ハタチの頃の話
19歳の3月1日から株式会社メディアワークス電撃PCエンジン編集部でアルバイトを始めた。阪神大震災があった年の春のことだ。なんかコネがあったわけじゃなくて、普通にアルバイト求人誌で見つけて、面接に行った。高校生くらいから小説家になりたいなあ、って小説は書いてたんだけど、小説家になんてなれるはずがないって思って、だったら本関係の仕事がしたいなあ、って応募した。ゲームも大好きだったし。確か同時期に別の編集部にも履歴書送ってるはずなんだけど、そっちは書類で落ちた。
時は1995年。セガサターン発売が1994年11月、PlayStationとPC-FX発売が1994年12月。その翌年だ。そんな時代のゲーム雑誌の編集部なんておもしろいに決まっている。
当時はまだトラフィックのアルバイトというのがどの編集部にもいた。データでのやりとりがまだできなかった時代、写真やデザイン指定紙やイラストをあちこちに取りに行ったり届けたりするアルバイトだった。それ以外には細かいデータ作成だったり、ゲームのプレイだったり、お茶出しだったり、とにかくそういう雑用をいっぱいさせてもらいながら、いろんなことを学んだ。
アルバイト開始から20日目に地下鉄サリン事件が起きた。職場はお茶の水だったから、駅前は騒然としていた。
そんな中でハタチになった。ハタチになったときのことは全然覚えていない。でもとにかくそういう編集部で働き始めて3ヶ月後にハタチになった。編集部で『エヴァンゲリオン』の初回放送をみんなで見た記憶とかある。あれはハタチの秋なのか。
あの頃の私は今以上に使えなくて、しょうもなくて、でもとにかくたくさんの人に愛してもらった、と思う。今でもおつきあいが続いている人たちがいるのがすごい。本当にありがたい。私みたいなのを見捨てずに、途切れた時期があっても20年つきあってくれている人たちがいるってすごい。感謝しかない。
そういや恋もしたね。バカみたいだったね。今も相変わらずだけど。
結局メディアワークスには業務委託社員時代を含め全部で3年間お世話になった。19歳から22歳までの3年間だ。その3年間は私の宝物だ。いろんな人に迷惑をかけて、怒られて、でも愛してもらって、たくさん勉強をさせてもらって、いっぱい挫折した3年間。
あの3年がなかったら、今この仕事は間違いなくやっていない。
そして、私は東京を捨てて、というか逃げ出して、別のところに行っちゃうんですけど、それはまた別の話。
(2016-01-28)