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「このまま君だけを奪い去りたい」は元カノへのラブソング?名曲の歌詞を徹底考察!
WANDS歌い方完コピ企画でYouTubeに投稿した「このまま君だけを奪い去りたい」。
以前投稿した楽曲解説の動画で歌詞についても触れてますが、せっかくなので改めて考察してみました。
基本情報
DEENのデビューシングルながら、最大のセールスを記録したシングル。
作詞:上杉昇 作曲:織田哲郎という黄金コンビが提供しており、 WANDSとしては、1993年4月17日発売の2ndアルバム『時の扉』にセルフカバーとして収録。
DEENの曲として広く知られていますが、元々はシングル「時の扉」の両A面曲として収録される予定だったそうです。
それがスポンサーからNGになったことで、ビーイング内でこの曲を色々な人に歌わせていた中で、池森秀一さんが槍玉に上がりDEEN結成のきっかけになったんだとか。
DEENバージョンとWANDSバージョンに若干歌詞や歌い回しの違いがあります。
その辺りは以下の楽曲解説の動画で説明しています。
歌詞考察
この曲はサビの印象が強く、結婚式で流す方もいるそうですし、単純なラブソングに思われがちです。
ですが、読み解いていくと実はそうではないかもしれません。
解釈は人それぞれなので、参考程度に読んでみてくださいね。
よかったら完コピ動画を聴きながらどうぞ。
1番Aメロ
"静かに佇む街並み
はしゃぎ疲れ ただ優しく
忘れたはずのこのさみしさ
ムネの扉たたいた"
冒頭の情景描写からもうすんばらしいですね。
「街並み」を擬人化して、はしゃぎ疲れて静かに優しく佇んでいる、と。
静かな夜の街を表現しているわけですが、同時に、昼の喧騒と夜の静寂の対比も表しています。
そしてそれが、忘れて胸の奥で眠っていたはずのさみしさを呼び起こす。
「さみしさ」が扉をたたくという風に、ここでも擬人化が使われてます。
情景描写からの心理描写へのつながりが非常にスムーズ。ベネだわ〜。
では、そのさみしさというのはどのようなもので、なぜその情景がさみしさを呼び起こしたのでしょうか?
1番Bメロ
"君の瞳にはボクがにじんで
きえゆく愛を知った"
ここの表現は、私的にこの歌詞の中で1番好きなフレーズです。
前の歌詞からの繋がりがなく、唐突に差し込まれているようにも思えますが、そうではありません。
これは、ムネの扉の奥にある君とボクとの別れのシーン。
「瞳にボクがにじむ」というのは、つまり、ボクを目の前にして君が泣いているということ。
その涙は君の愛が消えてしまったのだと悟るサインだったのです。
なぜこのシーンが思い出されてしまったのか?
それはこの出来事が静かな夜の街で起きたことだったからでしょう。
「あぁ、あの時もこんな夜だったなぁ」と。
ここはサビとも繋がってきます。
そして、前に昼と夜の対比を入れているのが効いてきます。
楽しかった時間と別れの悲しみが対比され、よりさみしさが際立つ。
言葉は多くないのに情景が想像できて、お互いの心理状態もわかりますよね。
そして説明しすぎていないから、余白があってリスナーがそれぞれ想像して共感もできる。
これを秀逸と言わずになんと言いますかw
別れのシーンを短いセンテンスで、こんなに奥行きが感じられる表現で書くなんて…流石すぎませんか。
サビのインパクトが強い歌詞ですけど、前半のすごさと言ったら奥さん。
1番サビ
"このまま君だけを奪い去りたい
やがて朝の光り訪れる前に
そしてまた あの日見た
夢を叶えよう 二人素直なままの瞳で"
その時、別れを悟ったボクに湧き上がる感情。
それは溢れんばかりの君への情熱。
「このまま君だけを奪い去りたい」
タイトルにもなっているフレーズが全てのサビの頭に来るので、インパクトがあって強烈に頭に残りますよね。
解説動画で「だけ」というのが普通しない言い回しで特徴的という話をしていますが、「だけ」には強調の意味があると思います。
君だけでいい!
君がいれば他に何もいらない!
それくらいの気持ちなんだボクは!
という感じでしょうか。
次の「朝の光り訪れる前に」というのはなぜか?
ここはおそらく二人は夜に部屋の中にいて、そこで別れ話になった。
(なのでBメロ部分も夜だとわかります)
つまり朝が来れば、君と離れなければならないわけですね。
だから、夜が明ける前に「このまま君だけを奪い去りたい!」のです。
そして、二人が純粋に想い合い、同じ方向を向いていた時に立ち戻って夢を叶えたい。
その夢というのは、あるいは結婚というものだったかもしれません。
"いつまでも信じていたいよ
心震えるほどに愛しいから"
いつまでも信じていたいのは何か?
それは君のこと…君がボクを愛しているということを信じたいのではないでしょうか。
なぜなら、会いたくて会いたくて震えるほどだから。
いえ、心震えるほどに愛しいからです。
夜にふと別れたさみしさを思い出して、君への想いが抑えきれなくなっている状態のようですね。
2番を読むとわかりますが、ボクの君への想いは今も色褪せていません。
1番の時系列としては現在(ちょい前)から過去に視点が移動してる感じです。
2番は現在に戻ってきます。
ちなみにDEEN ver.はサビの締めが「心震えるほど愛しいから」でWANDS ver.は「に」が足されていまして。
ここは歌い回し的にその方がハマるからじゃないかと思います。
2番Aメロ
"懐かしいブルーの雨傘
ざわめく街で 君に会った
うつむき歩くその癖は
今もあの日のままだね"
2番も目に浮かぶような情景描写。
君がよく差していた鮮やかなブルーの傘を街で偶然見つけた。
目を奪われていると、歩き方の癖が変わっていないことがわかって、嬉しさや安堵感のようなものを感じている印象を受けます。
雨降る街の人ごみの中で出会えたこともあり、運命的なものを感じているのかもしれません。
「今もあの日のままだね」というところに、ボクへの愛も変わっていないことを望んでいるような気もしますだね。
2番Bメロ
"ふいに呼び止めて 笑いあえたら
言葉さえもいらない"
ここの捉え方は迷いますね。
Aメロに「会った」と書いてあるので、君を見つけて直接対面したのかと思いきや、そうではない可能性も出てきます。
「笑いあえたら」となっているので、「もし呼び止めて笑いあえたら」という意味なのか。
もしくは「実際に呼び止めて対面して笑いあった」のか。
私的には前者のような気がしています。(理由は後述)
そして、笑いあえたら、それはもう二人の再スタートの合図。
言葉なんていらないよね、と。
2番サビ
"このまま君だけを奪い去りたい
胸の奥でそう叫んでいるよ
誰一人 わからない
遠い世界で 君を守ろう 心燃やして
いつまでも抱きしめ合いたい
永遠(とわ)に戻ることのない時の中で"
サビ頭のフレーズは1番と同じです。
誰も知らないような遠い世界に行って、逃避行してだって君を守るんだ!
と燃えるような熱い気持ちを持っていることがわかります。
そして、付き合っていた過去には永遠に戻れないけど…いや戻れないからこそ、現在からの時間を共有していつまでも抱きしめ合っていたいんだ!と。
さすが心震えるほどの愛しさをお持ちなだけありますね。
熱量がすごい。
時は経てど情熱は冷めやらず、一途に君のことを想い続けています。
そして、最後のサビは1番と同じ歌詞が来て曲が終わると。
サビでは一貫して、ボクの情熱的な愛が表現されていて、全て頭にタイトルになっているフレーズが来るので、一度聴いたら頭にこびりついて離れないほどですよね。
構成としては、ABサビ、ABサビ、間奏、サビという非常にシンプルでわかりやすい形になっています。
結局どんな歌詞?
いかがでしたか?
歌詞をあまり意識して見ていなかったという方は少し印象が変わったかもしれませんね。
さて、2番Bメロ部分で書いた、二人が実際対面したわけではないと思う理由。
それはサビにありまして。
タイトルにもなっているサビの頭のフレーズ「このまま君だけを奪い去りたい」なんですが…。
それってボクの感想ですよね?
いやつまり、「奪い去りたい!」と強烈に思っていたとしても、実際にそうしているわけではないと取れるわけで。
2番では「胸の奥でそう叫んでいるよ」とも書いてあります。
実際に声に出したりしていないんですよ。
でも、心は震えるほど愛が溢れて爆発しそうなんです。
ちなみに、この部分はDEENバージョンから歌詞が書き直されている部分で、元は「胸の奥でそう叫んでいるようだ」でした。
ここは歌いクセ的にというより、内容的に書き換えたように感じます。
ボク自身のことですから「ようだ」より、言い切っている方がしっくりきますよね。
話を戻すと、別れの時も再び出会った時も「奪い去りたい」と思いつつも、君を取り戻すための行動はしていないんじゃないかと。
1番の別れのシーンで、「このまま君だけを奪い去りたい」気持ちがあったのにもかかわらず、そうせずに受け入れて別れたからこそ、2番で久しぶりに君に会うわけです。
もし、行動を起こしていたとすれば、何かしらの結果が生まれるので違った歌詞表現になってくるはずで。
それに、別れたくないと君にすがったらカッコ悪いし、逆に君を苦しめてしまうかもしれません。
だから君の前では、
「わかった…君がそう言うなら別れよう。今までありがとな」
と、感情を押し殺してクールに決めておきながら…
胸の中では、
「好きだよぉぉぉおお!別れたくねぇぇえ!!!
心震えてんぜぇぇえ愛しすぎてよぉぉ!
逃避行してずっと抱きしめてたいヨォぉぉおおお!!!」
とみっともないほどに思っているということです。(違う)
誰も知らない遠い世界に行って君を守るんだ、という駆け落ちしたいくらいの気持ちがあるようですが、それも相手の了承がないとできないわけでして。
君側の気持ちがボクに向いていないと、ちょっとあぶないねとささやかれてしまうわけでして。
サビだけ見ると、「こんな風に思われたい♡キュンキュン」みたいな印象を受ける方が多いでしょうけど…
元カレが想いを断ち切れずにずっと自分のことを好きでいて、街中で自分のことを見つけると、変わらない癖を見つけてニヤニヤしながら逃避行を妄想する歌詞と考えたら、
「こわっ!」「キモッ!」と思う方もいるかもしれません。
(極端な言い方をしているだけなので落ち着いてください)
ですが、純粋に愛する人への気持ちを情熱的に表したラブソングとも言えるのではないでしょうか。
事実、サビの部分の印象が強く、多くの人がそう認識しているわけです。
A,Bメロが重要ではないとは言いませんが、重要なのはリスナー自身が誰かを想う気持ちの強さと重ねられるかどうか。
あるいは、こんな気持ちで誰かを愛したいという憧れのようなものでもいいかもしれません。
言わばA,Bメロは振りに当たるわけで、サビを引き立たせるためのエッセンスでもあります。
振りが効いている、つまり別れがベースにあるからこそ、情熱的な愛が際立つということなのです。
ボクは君がいれば全てを投げ打ってもいいというような強い気持ちで一途に想い続け、君も別れた後にボクの大切さに気づいて結ばれるストーリーと捉えると、素敵なドラマにもなりそうですし。
別れた後も相手を想い続けた経験がある方なんかは、ドンピシャでハマる歌詞だと思います。
思っている気持ちを素直に表現できる人って意外と少ないんじゃないでしょうか。
でも、本当は溢れんばかりの愛をぶつけたい願望もあるはず。
なので、普段言えないような想いを、人に言うのが憚れるほどにクサい(いい意味で)言葉にして代弁してくれているのが、この歌詞の良さなのではないかと私は思うわけです。
想像するに、数えきれない人たちがこの曲をカラオケで歌って好きな人に愛を伝えてきたことでしょう。
この曲は、恥ずかしくて人には言えないほど一途に想う相手への情熱をこれでもかと表現した歌詞だからこそ、多くの人から長く愛される曲になったのではないでしょうか。
今ある環境を全て捨ててでも、君だけがいてくれればいい!
そんなことを池森さんや上杉さんに歌われたら、当然キュン死にしてしまうわけで。
DEENファンにとってもWANDSファンにとっても、絶対に外せない名曲中の名曲であり、
ファン以外の多くの人にも愛され続けている超名曲なのでございやす。
他の曲の歌詞解説でも書いてますが、上杉さんはただハッピーなだけのラブソングってほぼ書いてないんですよね。
取っ替え引っ替え恋愛してるわけでもないし、そんなにポンポン書けるわけじゃない。
「世界が終るまでは…」はラブソングにピリオドを打ちたかった。
というような旨をインタビューで語っていたり、経験を元に書かれることが多い上杉さんはラブソングばかりを求められることに嫌気が差していたようです。
もしかするとこの曲も実体験からインスパイアされて作った歌詞なのかもしれません。
上杉さんはラブソング嫌いと言ってもいいかもなんですが…
みなさんお分かりのように、上杉さんのラブソングの歌詞ってめちゃくちゃいいんですよねぇ。
求められることとやりたいことの差異に耐えられずにWANDSを去ることになったわけですけど、6年という短い期間で名曲をたくさん残されています。
WANDSの曲きれいな歌詞してるだろ。ウソみたいだろ。
二十歳そこそこなんだぜ。それで。
いやはや、改めていい歌詞すぎましたね。
ということで、今回も勉強させていただきました!
また機会があれば歌詞の考察をしてみようかと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました!
金やんの相棒のしんちゃんでした。