呪会 第8章
亜希子は、浅い眠りから目覚めた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた白い自室の天井だ。
カーテンは閉められているので、室内は薄暗い。
窓とカーテンの間から、
日差しがこぼれているからまだ陽は高いようだ。
昨日、バスの車内で呪会からのメールを受け取った。
そのショックのあまり、自分がどういう風に
自宅まで帰ったのか、亜希子の記憶は定かでなかった。
ただ、母親の由実がとても心配していたのを覚えている。
亜希子は帰宅するとすぐ、
食事もとらずに自分のベッドにもぐりこみ
そのまま朝を迎えたようだ。
だが、眠った自覚はなかった。
自分が現実の中にいるのか、それとも夢の中にいるのか、
その感覚があいまいなまま時が経った感じだ。
今朝、意識の朦朧としたままの記憶では
由実が亜希子の体調を気遣い、
大事をとって学校を休ませる旨の電話をしていたように思う。
亜希子は微熱がある以外、特に異常はなかった。
由実も疲れが出たのだと判断したようだった。
「今日の会議はどうしても抜けれないの。
ごめんなさい。じゃあ、行ってくるわね」
そう言って出かけて行ったのを、うつろに覚えている。
そしていつものように冷蔵庫の中に
作り置きの料理があるから、温めて食べるようにとも・・・。
亜希子は半身を起して、部屋の隅に立てかけてあるスタンドミラーを見た。
記憶にははっきりと残ってないが、制服は着替えたようだ。
お気に入りのレモン色のパジャマを着ている。
そこでふと机の上に視線を移した。
そこには自分の携帯電話が置いてあった。
着信のランプが明滅を繰り返している・・・・・。
携帯電話を手に取るのが怖かった。
また呪会からではないか、という怖れが脳裏をよぎる。
呪会からのメールは衝撃だった。
4年間も放置していた呪会からメールが来たのは昨日が初めてだった。
その文面が携帯の画面に描かれたままに記憶に呼び戻される。
(To 亜希子さま
おめでとうございます。
菅野好恵は削除されました。
今度はあなたの番です。 呪会より)
亜希子は唇を噛んだ。菅野好恵の死には、
やはり〈呪会〉が関わっているのか?
彼女の事故をニュースかなにかで知り、
さも呪会が天罰を下したかのように、
アピールしているだけではないのか?
そういう風に考えることもできるが、
それが亜希子の願望のこめられた答えで
あることに彼女自身わかっていた。
亜希子はベッドを降り、ゆっくりと机に近づいた。
深呼吸すると、ランプの明滅を繰り返す
携帯電話に手をのばした。亜希子は携帯を開いた。
液晶画面に映し出されたのは、米倉里美の名前だった。
安堵のため息をつくと、亜希子は通話ボタンを押した。
「もしもし・・・?」
『アッキー?今日はどうしたんだよ!?
みんな心配してるよ』
里美の元気な声は、
亜希子の陰鬱な気分を吹き飛ばしてくれるようだった。
「ごめん、ちょっと気分が悪くて・・・・」
『―――と思ってさ、みんなでお見舞いに来たんだよ』
「・・・え?」
その時、玄関のチャイムが鳴った。亜希子は、
あわてて玄関に向かった。
インターホンに映し出された
モニター画面には米倉里美がこちらに
手を振っている姿が映し出されている。
彼女の後ろには加原真湖と来島祥子の姿も見える。
亜希子はドアチェーンを外すと、ドアを開けた。
「アッキー、メールくらいしろよな~。
それもできないくらい重病なのかと思ったよ」
亜希子の姿を見て、開口一番、里美は言った。
「ごめん、ちょっと考え事があって・・・」
「ま、いいや。意外と元気そうだし・・・・。
というわけで、お邪魔しまぁ~す」
里美たちは言うが早いか、どかどかと上がり込んだ。
「あれ?おばさんは仕事?」
両手に缶コーラ数本と、ポテチなどの
スナック菓子を詰め込んだ
コンビニの袋を提げた真湖が言った。
見ると、里美と祥子も同じような
コンビニ袋を提げている。
里美達3人は、迷わず亜希子の部屋へ直行した。
週に1度は遊びに来ているだけに慣れたものだ。
部屋に入ると、それぞれの指定席におさまる。
里美は亜希子のベッドに陣取り、
真湖はテレビに一番近い場所に座り、
祥子は亜希子の机に備え付けられている椅子に跨った。
彼女たちの手にはコーラの缶が握られている。
里美はポテチの袋をやぶくと、
その数枚を一度に口に放り込んだ。
亜希子も半ばあきれ顔で、ガラステーブルについた。
「今日休んだのは、どういうわけ?
見たところ風邪って感じじゃないけど・・・」
里美はポテチをほおばったまま、
口をもごもごさせながら言った。
いつも太り気味の体質を嘆いているが、誰もが彼女のこの姿を見たら、
本当に悩んでいるのか疑問に思えてくるだろう。
「宮島君、しょげちゃって、
ちょっとかわいそうだったわよね?」
跨った椅子を左右に回しながら、祥子が言った。
「宮島君が・・・?」
思わず亜希子は問い返した。その問いに里美が答える。
「そうそう。宮島の奴があんなに
ヘコんだの見たことないよ。
なんでも自分の言ったことで
アッキーを傷つけたんじゃないかって
言ってさ。それで日向は
休んだのかもしれないって・・・」
それを聞いて、亜希子は祐介に
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
すぐにでも誤解を解きたくて、
携帯電話に手をのばしたい衝動にかられた。
「それで宮島君は何か話したの?」
亜希子はおそるおそる訊いた。
「それが何もしゃべらないのよ。
日向に直接聞いてくれって・・・」
里美は亜希子の瞳をのぞきこむように言った。
「さあ、何もかも話しちゃいなよ。親友でしょ、私たち」
里美の真剣な口調に、亜希子の心は揺れた。
本当に呪会のことを話してもいいのだろうか?
一瞬、その疑問が頭をよぎった。
呪会のようなサイトの会員だった亜希子を、
里美達がどう思うか?
真実を話すことで、親友を失うことになりはしないか・・・?
それは祐介に話す前にも考えたことだ。
でも祐介は受け入れてくれたではないか。里美だって、
きっとわかってくれる・・・。
そんな希望が亜希子に勇気を与えた。
「これから話すこと、ここだけの秘密にして・・・」
里美達3人に向き直ると、亜希子は静かに話し始めた―――。
亜希子はすべてを話した。
中学生の頃、いじめにあっていたこと。
そのいじめに抗うつもりで始めたブログのこと。
ブログで知り合った友人に紹介され
た呪会というサイトのこと。
その後、呪会の会員になったこと。
そして4年経った先日、いじめのリーダー格だった菅野好恵が
列車の事故で亡くなったこと・・・。
話し終わると、亜希子は里美達の審判を待つ気持ちで瞼を閉じた。
「そんなことがあったんだ・・・」
心なしか里美のその声音には、
亜希子に同情するような、温かみを帯びているようだった。
祥子と真湖も驚きと共に、慰めるような眼差しを亜希子に向けている。
「アッキー、なんでもっとはやく話してくれなかったのよ」
里美が少し怒ったような口調で言った。
「・・・軽蔑しないの?私のこと」
「なんで軽蔑すんのよ」
里美はあきれたように言った。
「呪会みたいな・・・
人を呪うようなサイトの会員だったんだよ。私」
亜希子の声はこみ上げる嗚咽に震えていた。
「いじめられていたとはいえ、
彼女の名前をサイトのリストに書き込んで・・・。
死んじゃうかも知れないのに・・・・!」
亜希子は両手で顔を覆った。とめどなく涙が溢れてくる。
「アッキーは悪くないよ。
悪いのはその菅野って女だよ」
そう言ったのは真湖だった。
普段は言葉少ない女の子だがその口調には
少なからず怒りが含まれていた。
「そうよ。真湖の言う通りよ。私だって、
アッキーと同じ立場だったら同じことやったかもしれない」
真湖の言葉に同調するように、里美は言った。
「じゃあ・・・私のこと嫌いにならない?
これからも・・・友達でいてくれるの・・・?」
声の震えが止まらない。
「あったりまえじゃん!
そんなこと心配してたの?バカだね、アッキーは!」
そう言いながら里美は亜希子を抱きしめた。
亜希子は安堵感と里美達の優しさに、
全身から力が抜けるようだった。
亜希子はこみ上げる嗚咽を止められず、
今度は声を上げて泣いた。
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