瀬戸内の「動く素材」が魅せる絶景 前編
『三分一博志 瀬戸内の建築』を片手に
「動く素材」に着目する建築家
三分一氏は、地域の地形や気候を読み解き、風や水、太陽など「動く素材」からヒントを受け、建築設計に組み込む建築家。建築を通して瀬戸内の「動く素材」を伝える。三分一氏の思想が込められた一冊になっている。
三分一博志の自著『三分一博志 瀬戸内の建築』(TOTO出版)を語る動画がTOTOギャラリー・間のYouTubeで公開されている。動画の最後に「この本を片手に瀬戸内海を旅してもらいたい」というメッセージ。言葉通り、この本を片手に瀬戸内海へ!
5つのプロジェクト
本書は、瀬戸内での5つのプロジェクトと5人のエッセイがまとめられている。
三分一氏が手がける5つのプロジェクトは以下の通り。
宮島|宮島弥山展望台
六甲|六甲枝垂れ
犬島|犬島精煉所美術館
直島|直島プラン/直島の家またべえ/直島ホール
広島|おりづるタワー
今日の舞台は広島。「宮島弥山展望台」と「おりづるタワー」へ。
宮島弥山展望台
宮島
宮島弥山展望台は、宮島の最高峰 弥山(△535)の山頂に位置する。
まずは、フェリーに乗って宮島へ。波の穏やかな青い海。緑豊かな山をバックに、ぼんやりと浮かび上がる紅い鳥居。厳島神社は海と森の狭間の水平線をなぞるように浮かんでいる。
偶然立ち寄ったこの日は三連休で大賑わい。昔から人々は山と海の狭間で暮らし、原風景として目に焼き付いている。
宮島弥山展望台は宮島ロープウェイで近くまでいける。良くか悪くかこの日は宮島ロープウェイは予約制。即完で乗れず登山を決意。
弥山
大聖院コ-スで山頂を目指す。弥山は高い山ではないが、岩がゴツゴツした険しい山。途中、休憩スポットからは厳島神社と大鳥居、千畳閣 豊国神社、瀬戸内の海の奥にうっすら本土が見え、それらをつなぐ宮島フェリーが一望できる。
浅瀬は海の色が白く、まるで山々の養分が溶け出しているようになんとも美しいグラデーションがかかっている。俯瞰してみると一層、鳥居のサイズ、距離が絶妙さが際立つ。広大な自然に浮かぶ美しい厳島神社だが、真っ新な島に築く発想は容易ではない。
登頂
ついに山頂へ!山の北は太陽があまり当たらない日陰。山頂につくと一気に気温は上昇し、木々は少なく、岩肌がゴツゴツと露出している。
宮島弥山展望台
二階建てに屋上のある展望台が、埋もれるように頂上に伏せている。
中央のコアから深い縁と庇が廻る。「座」の間である。二階と屋上の展望デッキは瀬戸内の海が360度見渡せる。「動く素材」を「座」して感じることのできる展望台。風は抜け、太陽の日差しを和らげ、雨から守る深い軒のデザイン。
険しい山々を登り疲れた身体は、普段の何倍も動く素材が恋しく感じる。目に飛び込むパノラマの絶景。激しい心臓の鼓動が徐々におさまり、瀬戸内に流れる「時」の流れを肌で感じる。(なぜロープウェイ乗ろうとしていたんだろう…笑)
登山を経て味わう贅沢なひととき。
屋上にも登ることができる。広大な瀬戸内の海を空から望む。
下山すると、潮は引き、人々は鳥居へ向かって集まっていた。三分一氏が語る地球上の「動く素材」。それは、変わるものであり変わらないものでもある。動く素材が生み出す絶景に、人々は心を奪われる。
おりづるタワー
広島の市街地へ移動する。
広島の街中、原爆ドームのすぐ横におりづるタワーはある。街中であれど、三分一氏は「動く素材」に拘る。むしろ自然を覆うように都市化したエリアだからこそ、「動く素材」を思い出させることに価値があるというのが三分一氏のメッセージなのだろう。
スロープ
目的地は、最上階ひろしまの丘。一階からはタワーの半外部空間になっているスロープで上までのぼることができる。密閉されたビルでは感じられない心地よい風が抜ける。ビルの設計において風は天敵のように思われてきたが、場を与えると「動く素材」を肌で感じられる場になる。
ひろしまの丘
建物の内部から階段をのぼると丘の上に出る。暗がりから一気に外の空気へと変わり、遠くの山々の景色が目に飛び込む。外周にガラスは存在しない。生の景色である。引っ張られるようにスタスタと丘を下ると原爆ドームがみえ広島に流れる川が見えてくる。
湾曲した天井と丘が外の風を一点に集め、広島の風を全身で受ける。太い柱は木々のように。大きな庇は伝統的な木造建築か、はたまた丘の上の大きな木の下にいるように。雨を凌ぎ、風を通す。陽の光を遮りながら、温められた熱が風に乗って伝わってくる。
広島の「動く素材」を体感して
「動く素材」はいにしえから変わらず動き続けている。地球は呼吸していることを思い出させてくれる。地球の呼吸を活用して、都市が呼吸し、人々も呼吸している。
「変わらないものと変わるものを探す旅」というテーマにおいて、根源的なヒントを与えてくれた「動く素材」。三分一氏は、それを建築家として伝えてくださっている。
宮島弥山展望台もおりづるタワーも、厳島神社でさえも広島の中のほんのちっぽけな工作に過ぎないのかもしれない。しかし、動く素材が感じられるこの場所にはいつでも人々が集い、広島の風に、水に、太陽に想いを馳せている。地球上の素晴らしく美しい自然に蓋をして息苦しく生活している我々はなんとも愚かしく思えてくる。
「足るを知る」こと。
旅先での「動く素材」にも着目していきたい。