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コンペ荒らしたら電通から電話かかってきたときの話

 学生時代、僕はコンペ荒らしと呼ばれていました。別になろうと思ってなったわけではなく、いつの間にか狭い界隈でそう呼ばれるようになってたという感じです。

 お金がなかった僕は学費を稼ぐために、とにかくバイトをしていました。早朝にコンビニバイト、日中は大学とサークル、夜に音響スタッフやテレビ局のAD、ときどき学食の皿洗い。週末にも単発のバイトを入れ、夏期休暇には実家にも帰らず、甲子園球場で真っ黒になりながらまたバイト。バイトバイトバイト.......。おかげで遊ぶお金も時間もないし彼女いないし何故か研究データも消えました。(ちゃんと友達はいました)

 親の金で大学生活を満喫する奴らが憎いッ!

 僕の怒号がフォロワー60人のTwitterに乗って世界に響き渡ります。「翔んで埼玉」のZ組のような格差社会に嫌気がさした僕は、若さゆえの激しさに心を囚われ、在学中にキラキラした連中に何らかの爪痕を残すことに躍起になりました。そしてあわよくばと、キラキラした青春を送る妄想に耽る等してました。そんなとき、ふと学内掲示で見つけたのが番組コンペです。

 脳みそミジンコの僕は、コンペというのはboketeみたいなもので、主催者がお題出すからそれに合わせたクリエイティブをくれというものだとすぐに理解しました。(違います)

 学内掲示されているということは、キラキラした連中もこのコンペに参加する。そいつらを蹴散らせば日頃の鬱憤を晴らせるし、うまくいけば大学から助成金をもらえるかもしれない。そしてスポ根マンガよろしく、爽やかな試合の後「やられたよ」とか言いながら連中がキラキラ会に僕を引き入れてくれるかもしれない。そうおもいました。

 自意識過剰な「かもしれない運転」に身を任せ、僕はコンペ用の制作物を大学の空コマでつくります。基本二人トークだったラジオ番組コンペに、僕は野菜に名前を付けて永遠話しかけ続ける番組を提出しました。銀賞でした。しかし現実は甘くありません。連中はキラキラ会に僕を入れなかったし、なんかコンペ荒らしと呼んでました。

 そんな日々を繰り返していたある日、キラキラ会の総本山、電通が学生に向けたコンペを開催します。フリー素材を使ってなんか面白い広告を1週間でつくってというものです。シンプルゆえにかなり難しい内容です。何より広告するものが何なのか決まってません。一休さんです。悩みに悩んだ末、僕は自分自身を広告することに。結果、僕はフリー素材になっていました。

 課題を提出した数日後、電通から電話がかかってきました。今でもはっきり覚えています。

「おめでとうございます! 1位ですよ!」

 緊張した僕は言葉に詰まりました。

「あ、ありがとうございます......!」

「あ、間違えました。2位です!」

「え!? あっ...ありがとうございます!」

 そう返した後、ちょっとだけ間が。相手先の背後はがやがやしていたような気がします。そして、

「すみません、3位でした」

 マジかよ。ようやく僕は相手の意図を理解。学生の僕でも電通は体育会系企業だということは聞いてました。うまい受け答えを求めていたのです。

「......ちょっと勘弁してくださいよ~!」

 絞り出すように命乞いをしてようやく許してもらえました。初めから3位だったのか、受け答えによってランクダウンしていたのかはわかりません。ただ、僕はこの一件から広告屋にはなれないなと痛感しました。

 漠然としたキラキラした世界への憧れはありましたし、大手広告代理店への就職を夢見たこともありました。しかし「この番号にいつでも掛けてきていいよ」と言われても、もう怖くて掛ける気にはなれません。

 世間から注目を集めるクリエイティブを出し続ける企業パワーというのは、個々のノリとか空気読みとか最早そういうコミュ力の領域ではないと体感したってお話でした。

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