再審事件の鴨志田先生に聞いてみた(要約版)
大崎事件の再審事件や再審法の改正に尽力をされている鴨志田先生に対するインタビューを要約しました。
ぜひ動画もご覧ください。
1.対談形式の要約
司会者:鴨志田先生、今日はお越しいただきありがとうございます。まず、簡単に自己紹介をお願いできますか?
鴨志田:はい、私は京都弁護士会に所属している弁護士の鴨志田あゆみと申します。もともとは鹿児島県弁護士会に所属していまして、現在も「大崎事件」の弁護団に携わっています。
この事件は、95歳の原口文子さんという女性が一貫して無実を訴え、再審請求を続けているものです。私もこの弁護団で事務局長を務めています。
司会者:そうでしたか。先生の経歴の中でこの大崎事件に取り組むに至った経緯や思い、ぜひお聞きしたいです。まず、先生が弁護士を志すきっかけを教えていただけますか?
鴨志田:実は、私が弁護士になったのは比較的遅くて、合格したのは40歳の時、弁護士登録したのは42歳の時です。
もともとは普通の会社で働いていたんです。その前には音楽を志していたこともありました。6歳の頃からピアノを習い、高校3年生の春までは本気で音楽の道に進もうと思っていました。ですが、高校3年の5月に父が急逝し、音楽を続ける経済的な余裕がなくなってしまいました。
司会者:それは大変でしたね。音楽から法律へと方向転換されたと?
鴨志田:はい、そうなんです。父の死をきっかけに、急遽一般の大学を受けなければならなくなりました。その時、奨学金も取らなければ学費も難しかったので、現役で合格する必要がありました。限られた選択肢の中で、たまたま合格したのが慶応大学の文学部でした。
法学部を目指していたわけではなかったんですけど、大学生活を送る中で、少しずつ法律にも興味を持つようになったんです。
司会者:なるほど。それからは法律の道に進む決心を?
鴨志田:いえ、その時はまだ法律家を目指すつもりはなく、ただ就職が厳しい状況で、法学部の知識が活かせる方向に自然と進むようになっただけです。
司法試験の勉強を始めたのも、就職活動で苦労した経験があったからです。もともと自力で何かを成し遂げるのが好きだったので、「実力で勝負できる道に進んでみよう」と考えて、少しずつ勉強を始めました。
司会者:そのような経緯だったんですね。実際に司法試験に挑戦する決意はどのように生まれたのでしょうか?
鴨志田:大学を卒業してからしばらくは、普通の会社員として働いていたのですが、その後結婚し、家庭を築くために鹿児島に戻りました。
息子が生まれて、専業主婦としてしばらく家庭に専念していましたが、少しずつ「また自分の夢に挑戦したい」と思い始めたんです。
司会者:そして再び勉強に取り組まれたと?
鴨志田:ええ。実は、当時子育ての合間に資格を取ることを始めました。宅地建物取引士や社会保険労務士、行政書士など、法律の周辺資格を取り、法律の知識を錆びさせないようにしていたんです。
そうするうちに「司法試験に再挑戦してみようか」という思いが強くなりました。息子が小学校3年生になる頃には、少し時間が取れるようになったので、本格的に試験勉強を再開したんです。
司会者:勉強と育児の両立は大変だったのではないですか?
鴨志田:確かに大変でしたね。当時、働きながら公務員試験予備校の講師もしていて、一日9時間授業をすることもありました。夜中に家事を片付けて、深夜に勉強を始め、翌朝また子どもを送り出して仕事へ行く日々でした。結局、一日3時間勉強時間が取れればいい方でしたね。
司会者:それで40歳で見事合格されたんですね。司法試験に受かった時の気持ちは?
鴨志田:本当に不思議でした。「なぜ自分が合格したんだろう?」と(笑)。でもやはり、公務員試験の講師として、法律の基礎知識を教えていた経験が役立ったと思います。自分が理解していないと人には教えられないですから、条文や判例に対する理解が自然と深まっていったのかもしれません。
司会者:そこから今の大崎事件にもつながるキャリアが始まったんですね。その大崎事件に携わることになったのはどのような経緯だったのでしょう?
鴨志田:大崎事件に出会ったのは司法研修所の収集時代です。当時、鹿児島地裁での実務収集で担当した先生が大崎事件の弁護団長をしており、そのご縁で事件の記録を見せていただきました。
私はこの事件に関わるまで再審事件に特別な興味があったわけではないのですが、事件に関する資料を読み込むにつれ、強く惹かれるものを感じました。
司会者:その資料を読まれたとき、何か心に引っかかるようなものがあったのでしょうか?
鴨志田:はい、原口さんが終始「私はやっていない」と言い続けていること、そして当時の事件の証拠や状況に矛盾が多いことに驚きました。弁護団の方々が「この事件は冤罪だ」と確信を持って再審を求めている理由が、読めば読むほど理解できました。
特に、事件当時の証拠や供述が不自然で、科学的な証拠との乖離があることが見過ごせませんでした。そこから「この事件を本当に検証すべきだ」と思いが強まりました。
司会者:冤罪の疑いが強くても、再審が認められるのは難しいと聞きますが、なぜこのようなハードルが存在するのでしょうか?
鴨志田:一つは、日本の刑事司法制度が非常に保守的で、過去に下された判決を覆すことを躊躇する傾向があるからです。特に刑事事件の場合、再審請求には「新しい証拠」を提示する必要があり、これが非常に厳しい基準で審査されます。
また、再審制度自体が制度的にも社会的にも重視されにくい側面があるため、特に地方の小さな事件や高齢者の事件は目を向けられにくいです。大崎事件もその一例だと思います。
司会者:なるほど。再審を求めるには新たな証拠が必要ですが、それを見つけ出すのも一筋縄ではいかないのでしょうか?
鴨志田:まさにその通りです。新たな証拠を見つけ出すためには、当時の証拠品や証言の再調査、科学的な再検証など、多大な労力が必要です。さらに、証拠が失われていたり、検察側が資料を開示しなかったりするケースもあります。
それでも、私たち弁護団は科学者や専門家とも連携し、少しでも新たな証拠を見つけるべく努力を重ねています。私たちの活動が、少しでも正義の実現に近づくための力になれればと思っています。
司会者:具体的には、どういった専門家との連携があるのでしょうか?
鴨志田:例えば、DNA鑑定や当時の証拠品の科学的な分析を依頼するために法医学者や遺伝子学の専門家と連携しています。また、心理学の専門家にも協力してもらい、証言の信頼性や供述の変遷についての解析をお願いすることもあります。さらには、事件当時の証拠がどのように扱われたかを調査するために、刑事事件の専門家にもアドバイスをいただいています。
司会者:非常に綿密で総合的な取り組みをされているのですね。そのような取り組みを経て再審が認められるケースもありますが、再審が却下されるとき、どのような課題が浮かび上がると感じますか?
鴨志田:再審が却下される際、やはり「制度の硬直性」が大きな課題と感じます。日本の司法は、一度確定した判決を変えることに対して非常に慎重で、特に刑事事件では「判決が間違っていたかもしれない」という認識が広がることを避けたい傾向があります。さらに、事件の関係者が高齢化し、証言が得られにくくなるなど、時間が経つことによるハードルも大きいです。
司会者:では、再審制度を改善するためには、どのような改革が必要だとお考えですか?
鴨志田:再審制度の改善には、まず「新しい証拠」の基準をもう少し柔軟にすることが必要だと思います。現在の基準では、科学的な進歩による新たな鑑定結果でなければ再審が難しい状況ですが、証言の変遷や供述の信頼性についてもより広く考慮すべきだと考えます。
また、検察側にも、再審請求が出た場合に全証拠を迅速に開示する義務を負わせるべきです。さらには、再審請求を審理する裁判官がより積極的に事件の再検討を行う制度設計も必要だと思います。
司会者:それでは、最後に、鴨志田先生が弁護士として今後の目標や展望についてお聞かせいただけますか?
鴨志田:私は引き続き、大崎事件の弁護団として全力を尽くしたいと考えています。この事件は、司法制度に対して疑問を投げかける重要な問題を含んでいますし、何より原口さんが長い間、無実を主張し続けている姿に私自身も心を動かされています。今後も、他の再審請求案件に携わりながら、冤罪を防ぐための制度改善や、冤罪被害者の救済のための活動を続けていきたいです。
そして、次世代の弁護士たちにも「本当に困っている人に寄り添う弁護」を伝えていければと思っています。
司会者:本当に素晴らしい志ですね。今日は、鴨志田先生の信念と、再審制度の厳しさ、そして冤罪を防ぐための取り組みについて深く知ることができました。貴重なお話をどうもありがとうございました。
鴨志田:こちらこそ、ありがとうございました。
2.より時間がない人のために
鴨志田先生の自己紹介:京都弁護士会所属で、以前は鹿児島県弁護士会に所属。
「大崎事件」に携わっており、95歳の原口文子さんの無罪を訴える活動に取り組んできた。
大崎事件を通じて法制度の不備を感じ、最新法改正にも尽力。
弁護士になった経緯:もともとは音楽を目指していたが、高校生の時に父親の急死で断念し、慶應大学文学部に進学。
大学卒業後、司法試験を目指すが、途中で断念し会社員になる。その後、結婚・出産を経て再挑戦。
鹿児島に移住し、家族の支援を受けながら資格を取得。公務員試験の予備校講師として働く。
小学3年生の息子の成長に合わせて、司法試験の勉強を再開し、42歳で弁護士登録。
初めての就職先は鹿児島総合法律事務所で、弁護士業務と国選弁護人、DV被害者支援を担当。
女性弁護士が少ない時代であり、地域社会や弁護士会内で女性の役割を求められることが多かった。
「大崎事件」の弁護団に所属し、事務局長としてチームの再編や若手弁護士の参加を促進する役割を担う。
最新弁護の長期的な活動に対して、チーム一丸での取り組みを行い、他の弁護団からも学びを得る。
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