画では歌詞だけでなく、楽曲のメロディーやアレンジに込められた意味についても解説しているので、より「Azalea」への理解を深めるために、ぜひご覧ください。

また、フルカバーも投稿しているので、合わせてよろしくお願いします。

それでは、金やんの相棒でYouTube編集スタッフのしんちゃんでした。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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