見出し画像

最初期『ミッキーマウス』3部作に関する雑記(2018年11月)

当記事は2018年11月にブログ『クラシック・カートゥーンつれづれ草』上で投稿した記事群を一部加筆修正し、再掲したものです。

Plane Crazy(1928)

『ミッキーマウス』の誕生

1928年の春にニューヨークへと旅行したウォルト・ディズニーは、そこでオズワルドの権利が配給元のユニバーサルとチャールズ・ミンツにある事を知り、更にはヒュー・ハーマンやルドルフ・アイジング、そしてフリッツ・フリーレングといった有能なアニメーターまで失う事となる。
アニメーターとオズワルドを失ったウォルトの下に残ったのは、スタジオ設立以前からの盟友であったアブ・アイワークスと、当時まだ新人だったレス・クラークを始めとする数人のアニメーターだった。アブは、「ミッキーマウス」という新しいキャラクターが登場するカートゥーンの原画をほぼ1人で、しかも2週間で描きあげた。そして何より驚くべきなのは、この突貫工事で作り上げたカートゥーンが今までのディズニー作品の中で最も楽しい代物だった、という事である。そうして生まれたのが「プレーン・クレイジー」、ミッキーマウスが初めてフィルム上で動いた記念すべき作品である。

この作品は元々はサイレント映画として制作され、カール・ストーリングによるサウンドトラックは1929年の劇場公開時に改めて追加された物である。そのため、音と映像の同期という点では少し原始的な作りになっており、当初よりトーキー映画として制作された『蒸気船ウィリー』以降の作品と比べると見劣りがする。
ただ、映像面では『蒸気船ウィリー』を超える楽しさに満ちているといえるだろう。この6分の短編映画にはパースの変化を存分に楽しめる背景動画や激しいアクション、そしてキャラクターのパントマイムを中心とした愉快なギャグがたくさん詰め込まれており、アニメーションのプリミティブな楽しさを堪能できる。
アブの作画はしっかりした遠近感と流れるようなアニメーションが特徴だが、この作品ではそんなアブの長所が最大限に活かされたといっても過言ではないだろう。
特に目を見張るのは、ミッキーが操縦する飛行機が自動車や柱に衝突するシーンだ。この背景動画の素晴らしさは言葉にできない。まるでこちらまで飛行機に乗っているかのような、素晴らしい酩酊感と臨場感を味わう事ができる。

本作品を含め、初期のミッキーは現在のような紳士的な性格ではなく、いたずらで好色な面が目立つ。オズワルド、そして「フィリックス」や「マットとジェフ」「道化師ココ」といった同時代のカートゥーンキャラクターの基本的な性格を踏襲した結果だろう。(アブのアニメーション自体はポール・テリーの「イソップ物語」から多分な影響を受けていると思われる)
デザインや作風も(同一スタッフなので当然だが)オズワルドとよく似ており、サイレント作品として制作された本作は配給会社が見つからず、お蔵入りになってしまったという。ディズニーとアブが再び栄光を勝ち取るには、本作の試写日から約半年後の11月18日、ディズニー初のトーキー作品「蒸気船ウィリー」の公開日までその好機を待たねばならなかった。

The Gallopin' Gaucho(1928)

『ミッキーマウス』の変化

前作「プレーン・クレイジー(Plane Crazy)」の試写から約3か月後、ディズニーは再びネズミを主人公にした短編を製作する。この作品が試写された8月にディズニー製作分のオズワルドは終了したため、恐らくこの作品はミンツとの契約終了後に製作されたと思われる。オズワルドと並行して製作された「プレーン・クレイジー」とは異なり、こちらは本当に0からのスタートだったのだ。
作画も前作に引き続きアブ・アイワークスがほぼ単独で手がけたと思われる。ただこの頃ウィルフレッド・ジャクソンがスタジオに入社しており、ウィルフレッドとレス・クラークがヘルプで作画したシーンも幾つかあるかもしれない。

この短編作品は、2作目にしてミッキーマウスというキャラクターが2つの面で変化した作品といえる。
まず、デザインが変化した。前作ではフィリックスのような大きな白目が特徴だったが、本作の後半部分からは現在でもお馴染みの黒目がちなデザインになっている。また、ブーツも今作からの着用である。
そして、性格も変化した。前作ではいたずらっぽい好色な面が目立っていたが、本作では一転、勇敢な正義の味方『ガウチョ』を演じている。後のミッキー短編でも本作のようなメロドラマ的な物語は何度となく用いられたが、本作はミッキーが「ヒーロー」としてフィーチャーされた最初の作品といえる。(とはいえ、高笑いしながら煙草を吸い酒を飲み干す荒っぽい所作は、現在のパブリックイメージとは似ても似つかないが…)
また、トーキー版の音楽を担当したカール・ストーリングにとっても重要な作品である。彼は元々映画館で無声映画のための伴奏音楽の演奏や楽団の指揮などを行っていたのだが、恐らく本作と「プレーン・クレイジー」が彼が初めて音楽を担当したアニメ―ションだったと思われる。1930年代後半以降ワーナーにて伝説的な功績を残す事になるストーリングだが、本作は彼の原点なのだ。

本作はストーリーが主体であり、ギャグ中心だった「プレーン・クレイジー」に比べると視覚面での楽しさは薄れている。だが、「ミッキーマウス」というキャラクターの変遷を考える上では重要な作品といえるだろう。そして本作はその完成度の高さにも関わらず、またも配給会社を獲得する事ができなかった。
だが、ディズニーに訪れる大きな好機は、もうすぐそこまで来ていた。

Steamboat Willie(1928)

『ミッキーマウス』の伝説

オズワルドを失ったウォルトとアブが新しいキャラクター「ミッキーマウス」を用いて製作した『プレーン・クレイジー(Plane Crazy)』と『ギャロッピン・ガウチョ(The Gallopin' Gaucho)』は素晴らしい出来だったが、配給会社が見つかることはなかった。オズワルドを始めとするそれまでのディズニー製カートゥーンと、一線を画す物がなかったからだ。ウォルトは、さらなる新しい要素を作品に追加する必要があると悟った。
本作の公開前年には、サウンド付きの映画『ジャズ・シンガー』が大ヒットを記録していた。時代はサイレントからトーキーへと移り変わろうとしていた。成功のチャンスとなる新しい要素は、紛れもなくサウンドだったのである。
こうして「ミッキーマウス」第三作の『蒸気船ウィリー』は、ディズニーとしては初めてのサウンド付きカートゥーンとして製作が開始された。
そして、愉快なネズミが主人公の、およそ7分半のこの短編は、カートゥーン史に残る伝説となったのである。

前二作に引き続いて大部分の作画をアブ・アイワークスが担当したと思われるが、ウィルフレッド・ジャクソンやレス・クラークといった若手アニメーターも製作に関わっている。
さて、本作の最大の特徴は、紛れもなく「音楽とアニメーションとの完璧なシンクロ」にある。

本作は決して「世界初のトーキーアニメーション」ではない。実際に1926年にはインクウェル・スタジオ(フライシャー・スタジオの前身)が既にサウンド付きの小唄漫画『My Old Kentucky Home』を製作しているし、本作公開の2ヶ月前にもポール・テリーがサウンド付きのカートゥーン『Dinner Time』を製作している。しかしこれらの作品は、『蒸気船ウィリー』のように音とアニメーションが完璧にシンクロしているわけではなかった。
本作は蒸気船の汽笛とミッキーの口笛から始まるが、どちらもアニメーションと音楽が完全にシンクロしている。ヤギをオルガンに見立てて演奏するギャグは既に『ライバル・ロメオズ(Rival Romeos)』で使用されたものだが、本作ではさらに有意義なギャグとして効果的に用いられている。バケツを叩くミッキーとドラムの音は完璧に調和しているし、スクリーンの観客に向かって鳴き喚くアヒルは初期トーキー映画の見世物的側面をしっかりと満たしている。
この完璧なシンクロが実現したのは、「バー・シート」や「バウジング・ボール」を作画や録音に用いた事が大きく関係していたという。ウォルトやアブを始めとするスタッフたちの野心と情熱が、カートゥーンに革新をもたらしたのである。

ところが、本作にも欠点がないわけではない。『ギャロッピン・ガウチョ』やそれ以前のオズワルド作品にあったストーリーラインが皆無なのである。
確かに本作はあくまでもミュージカルであり、物語の筋書きは必要ない。つまり「トーキーでないと成立しない作品」なのだが、本作のヒットを機にディズニーではこの後しばらくこういった音楽主体の作品が量産される事になる。ストーリーや視覚的なギャグは二の次になり、音楽に絡めたギャグやダンスが作品の主体になってしまうため、これはどうしても退屈なものになってしまうリスクがあった。
しかし本作には、原始的だが愉快な、音に合わせて絵が動く楽しさに溢れている。家畜を楽器同然のように扱うミッキーも、乱暴だがこの上なく愉快だ。


本作は、アメリカのカートゥーン業界に大打撃を与えた。
ディズニーは一躍業界のトップに躍り出ることになり、1930年代前半までに「ミッキーマウス」はアメリカン・カートゥーンのシンボル的存在になった。
そして、幾多ものスタジオがディズニーの作風(そしてアブの作画スタイル)に影響を受けながら、独自のスタイルを築いていった。「アメリカン・アニメーションの黄金時代」の幕開けである。
本作の影響の強さは、チャールズ・ミンツのスタジオにてディック・ヒューマーらが製作した『Down South』という作品からもよくわかる。ヴァン・ビューレンやハーマン=アイジングの作品も、1930年頃はミッキー調の快活なキャラクターで溢れかえっていた。
一方サイレント時代におけるカートゥーンの王者だった「フィリックス」とパット・サリヴァンはカートゥーン業界の玉座から転がり落ちてしまい、その栄華を取り戻すことはなかった。同じく業界トップから転落したフライシャー兄弟は…業界トップに返り咲く事は決してなかったが、1930年代を通じてディズニーの強力なライバルとして君臨し続けたのである。

本作は、様々な意味でアメリカン・アニメーション史の転換点となった作品である。そして公開から90年を経た現在も決して色褪せる事のない輝きを放ち続ける、まさに「伝説の作品」なのだ。


いいなと思ったら応援しよう!