表現というライトで濃霧を生きる

毎日、このままでいいのか。これから世界を生きていくことへのプレッシャー、無能な自分への絶望感。アイディアを形にできるか、思いを発信できるか、クオリティが低いこと。全て自ら行動して世界を開拓していかないと現状のままであると言うこと。それらに不安と怖さを感じていると夜が眠れなくなって、暇なので今これを書いている。

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私の人生は楽しくもないし、私の人生はほぼ霧がかかって暗闇のような人生だと思う。だけど、いや、だからこそ自ら電気を作り目の前を照らして、手当たり次第、綱を探し、それを辿って生きていかないと私は生きることができない。その電気というのが私が作る鯉のぼりだったりテキスタイルの作品、富士さんの作品なのかもしれない。

ただ絵を描くことだけでは表現できない私の無能さ、それを痛感してるから私は絵をあまり描かないし。

もっと四角の中だけでは表せないところを見たいという自分の願望のような。モヤモヤしたところがある。

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この日本では自殺者数が極めて多い。食べ物もそこら中で手に入るし、水も豊だけど。何か精神的に枯渇する、精神の栄養がこの日本には不足していると感じている。お金があればいい、食べ物があればいい。その様な機能ばかりを追い求め、その分、精神的なところを見落としていると思う。

自らの人生を俯瞰し考える時間さえも学校や仕事でできないのかもしれない。人生を考えるきっかけになる様な、精神的に栄養となる感動を生む機会。それらが失われているのが日本で、その結果が自殺者数が多いということにつながっているんじゃないのかな。

機能を追い求めるということは、無駄を捨てるということ。芸術やファッション、表現はすっごい無駄。だけど死ぬほど感動するし私だってそれらに救われてきたしそれらを光として生きてる。だから無駄はすごく大事じゃね?


https://ameblo.jp/kaneisyasin/entry-12571390745.html



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