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"無価値の価値"をどのように推進し、"価値反転"をどのように誘発するか / 犯罪者は人生オワってるのか?

どうも世の中、釈然としないなぁと思うことが多くありましてですね。
その1つに「効率主義的・価値主義的」なものがあるわけですな。

どこもかしこも効率主義、社会的インセンティブ至上主義に陥りがちな現代社会において、数十年後を見越したときに真に価値を生ずるのは「無価値の価値反転」であろうという持論があります。
今日はそういう話をしていきます。

「無価値の価値反転」

もう少し言葉を補足しますと、

現在は無価値と思われているようなことでも、将来的にはそれが逆に、大局的or長期的に見たときには価値があるものに変貌する可能性が高いなと見ています。
そのとき、未来のあるポイントにおいて価値の反転が起きる。
つまり、現時点ですぐ価値があると認定されるようなことは、50年後にはほぼ価値がなっくなっていると思うわけで、いわんや100年後をやという感じでございまして。
それではどうも虚しいのでは無いかと思うわけです。

どうせ人間死ぬんで、死ぬだあ都のことはどうでもええわという思いもありつつ、そんな短期的な目先の、自分の些末なコトだけに自分の人生を賭けて燃やし尽くしてもいいものだろうかという一抹の寂しさを感じるわけです。

そういったことを実感覚として認知している人は、実はかなーり少ない実感があります。

そう言う感覚が共有できている点において、「テキトータイム」というユニット名で活動している相棒「Aviv Haruta」とは、気が合う友人というわけです。

僕が興味沸かないもの

みんな右と言えば右に向いてしまうモノ。
ゴールが決まっており、「セオリー」が敷かれてしまうもの。
ってのは、どうも釈然としない。

資本主義にせよ、民主主義にせよ、もとはといえば集団を・大衆を動かすための手段なのですね。

強烈な誘導、インセンティブが働くため、猫も杓子も同じような結論になるわけです。
資本主義経済ですから、
・ビジネスにするためには~、
・商売するためには~
・お金を稼ぐためには~
・投資とは~

という事柄には、年を経るにつれてノウハウが蓄積されてきています。

何十年、何百年と脈々と人の営みとして「資本主義」というルールで人生ゲームをしていれば、攻略法が開発されるわけです。

人間てのは、どんなゲームであっても、数や年数をこなせば、攻略法、効率化、向上を考えて活動していくものですよね。

ただ、そうなると、みんな一緒になっていく。画一化。金太郎飴。

ただ、そうなりますと、そのルールの下で考えや行動が強くしばられるわけです。

縛られた上での「自由」だったり「個性」だとかいう話になるわけでして、それは本来もっと自由的なエリアでの自由、個性とは全く違うものになっているよなぁーと。

僕たちは、単に生きているだけで、さまざまなモノに縛られていますよね。
生まれの国、家族、家庭、学校、友達、地元、職場、コミュニティ、ありとあらゆる場所と属性において、その数の二乗ぶんだけ、しばられていく。
そんな感覚があります。

これまでーそう、平成時代くらいまではそれでよかったんでしょう。
うだうだ言ったって、
「でもしょうがない」
「生きていくためには、ウダウダ言わずにイヤなことでも我慢してやって、お金を稼いで生きていかなければならんだろう。」
「ごたくや詭弁じゃ、メシは食えん」
「働かざる者、食うべからず」
といったかんじ。

でも今はもう、そうでもないですよね。
今はーというか、ずいぶん前から、別にそれに縛られない人生を選択している人もいました。(超絶マイノリティですが)
マイノリティだったというだけで、ずっと昔から「本流(多数派・常識)から外れた生き方」もあるわけです

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