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名無しの島 第5章 長崎県最南端枕崎市へ

 鹿児島県枕崎市の漁港は、枕崎市自体の人口こそ少ないが、

南部に東シナ海を臨み、カツオの水揚げが

全国有数規模の枕崎漁港を持つ。

雲ひとつ無い晴天ともあって、潮風もすがすがしい。

目前には、かすかな白波を立て凪いでいる、

コバルトブルーの美しい海が広がっている。

その風景に、5人は旅の疲れが癒されたような気分だった。


水落圭介は事前に連絡を入れておいた、

漁業組合のある建物に向かった。他の4人も彼の後に続く。

漁期ではないらしく、魚河岸は閑散としていた。

人の姿もほとんどない。

 水落圭介は『枕崎市漁業組合』という縦看板がある、

2階建てのプレハブの建物の1階、事務所らしき入り口を見つけた。

アルミの横開きの扉を開ける。

室内には10ほどの事務机に、

同じく事務用の書類棚が整然と置かれていた。

その奥まったひとつの机に、

60代くらいの年配の男性が書類を整理している。

「あの~お電話差し上げました、

 東京から来ました草案社の水落ですが、

 所沢宗一さん、いらっしゃいますか?」

 水落圭介の呼びかけに、その年配の男性が顔を上げる。

彼は老眼鏡をはずして、圭介たち5人を見た。

その男は上下とも薄いグレーの古びた作業服姿で、

胸元のポケットの上には『枕崎市漁業組合』と

青く刺繍されていた。

「草案社?ああ・・・所沢さんね。聞いてますよ。

 ちょっと待っててください」

 その男性は受話器を手にして、プッシュボタンを叩いた。

「所沢さん?私だ、鐘ヶ江だ。

 東京から来た草案社の方がみえてるんだが、

 こっちにこれるかい?」

 鐘ヶ江と名乗ったその男性は、何度かうなづいた後、

受話器を置いた。

「所沢さんは、今、漁港で作業いているらしいんで、

 そっちに直接行ってもらえますか?」

 鐘ヶ江は、その方向を指差すが、

室内で方向を示されてもわかりづらい。

「所沢さんの船の特徴とか、わかりますか?」と圭介。

「この時間、作業してるのは所沢さんだけだから

 行けばわかりますよ。この建物を出たら、

 漁港沿いに左に行ってください」

 と素っ気無い返事だ。用が終わったなら、

さっさと出て行ってくれといわんばかりに、雑務の作業に戻った。

 水落圭介たち5人は、鐘ヶ江に礼を言うと

その漁業組合の事務所を辞去した。


建物を出ると、彼の言う通りに、左に向かった。

漁港には大小様々な、何隻もの漁船が浮かんでいた。だが、

どの船も港にもやっており、人気は無い。

波は凪いでおり、静かな波音を立てている。

「水落さん、あれじゃない?」

 そう言いながら指差したのは、有田真由美だった。

 彼女が指差した方向を見ると、確かに一人だけ、

漁師が漁船の上で投網をたたんでいる。

5人はその漁船に向かう。

「所沢宗一さんですね?」

水落圭介はその漁師に声をかけた。

その漁師は40代後半と思われ、いかにも漁師らしく

顔や腕は日に焼けており、ごま塩のような白髪交じりの髪を

丸刈りに刈り込んでいる。

服装はビニール製のサロペット―――

胸まである防水ズボンをはいていた。

上着は長袖の白い薄手のトレーナー

(ただ汚れやシミがまだらに付いて汚れている)。

そのトレーナーは前腕部まで捲り上げていて、

逞しく太い腕がのぞいていた。

投網をたたんでいたその漁師は手をとめて、水落圭介の声に顔を上げた。

「ああ、オレが所沢だ。あんたか、東京から電話してきたのは」

所沢宗一は少し面倒くさそうに言った。

そしてまた投網をたたむ作業を再開する。

「ええ、水落といいます。

 それで所沢宗一さんの名前が、

 行方不明になった桜井章一郎の

 ファイルにあったもので。何かご存じないかと・・・」

 圭介は所沢宗一に訊いた。

「桜井だかなんだか覚えちゃいねえが、確かに何とかライターって

 言ってた奴を乗せたよ」

口調は相変わらず、ぶっきらぼうだ。

 所沢宗一はたたみ終わった投網を、船上に置いた。

「・・・乗せたっていうのは、『名無しの島』へですか?」

 圭介の問いに、所沢宗一は顔を上げて、圭介を見た。

表情が一瞬険しくなったように見えた。

「かもな。で、オレに何の用だ?」

 所沢宗一は両腕を組み、圭介を睨むように言った。

「私たちを、その『名無しの島』まで

 乗せていってくれないかと・・・」

 圭介の言葉に、所沢宗一は目を丸くした。

「あんた、本気で言ってんのか?」

 所沢宗一が眉間に皺を寄せる。

そしてその目つきに鋭さが増した。

「勿論、タダとは言いません。これでどうですか?」

 水落圭介は腰に巻いたウエストバッグから、封筒を取り出した。

所沢宗一は漁船と港をつなぐ、渡し板を歩いて5人のところまで来た。

圭介からその封筒を受け取ると、所沢宗一は中身を覗いた。

その表情に、わずかにほころぶ色が伺えた。

「行きが15万、そして5日後迎えにきてください。

 その費用が15万。どうです?」

 水落圭介は少し懇願するように言った。

「二往復で30万か・・・悪くねえな」

 所沢宗一は軽くうなづく。ギャンブルで借金している所沢にとって、

現金は喉から手が出るほど欲しいものだった。

 そんな事は露知らず、水落圭介は安堵に胸を撫で下ろした。

とりあえず、交渉成功だ。

とはいっても、その金は圭介のポケットマネーだった。

桜井章一郎救出と『名無しの島』の取材が成功したら、

草案社の佐藤編集長に請求するつもりだ。

ただ、素直に払ってくれるかどうか、心もと無いが・・・。


「えっと、領収書を用意してますので、記入をお願いします」

 圭介はそう言うと、ウエストバッグから領収書とペンを

取り出した。所沢宗一はそれらを受け取ると、書き込んだ。

圭介は所沢宗一に朱肉を渡して、母印を押してもらう。

「じゃあ、さっそく乗せていってくれませんか」

有田真由美が言った。

「無茶言うな。これだから素人は・・・今日は無理だ。

 燃料の補充や船の整備をしなくちゃならねえ。

 それに時間も遅い。今から行くと夜になる」

所沢宗一はあざ笑うかのように、右手を横に振った。

「こっちは夜でも構わないんですが・・・」

 それまで黙って、様子を見ていた井沢悠斗が、快活な声で言った。

「そっちは構わなくても、こっちは構うんだよ」

 所沢宗一の声は怒気をはらんでいた・・・それに怖れも。

「いいか、海図では『名無しの島』までは200キロ弱だが、

 島との間には暖流と寒流が交差していて、流れが速えんだ。

 だから大きく迂回しないと無理なんだよ。

 そうなると250キロの距離にもなる。天候次第だが、

 半日はかかる計算になるんだよ。

 それに夜にあの島に行くのは死んでもごめんだ」

 所沢宗一の険しい表情は変わらない。

だが、その目には怯えの色も浮かんで見える。


「他の漁師をあたっても無駄だ。あんな島に船を出す物好きは

 オレくらいしかいねえからな。

 それに、もうこの金はオレのものだ」

所沢宗一は30万円の入った封筒を、

サロペットの下に履いているズボンのポケットに

ねじ込みながら、自嘲気味に言った。

「海が凪いでいたら、船を出す。明日の朝6時にここに来い」

 所沢宗一はそれだけ言うと、渡し板を歩いて漁船に戻った。

その後は水落圭介たちに、一瞥もしなかった。

 水落圭介はため息をついた。


これから一晩過ごす宿を、探さなくてはならない。

落胆した5人は足取りも重く、枕崎漁港を後にした。

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