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梅雨・水平線・筋肉痛

【前回のあらすじ】

 凪のような人生が目標の自分は、飲み屋で出会ったコンサルの人に倣い、投資と海外移住で夢を叶えようかと考え始めていた。

 フラフラと毎日生きております。
 やっぱりまだ自分って立ち直れてないんだな、と思う日々が続いている。昼は楽しく働いているのに夜中に振り返ってみると途端に悲しくなって、ぐるぐると考えては何が悲しみの原因だったのかを思い出せないというルーティーン。
 不毛な日々である。

 前回文章を書いた時からもう1ヶ月が経とうとしていて、わたくしは何をしていたのだろうとまた悩んではウトウトし、気づけば朝になり、とそんな生活だ。
 家族には、もうとっくに成人しているのにこんな子供でごめんなさいという気持ちでいっぱい。
 いっぱいになりつつも楽しくなったり、申し訳なくなったり、人生というのはそういうものなんじゃないだろうか。23歳の梅雨。

 先日、以前のアルバイト先に顔を出したついでに海にでも行こうと思った。ちょうど帰る頃に常連のオッサンがきて、「ヨォ!飯でも行くか!」と言われたので、このあと1人で海に行くという旨を告げる。すると「後ろに乗って行くか?」ということで、海まで1時間、オッサンとの2人旅が始まった。
 オッサンはそんなに大きくないバイクに乗っている上に猫背で、自分が乗るスペースは本当に狭かった。なんとかオッサンの背中に体を押し付けないようにと、のけぞるような体制で荷台のアームを必死に掴んだ。
 オッサンは楽しげに口ずさんでいて、時々話を振ってくる。ボソボソと話す上に風とヘルメットで聞き取れない。事あるごとに何かを話しかけてくるので「聞こえないっす!!」「ヘッヘー」と、二つだけの相槌をひたすら繰り返していた。
 海に着く頃にはちょうど日が落ちてきていた。バイクから降りて、水平線が見えるところまで歩く。
 だんだんと海と空の境目がわからなくなっていく時間が堪らなく怖くて、堪らなく好きだ。自分も同じように見えなくなって、世界とひとつになるみたいな不思議な感覚は、山でも街でもなかなか感じることができない。
 なるべく地面と触れる面を減らして、ずっとずっと遠くの水平線と自分を重ねる。
 ここに居るのに、ここにはいない。そんな浮ついた感覚が好きなのだ。

 家族も、周りの大人も、みんな地に足をつけて生きろって言う。自分も、地に足をつけて、地道にコツコツと生きている人たちを、すごくかっこいいと思う。
 人は太ったりとか、痩せたりとか、楽しくなったり、不安になったり、寝たり起きたり、そういう様にできている。
 多分生きるってそう言う事なんじゃない?と気付く23歳の梅雨。


 バイクのせいで、その後2日は筋肉痛が治らなかった。

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