妊娠32週(9ヶ月) 双子を産んだわたしの母
babyはここから急速にでっかくなるらしい。一週間で200グラムずつ増えるとか。
今までと胎動がレベルアップした感じ。むにゅーーんって手足を伸ばすような動きが強く激しい。
ピクン♪ドフン♪ブルブルンッ
って、しゃっくりとキックとおしっこを同時にしてるのか合さってリズミカルなセッションになってて笑える。
babyは1800グラムになった。
逆子も直って元気に動いていたエコー。へその緒を頭に巻いて遊んでると先生はいっていた。わたしにはハチマキに見えた。関西人の血ですな笑
・寝ても立ってもお腹が重苦しい
・とにかく眠い
・最近気づいたけど、脚の毛だけが生えてこない…なんで❓…謎。笑
体重制限、なんでこれに早く気づかなかった!
この2週間はがんばった!baby分しか増えなかった体重数値に惚れ惚れ!旦那さんが出張で2週間家をあけたのもあり、食事に手を抜いた結果がコレ!
自分ひとりだと、手抜き料理するからそれがよかったみたい。
米は三合炊いて冷凍。うちには電子レンジがないので、解凍がてらお粥にする。野菜、キノコ、味噌も入れて、あとは厚揚げ、納豆、ゆで卵や焼き魚か鯖缶。
今更だけど体重制限のコツつかんできた。将来もし2人目をつくれるのなら、体重管理・美容・運動は絶対に徹底する!!
そして綺麗系ママとしてYouTubeで絵と妊娠・育児を発信できる人になりたい笑
帝王切開するということ
どうしても自然分娩で産みたい。というのは、わたし自身帝王切開で産まれたから。母の身体に物凄い傷跡を残してしまったから懺悔でもあるのかな。
両親は24歳で結婚、ケーキ屋兼カフェ店を開業。26歳で私たち双子を授かり、つわりでケーキの焼ける匂いに吐きそうになりながら臨月まで働いたそう。
猛暑と言われた年の8月。
お腹の重さ5キロ越、腹囲110センチ、妊娠40週を超えても中々出てこなかった。
地元の小さな産婦人科院に「今か今か」と親族30人が詰めかけたそう。
わさわさイライラする中、24時間かかってさぁいよいよ出るよ!ってなった時…
本来、産道を出る時に引いていないといけない顎を仰け反らせていたわたしのせいで、上手く頭が出なかった。しかも首にへその緒を絡ませ、上から妹がぐいぐい押して…とても危険な状況だったから
結局、帝王切開になってしまった。
母は、「自分の腕に自信がないヤブ医者だ!」って未だに言うけれど、切開されていなかったらわたしは死んでたと思うと、お医者さんにありがとうがいいたいです。
わたし3088グラム、妹2500グラム。
わたしは、オギャーが超デカく、よく寝てよく食べる子だったけど、妹はすぐ保育器に入れられ、泣き声も貧弱でよく泣いて食べない子だったそう。
お腹の中でわたしがグイグイ栄養摂っちゃってたんやね…
500グラム違うだけでこんなに成長が違うんだなと思った写真がこれ。(100日は経ってると思うけど)
わたし(右)ボーボー、妹ハゲ笑
双子というリスク
双子には一卵性と二卵性があって、わたしたちは一卵性双生児で左の一絨毛膜一羊膜双胎。
授かる確率は、自然妊娠で約0.4%(1000件の出産のうち4件程度)。
かつては半分程度が亡くなるといわれていた。
なぜなら一絨毛膜一羊膜双胎が子宮の中で2人を隔てる膜がないから。
栄養がどちらかに偏ったり、へその緒が絡まってしまうことで血液の流れが妨げられ死産に繋がる。
こんなことを聞くと、わたしたちが今普通に息をして、普通に好きなことができてることに感謝してもし尽くせない。。🥺
尚、一般的には早めに入院し34週ごろまでに帝王切開で分娩とする。近年では80-90%が生きられるようになっているそうだ。
母子学級で仲良くなった子は、双子のbabyを授かっていて帝王切開が決まってると言っていたもんな。
昔は色々違ったんだろうな。
帝王切開であっても立派なお産
だから、わたしの母が帝王切開になったのは仕方がないことだと思うし、母もわたしのせいにしてるわけじゃないと思う。
だけど、母がこの話をするたびに子供の頃からわたしはいつも悲しい気持ちになっていたのは事実。
母のお腹は四方に無数の線が入ってる。小さい頃見た記憶しかないけど梅干しみたいだった…母はそれを恥ずかしがって、殆ど一緒にお風呂に入ったことがない。数少ない旅行の温泉でさえ一緒には入らなかった。
横に一筋スッと切る今の切開と違って、当時はズバズバに切るしか技術がなかったのかな。
だから。
自分のbabyには、帝王切開で産みたくない。
少なからずわたしの遺伝を引き継いだその子は自分のせいで…って思ってしまうと思うから。
勿論!もしお腹を切ったとしても
母側のわたしの振る舞いで、相手の感じ方は変わると思うから、言葉は選ぶと思うけど!
そもそも。帝王切開だからダメとかじゃない。ドラマ「コウノドリ」でもあったけど、帝王切開であっても立派なお産であることは間違いないんだけどね!
生きることが大事!!!
「母という人」になる
事実を言うと、母は歳の離れた兄弟から可愛がられ育った末っ子で超箱入り娘!
わたしは干渉されすぎることが嫌いだ。LINEに仕事の手を止めないといけないのも苦手。
母はLINEで繋がろうとするけど、LINEなんかで意思疎通がうまくいくわけがない。
特に感情型人間はやらないほうがいい。
文章なんて受け取り方は人それぞれだから。
どんだけ考え労って送った言葉でも、勝手に傷つく母のことを煩わしく思うことがしょっちゅうだから、余計LINEがいやになった。
そうやって、何度も嘆かせたし泣かせたし、今でも冷たくあしらってしまう。
結婚してからは特に。
妹より気を遣われてる感をすごく感じるけど…
産んでくれたことを想うと涙がでてくる。
そして思う。
わたしのbaby(しかもおんなじ娘)を産むことで、母の気持ちが痛いほどわかるんだろうなって。
そんな母も今や元気な59歳。好きなものをお祝いに贈った!
だけどこういうカタチだけじゃなく、母が喜ぶことを少しずつできたらなって思う。わたしの中では2つある。
①元気なbaby(初孫)を産むこと
②わたしが輝くこと
(夢を成し遂げていく姿を見せる)
近すぎず、離れすぎない、いい距離感で大切にすること。それがわたしの理想。