言葉はこの世界のプログラミング
テレパシーというものがあったとしたら、言葉というものがアホということがよくわかるだろう。
テレパシーと言わずとも、
たとえば音楽や絵画。
これもテレパシー同様、言葉を超えたコミュニケーションだ。
言葉はほんとうに役立たずでちっぽけで、
伝えたいことの0.1%にもならない。
とてもとてもバカなツール。
音楽や絵画、テレパシーなどの情報量が10,000としたら、言葉で伝達される情報量は0.1くらいだと思う。
言葉っちゅうもんのかしこさが100だとしたら、
感覚的な目に見えない世界の知性は6,000くらいだと思う。
2Dと11Dくらいの差。
言葉なんてクソだな。
役立たずだな。
アホすぎて付き合ってられない。
なんて、思う気持ちもある。
だがそれと同時に、
言葉がすべて
世界=言葉
というのもまたほんとうだと感じる。
物理世界と情報空間。
物があり、空間があり、匂いを感じ、物を落とせば落下する。実存主義。
そしてこれがホログラムと認識している情報空間のさらに上にいる世界。
この"ほんとうにすべてが実在している世界"を形づくっているものは、
言葉だ。
言葉がすべてをカタチづくり、
舵を切っていく。
私たちは生きている。土の上を踏みしめられるし、太陽の光があたたかい。
あなたもわたしも生きているこの世界のプログラミングは、言葉であることは間違いない。
好きな世界を言葉を以ってして作っていける。
いいとこどりの世界をカタチづくっていける。
まずは言葉を書く。