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ひとと何か創ること

最初に断っておくと、ちょっと愚痴っぽい内容になると思う。読んで嫌な気持ちになる人がいるかもしれないけど、率直な気持ちを書いておこうという……記録みたいなものだ。今更……みたいな内容かもしれない。あと、特定の誰かに対する不満とかではないので、誰も読んで気に病まないでほしい。

ここnoteでは様々なジャンルのクリエイターさんがいらっしゃる。 

だからそのジャンルの垣根を超えてコラボしたり、ハッシュタグ企画などを立てて自由参加してもらったり(あるいは参加させてもらったり)……と1人じゃできない楽しみ方ができる。これは本当にすごい。

実際、私も色々参加してきた。どれもとても良い思い出だ。本当に楽しかった。noteでの出会いに感謝している。

思い切り楽しめた企画では、何か本当に、文化祭に積極的に参加できた時のような高揚した気分になれて、とても良い思い出になるけれど、同じ作品、企画であっても、誰にとってもそうとは限らない。そうではないモヤモヤに包まれてそのまま消化不良で終わる場合もある。

一度でもそういうモヤモヤを味わった人は、次にそういうコラボのような機会があったとしても、もう積極的に参加しようという気にはならないかもしれない。

まだハッシュタグ企画はそんなに変なことにはならない。まぁ気軽に参加できるし、基本自分の作品としての自分だけの勝負になるから。自分の意思で参加して、自分の責任で自由な裁量でやれる。沢山の人に見てもらえるチャンスでもある。

でもコラボだと少し違う。ガッツリコラボの時は非常に気を使う。

たとえば同人誌で何かのテーマに沿ったアンソロジー(合同誌)を出す場合とかだと、そんなに揉めることはないかと思う。揉めるとすれば金銭的なとこぐらいかな……。揉めた経験ないから分からないけど。出だしできちんと取り決めをしておけば、まぁそんなに問題はない気がする。

ガッツリコラボでは、大元の企画を誰かが立てて、たとえばひとつの映像(MVとかアニメーションとか)を大勢で作る時だと、原作・脚本の人(大体、この人が監督も兼ねる事が多い)、演出の人(これも監督と同じ人がやる場合が多いし)、絵を描く人、アニメーション処理をする人、音楽担当の人、音声ドラマなら、声優をやる人……など、一つのストーリーに対して関わる人が多くなるので、舵取りをする人がうまくコミュニケーションを取って進める必要がある。大元の人が、こういうことをして欲しいと依頼をし、何度も打ち合わせして、その人の完成予想図に近づけるべく、調整やリテイクを出しつつ進める。

お金が発生しない場合、相手もその企画に乗り気でないとこれはうまく成立しない。だからその場合は、まず面白い企画である事が前提だ。やってみたい!という気が依頼された側、もしくは参加を募って、手を挙げた側の人も企画した人と同じくらいないと難しい。

企画した人、参加した人が対等というか、どちらも楽しんで取り組めないと、本当にただの依頼になってしまい、ペイもないのに、なんでこんな事しなくてはならないのかと、段々やりたくない気持ちになる。

もうそうなると義務感だけだから、楽しくなくなっちゃう。

それでもイザコザしたくない人は、そういう気持ちを隠してなんとか最後までやるだろう。依頼した人も本当はもっとこうして欲しいというところがあっても強く言えないので妥協してしまう。そうなると作品に対する敬意も薄れてしまい、これではどちらも結果モヤモヤする。

だったら。

本当は思ってる事があるなら妥協せずに、途中途中でハッキリと言った方がいいと私は思う。その方が絶対良い作品になる。悩みや分からない点があるか、何度も確認しあう、相談する、が大事だ。

でも、これがとても難しい。

言葉が強くなってしまう事があるし、相手への配慮が足りない場合が出てくるから。

それでもひとと何かを創ることは楽しいと、私は割と思っている。それは楽しい事を経験で知っているから。


あ、最後にひとつ。

勝手にコラボや勝手にファンアート、はつい思いが迸って、本当に勝手にやってしまう事があって……それは嫌だったらやめますので仰ってください。

色々とブーメランですが、自戒を込めて。

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かねきょ(漫画・イラスト)
ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。