草笛双伍 捕り物控え一 鬼神丸2
「これで3人目だ」
沢村誠真は半ばあきれ顔でつぶやいた。
松本佐平の遺体の周りには、野次馬でごった返しだ。
明智左門筆頭与力以下、橋本隆三、古川邦助などの
同心たちも、その無残な松本佐平の遺体に手を合わした。
下っ引きたちは、うるさい野次馬を追い払っていたが、
一人の岡っ引きが現れた時、その男に道を開けた。
その岡っ引きとは―――双伍である。
それに気づいた明智左門が、双伍に声をかけた。
明智左門は長谷川平蔵の信頼する腹心で、背丈は六尺を越える大男だった。
「おう、来たか双伍。お前の見立てを聞きたい」
「あれは何ですかい?」
双伍は永代橋に突き刺さった、松本佐平の折れた剣の切っ先を指差した。
「どうも佐平殿は辻斬りと斬り合ったらしい。
それで剣を折られた。あれがその切っ先だ」
明智左門は答えた。
「じゃあ、また辻斬りが出たんですかい?」
双伍は松本佐平の遺体のそばに座り込んだ。
「ああ、このふた月で3人だ」
明智左門はため息混じりに言った。
そのあとに橋本隆三が言葉を継いだ。
橋本隆三与力は人格者で、同心たちの評判も良く、頭の切れる男だ。
「それもどの訴訟人(現代でいう被害者のこと)も、
腕の立つ剣客ばかりときてる。
最初は蒼空流の使い手、菊川信之助。
二人目は九連一刀流師範代、熊谷矢衛門。
そして松本佐平。風間真道流の師範だ」
双伍は死してもなお放さぬ、松本佐平の右手に握られた刀を見やった。
「どうした双伍」
沢村誠真が問いかける。
「いえね、この刀の断面が妙でしてね」
「おおかた斬り合いのときに折れたんだろ」
と古川邦助。
古川邦助は体型がぽっちゃりとしており、女人のように
肌が白い。性格もおだやかで腰が低い。
「旦那方、この佐平殿の握られた刀の断面、
まったく刃こぼれしてねえ。
一直線に切断されたみてえに・・・」
双伍の言ったことに、古川邦助が呆れ顔で言った。
「するってえと、刀で刀を斬ったとでも?」
「いや、断言はできねえですが、佐平殿の剣も
名刀といっていい代物でさ。
それを断ち切るとなると・・・」
双伍は考え込んだ。
「腕が立つ上に、刀を斬る刀の使い手か。厄介な辻斬りだな・・・」
沢村誠真がつぶやくように言った。
「刀を斬る刀だと?」
長谷川平蔵は双伍の言葉に、驚いた顔を見せた。
清水門外の役宅の裏戸の縁側。その場に双伍は肩膝を着いている。
「あの刀の断面を見ると、そうとしか
思えないんでさぁ、旦那」
「お前がそう見立てるなら、ありうるかもな」
平蔵はキセルの紫煙をくゆらせる。
「旦那、何か思い当たるものはないですかい?」
しばらく思案していた平蔵だったが、
合点がいったように膝を打ち鳴らした。
「ひとつだけある。鬼神丸と呼ばれる刀だ」
「鬼神丸?」
双伍も初めて聞く名だった。
「ああ、戦国の世から伝わる名刀中の名刀だ。
手入れするときにも、切れ味が良過ぎて
指を落としかねねぇ物騒な代物だと聞く。
オレも実物を見たことはねぇがな」
「じゃあ、辻斬りはその鬼神丸を・・・。
その鬼神丸は今はどこに?」
双伍の双眸が剣呑な光を帯びる。
「あら、双伍さん、そんな所に座って。
縁台に座りなさいな」
緊迫した空気を、優しげな声がその場の雰囲気を和らげた。
声の主は久栄。長谷川平蔵の妻である。
どんな男もため息を漏らすほどの器量の持ち主で、
優しい心も併せ持つ、まさに天女を絵に描いた女性だった。
その手に持たれた盆には、茶を入れた湯のみが二つ乗っている。
「ささ、茶でも召し上がれ」
優しく微笑む久栄に、さすがの双伍も頬を赤らめる。
「じゃあ、お言葉に甘えまして」
双伍は平蔵の隣に座った。
「それでは、ごゆっくり」
そう言うと、久栄は奥にさがった。
「さっきの話だが、その鬼神丸って刀は、
どこかの金持ちの武家が数千両で買い取ったって
話だ。もっともオレも噂で耳にしただけだがな」
平蔵は夕焼けの迫る、朱色の空を見上げていたが、
双伍に向き直って言った。その表情には厳しい色が垣間見える。
「ところで双伍。今回ばかりは相手が悪い。
もし鬼神丸の使い手となれば、お前でも
容易にはいくまい。
明智左門たちに任せておけ」
双伍は出された茶を一口含むと、不敵な笑みを浮かべて言った。
「旦那、刀は斬れても、十手は斬れませんぜ」