書き殴ったSESを題材にした小説
なんというか思ってたのと大分違って、なんかこう、すっごい辞めたい。
例年より早足で迎えた梅雨シーズンの暗澹たる分厚い雨雲に心まで覆われ、夕夜のHPは尽きかけていた。
心が折れかけている原因は当然天気のせいじゃない。
いや、気候は関係あるかもしれない。北陸と関東平野の気候は大分違う。現在6月上旬にして湿度は夕夜の地元、相模原よりは高くない。温度も少しこっちの方が低い。そんな些細な変化が精神を蝕んでいないかと言えば、一切否定できない。
なにせ知らない土地に知らない方言だ。
親族も友人もこの地域には誰もいやしない。
ついでに言えば滅茶苦茶田舎だ。見渡す限りは田んぼと畑と、あと都心では億は下らないサイズの家が疎らに建っている。
グーグルマップを見れば、この周辺に商業施設と呼べるものは存在しなかった。
生活に必需なスーパーまでは調べたところ徒歩で1時間かかるらしい。首都圏で人生を積んできた夕夜にとっては都会じゃ考えられない程の不便さはまるで異世界のようで、挙句の果てには夜になれば街灯一つ存在しない道も普通にあって危ない。昨日は漕いでたチャリを暗がりの中側溝に落として脛を怪我した。痛い。
絆創膏と消毒薬で誤魔化した傷の痛みを我慢しつつ、なんでこうなったのかと夕夜は思う。
別にを罪を犯したとか、或いは親に勘当されたといった事実は無い。
自他を認める平凡な夕夜は、極めて真っ当に平凡な人生をこれまで送っていた。
高校受験は高望みして第一志望に不合格、滑り止めの私立に入学して学業もそこそこに学生らしく怠惰な生活を送った。大学受験では高校受験の失敗を振り返り、絶対に落ちる可能性が無いと断じれるくらいマージンを取って、平均やや下の実家近くにある大学を受験して目論見通り合格を勝ち取った。サークルに適当に入り、バイトはスーパーで品出しをしつつ大学生らしく遊ぶ金を稼いだ。
同級生と肩を並べて順風満帆に次のマスに進めていたコマの雲行きは大学三年生くらいから怪しくなり始めた。
きっと昭和世代の人には分からないだろうが、今の就活はとてもスケジュール感が早い。大学三年生になった直後の春頃には業界を見繕い始めるのは当然で、その上で学生の多くは幾つかインターンシップに参加する。企業はこれをジョブのミスマッチを防ぐためとか宣って開催しているが、正直これが本当にその対策になるかは当時社会人じゃなかった夕夜からしても疑問だった。形式ばった業務説明に、どこかおままごとみたいな体験型のワークショップ。しかも人事は開催されたインターンシップについて学生からの評価を気にするらしく、いやそれ気にして万人に喜ばれるインターンシップにしたら全然ジョブのミスマッチ防げなくね? とか思ってしまう。
まあでも学生からすれば重要なのは結局、インターンシップに出てで参加特典がもらうことだったのだろう。特典は企業によって異なっていて、社員をリクルーターとしてアサインしてはその会社に入れるよう学生の就活対策を手伝ったり、はたまた本選考のファストパスをくれたりと様々だ。文系で特に業界業種に拘りの無かった夕夜もインターンシップに参加した後に幾つかそういった話が来たりもした。
しかし、それが活かせることなく夕夜は大学四年生となった。
確かに周囲は就活をしていたが、それはそれとして「まだ三年生だし四年生から頑張ればいいのでは?」とそう言う話を全て無視した結果だった。それがどれだけ勿体無い行為だったのか気付いたのは就活が終わった後の話である。
でも四年生から頑張り始めるのも別に遅いわけじゃない。確かに大手企業の一次応募のES提出期限は四年になる直前の三月が多いが、それでもまだ内定辞退が出揃った後の欠員募集もとい二次募集はあるし、大手にこだわらなければそれこそ本当にどうとでもなる。日本に会社なんて387万社あるのだ。これといった特色のない自分の経歴でもどっかの企業に引っ掛かるだろうと高を括っていた。
そんな余裕綽々な様子が立ち消えたのは7月くらいからだった。
その辺りになれば大手企業の選考第一フェイズは終わる。やれ俺は神奈川にある大手の都市銀から内定もらただの、やれ私は首都圏に数多のビルを所有する不動産管理会社に行くだの、大層優秀な同級生がハイグレード企業からの内定を続々と獲得している中で、夕夜は一人、一次面接すら突破できなかった。
書類選考は4割くらいの確率で通るが何の慰めにもならない。
新卒であれば記載内容の粒度はあまり気にされず、ESで文章がちゃんと書けていれば後は経歴次第で通ることをyoutubeの就活動画を見て知っていたからだ。
なぜ一次面接で全て落ちるのか。
人事は何処を見て夕夜を我が社には相応しくないと不採用の刻印を押下するのか。
考えている間にもまた不採用通知のメールが来る。
お祈りされてそろそろ神にでもなれるんじゃないかと本気で考えた。
そうして夕夜の就活は縺れに縺れた。5月くらいに終わってればいいな~なんて考えていたのも既に8カ月前の話、気付けば新年も明けてめでたく無い内定で年越しを向けた。SNSを開けばゼミやサークルの同級生は長野にスノボ旅行へ行ったり元旦の富士山へ御来光を見に登山したりと楽しい最後の大学生活を送っていて。
───あれ、何で俺ってまだESと格闘してるんだっけ。現実が厳しすぎて涙が出そう。マジウケる。ウケねえよ死ね。
と、情緒不安定になったため精神衛生上の観点からリアルで使っているSNSのアカウントから全てログアウトした。
その頃になるとネット掲示板の『23卒NNT集まれwwwwwwww』という名前と裏腹にかなり悲惨なコメントが多いスレを日中暇があれば眺めるようになった。流石に新年を超えているからか全盛期(特に夏ごろは大手の採用が一旦終わるのもあり今より活発である)より勢いは減ったが、それでもまだ残留している住民の悲痛な言葉に何処か心が救われていた。時には「コイツぜってぇ内定あるだろ殺すぞ一般人が」とか社会不適合者である自覚を芽生えさせながらも、1月後半になって漸く一つの会社に出会う。
それは何か技術系の企業らしい。
会社名は『ハイパーインテグレート・テクノロジー株式会社』。
長いので以降は略称のHITとする。
ぶっちゃけ何がハイパーなのか、何がインテグレートなのか分からなかったが、確かなのは参加した合同説明会全体を見た時に、この時期にしてはふんわりと良さげな企業だった。
大手企業で従業員数は7000人くらい。結構な大規模な会社の割に、説明会ブースで空席が目立っていたのは少し気になったが、説明会が始まればすぐにどうでもよくなった。
曰く、現在募集しているのは技術職で、会社には文系からでも一人前のエンジニアとして活躍する社員が沢山在籍しているだとか。それにエンジニアファーストと第一としていて自社エンジニアの教育に金を注ぎ込んでいるので未経験からでも安心安全。エンジニアとして成長するために基礎から応用まで充実した研修が行われていて、研修だけじゃなく何時でもネットで受けれるオンラインセミナーも各種取り揃っている。流石大企業だなという感じだった。企業としての売上高はここ10年間ずっと成長曲線を描いており、弊社はゆくゆくは東証プライムへの上場も睨んでいるらしい。ふむふむ、多分だけど経営も健全と。
ただ一点気になるとすれば、東証プライム上場という事柄についてはあまり詳しく知らないが一般的にはかなり大きな目標のように夕夜には思える。反して社員の説明に熱意は籠っておらず、かなり事務的で淡々とした風に聞こえた。でも働くっていうのは案外そんなもんなのかもしれない。経営層がそう息を巻いていても末端まで熱量は伝わらないし、同じ立場だったらきっと自分もそうだ。スーパーのバイトで掻き入れ時のポイント三倍デーにシフトが入ったとしても情熱を持って働いたことは一度も無いわけだし。
妙な納得を覚えつつも無機質な言葉が並んだHITの会社説明を聞いてここでもいいかなと夕夜は思った。
このブースの過疎っぷりを見れば入りやすそうな企業に見えたし、その割には大手だし、コンプライアンス重視してそうだし、あとニートと社会人なら社会的身分が天と地ほど変わる。大学まで行かせてもらって最終就職先がまさかの自宅警備員となってしまったら関係各所全てにメンツが立たない。ゼミやサークルの知り合いに会った時なんかどう言えば良いか分からなかった。
加えて、技術職って言う響きがカッコよかったのも好印象を抱いた理由の一つだ。正直たった1時間弱の説明会では詳細は分からなかったが、ITとか機械とか電子とか、手広くエンジニアリングと言える分野には携わっているらしい。それで大手企業にソリューションを提供? しているとかなんとか。横文字が気になるけど多分凄いことをしてるんだろう。だって和訳すれば解決策だ。つまり大手有名企業の問題を解決する手段を提供する───それってとてもエリートサラリーマンみたいじゃん。手に職が付くから転職にも強そうだ。将来的には洗練された一端のリードエンジニアとして大手企業の技術部門相手に技術を武器に挑む自分を考えて、ヤダ超いけてるじゃないの~!、なんて心の中のおネエがくねくねしながら笑みを浮かべた。
……いいじゃないか、やってやろうじゃないのエンジニア。
そう思った夕夜はその場でエントリーを行い、垢が浮くほど使いまわされたESを提出して、数日で選考通過連絡のメールが来た。
一次面接は人事担当者とリモート面接だった。
自己PRや長所と短所といった就活のテンプレ質問もそこそこに「首都圏希望とのことですが、弊社は全国転勤の可能性もありますが大丈夫でしょうか? 勿論希望は最大限考慮するのでいきなり僻地に飛ばされるだなんてことには基本的にはなりませんけど、念のため確認させてください」だとか「身体は丈夫な方ですか? 弊社の受け持つ案件には夜勤を伴う案件もあるので、健康上の観点から念のためお聞きかせください。勿論夜勤の案件はそう多くないので、敢えて夜勤を希望されるということが無ければそうそうアサインされることはありませんからご安心ください」とか、ちょっと確認ばかり多くない? と不安になった。
そして人生で初めて一次面接を突破すると、二次面接は役員……ではなく一次面接で担当した人事部の上長らしかった。課長か係長か、詳しくは知らなかったが恐らく役職としてはそのくらいだろう。
そこでもリモート面接だったから、今時の企業って言っても最終面接すらリモートなの?、とさしもの夕夜も不振がったが、実際に始まればそれ以前の問題で最早面接の体裁すらなかった。今日の天気の話題から始まり、最近あったニュースの話やら芸能人の結婚話やら、どうでもいい世間話を30分ほど永遠とオントーク。そろそろ相槌打つのきついなぁとか考えていれば「あ、もう時間ですね。いやー大枝さんとは話が弾みましたねえ、では結果は後ほどメールにてお伝えいたします」とあっさりとWeb上の面接部屋から出て行ってしまった。
流石に落ちてそうだなぁと若干ブルーに思っていれば、翌日には内定メールがやって来た。
今までの苦労は何だったんだよ、畜生。
思わず愚痴を零す夕夜だったが、すぐに就活からの解放感に喜色を滲ませて、その日は一人で居酒屋で酒盛りをした。
御社最高! 御社最強! 一生御社に付いていきます! いやもう弊社だったなガハハ!
夕夜は良く分かんない浮かれたテンションのまま、今までの鬱憤晴らすかのように一週間をダラダラと過ごした。
就活に苦しみ抜いた分存分に残り少ない学生生活を楽しんでやると、そんな決意表明を体現する傍らで、ふと脳裏に面接での担当者の言動が過る。
…………冷静に考えて、この会社大丈夫か?
いやいやいや、内定をくれた会社にそんな疑念を抱くのは良くないよな。うん。でもそれはそれとしてこんな内定を簡単にポンと出すのは幾ら規模感のある大企業だからって変な気がする。
忘れようと遊び倒す間にもふとした瞬間に疑問は浮かんだ。
それはまるで死刑宣告を前にした罪人の心情だった。
この春休みが終わればHITに就職することになる。
社会人になれば辞めない限りは50年弱その企業で社畜になるわけで、そんな大事な会社選びに初手から間違ってしまったんじゃないか?
そんな危惧が脳裏を過るたび背中が冷たくなる。
その度にこれはネットでよく聞くあれだ、内定者ブルーだ、会社じゃなくて社会人生活に不安を抱いているんだと夕夜は何度も自分に言い聞かせた。だが憂鬱感は消えしない。納豆みたいに粘りっこい不安感に心臓を握られ、度し難い程の桎梏を前に酒で精神を誤魔化す回数が指数関数的に増加した。
2月中旬、抱えてきたモヤモヤが臨界点に達した夕夜は遂にHITの評判をネットで検索することにする。
出てきたのはブラック人売り派遣企業の文字。エンジニアという体で社員を送り出し、人月単位? で会社が報酬を得るとかなんとか。やはり詳しいことは良く分からないが、それでも不穏なことくらいは分かる。ネット掲示板にはHIT社員が集まったスレもあって、そこには給料が低いだの営業がカスだの数多の愚痴や怨嗟の声が寄せられていた。
一通りそんな悪評を眺め終えて、スマホをベッドに放り投げる。
…………うん、見なかったことにして折角の大学最後の春休み、今を楽しなきゃ嘘だぜ俺!
そうしてこれまでの学生生活の集大成みたいな思考放棄をカマして、夕夜は現実逃避と共に残りの休みを怠惰に消費したのである。
で、その結果が僻地への転勤だった。
エンジニアとして入社して約2カ月。最初の3日間は企業説明とビジネス研修に充てられた。そこで知ったがこの会社の99.9%は採用した正社員を客先に放り投げて、その稼働で金を稼いでいるらしい。いわゆる正社員技術派遣だ。基本派遣を使う企業は大手が多いという話だったが、この頃になれば夕夜の疑念は破裂寸前だったのであんまり信じていなかった。事実、零細企業の案件は流石に無くとも小規模な企業が派遣を使う事例はあるので夕夜の懸念は正しかったりする。
その後は工業高校の教科書を使ってただ講師が教科書を読むだけのスズメの涙くらいのしょっぱい新入社員技術研修を受けた。研修分野は新入社員によって変わり、夕夜のグループは工業領域だったが他の同期は電気系やITを学んでいたらしい。どうせならカッコイイからITが良かった。
しかしそんな不満はすぐに失せ、次第に全く実物に触れたり実際に手を動かすことはなく、ひたすら座学で日々が過ぎていくことに危機感が募ってきた。
技術職ってのは教科書を読んでればなれるんだなぁ、だなんて馬鹿素直に思う訳が無い。理論だけ知ってても経験が無ければ出来ないから技術職のはずなのに、ひたすらに社内の会議室に缶詰めにされて講義の日々。内容自体もそこはかとなく役にも立たなそうな気がして、大学に戻ったかと勘違いしそうだった。
仏像みたいにつまらない研修を受け続けること1カ月強、5月下旬に営業から派遣先への面談が決まったと私用スマホに電話がかかってきた。遥々神奈川から新潟へ上越新幹線を使い日帰りで行かされた先は自動車部品工場。全然大企業じゃなければ規模感的には500人前後だとかで、建屋も昭和感があって古く、ついでに案内された食堂も窓が北向きだからか分からないが薄暗い雰囲気がした。
しかも聞けば仕事内容はライン工(営業は生産ラインエンジニアとか聞いたことが無い言葉を使っていたが)だという。面談では客先の人間から「エンジニアの第一歩として物作りの最前線を経験することはきっとキャリア形成の太い幹となりますよ」なんて言われて、物は言いようだなぁと最早現実味が無さ過ぎて他人事みたく深く感心してしまった。そして帰ってきた翌日には再度営業から電話が来て本格的に派遣契約が決まったから4日後に引っ越しね、1週間後には初出社よろしく! だとか滅法な無茶苦茶を言われ。
ようやく理解した。
自分は良く分からない地方の中小工場にアサイン───というか二束三文で売り飛ばされたのだ。
これまでの説明会や面接での言葉を思い出してはふつふつ怒りがこみ上げてくる。
何がエンジニアファーストだ。何も相談なく派遣先にぶち込まれたぞ?
何が充実の研修だ。充実どころか現場決まった瞬間途中で打ち切りだったが?
何が転勤は基本的には無いだ。神奈川から新潟とかもろ引っ越しじゃねえか?
もはや資本主義の鎖で繋がれた現代の奴隷契約に違いない。
しかもライン工のどこがエンジニアだよ。素人だってエンジニアのエの字も無いことくらい分かるわボケ。
人売って顧客企業の頭数揃えることが弊社のソリューション事業ってやつなんですねああそうですか。
くたばれ。
別に金持ちになろうだとか名声を得ようだとか考えたわけじゃない。
ただ普通に不自由なく生活できる程度の賃金が欲しかっただけなのに、ホントに何故こうなったんだよ。
とか憤慨しながら考えていたが、実のところ、脳では以前から分かっていたのだ。
夕夜は人生において妥協を繰り返していた。人生の分岐路に立った時、必ず成功する見込みがある選択肢を選び続けた。高校受験の失敗経験を活かしたと言えば聞こえは悪くないが、別の言い方をすれば楽な道にずっと逃げているだけで、楽な道の先は大概袋小路に繋がっている。
取りあえずこれでいっかと投下コストの低い選択を重ねた末路だ。
就活だって正直なあなあでやっていた。
親の目もあって少しは意識的に取り組んでますよというアピールこそしていたが、だからこそ三年の春から動いていたのだが、マトモに自分事として捉えたかと言えば否だ。何か適当にやってても社会はこういう凡人を拾ってくれるだろうな、と人任せにのらりくらりと雑に生きていた。確かに将来性とか技術職だとかそれっぽり理由でコーティングしたけど本音では今の企業は難易度低そうだなとか思ったよ。
失敗した理由は理解はできる。
痛いほど自分の過失だ。
しかし、こうも思う。
でもそれのどこが悪いのだろう、と。
だってそれが人間の中央値的な生き方だ。誰しもが自己成長だの高年収だの、歯触りが良い生き方を標榜とするわけじゃないし、地位とか名誉を希求する人間など自身の能力や経験に自負を持つ一部のエリート層だけだ。夕夜は凡人枠代表として言えるが、大半の人間はただ地元で不自由なく生きて行ければそれだけでよかったのだ。
しかし、この仕打ちである。
納得出来ない。
大いに納得が出来ない!
そりゃ自分だって悪いとは思うけどな? 就活を最後までやり通さなかったのは事実だ。幾ら内定が無いとはいえ1月という時期に焦って無暗にエントリーを掛けたのは良くなかったかもしれない。でもそれが人事担当者から嘘を吐かれる大義名分になるとは到底思わないし、何よりこんな扱いをされながら後50年、働ける自信なんて欠片も湧いて来ない。
……………………無理だな。
今からでも遅くない、もっと良い職場を探そう。
大丈夫。最近なら第二新卒の採用だって活発だし、どこか取ってくれる企業もあるさ。多分。
と、まあ。
こんな感じで段ボールが積み重なった広さだけが取り柄の田舎のアパートをバックに夕夜は転職を決意したのだ。
新潟に弾着して3日目の話であった。
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