5教科学ぶ意味
英国数理社を5教科として高校受験の範囲として主に学ぶ。
基本的に推薦入試も含めて、受験を全く勉強をしなかったとしても、
受験というイベントは、ほとんどの人が経験する。
そして、その中で、
なぜ勉強しなければいけないのか?
このイベントになんの意味があるのか?
勉強ができると何が良いのか?
などの疑問が湧き上がり、これらの疑問に対して、
腑に落ちる回答を出せる大人がほとんどいなかった。
そう決まっているから。
俺たちも経験してきているから。
のような、全く回答になっていない回答をする人しかいなかったと思う。
私たちに必要なのは、受験の経験ではなく、“当たり前“の獲得である。
日本では、全員同じタイミングで、同じ範囲の学びを学習しているという“当たり前“を獲得することに受験の意味がある。
そして、そのような“当たり前“を問い直し続けることが、
大人を含めた高校以降、もしくは大学生以降の学びである。
私たちが少なからずの生きた証を残し始めたのが数万年前である。
1万年前から定住し、農耕を始める。
それがなぜ今こんな社会になっているのか。
なぜ今スマホをさわれているのか。
それを教えてくれるための土台が、英国数理社なのである。
なぜ今、この文字が見えているのか。それは光やエネルギーがあるからだ:物理
地面から掘り出した金属を合わせたらなぜスマホが完成するのか:化学
なぜ他の生物と人間の違いはなんなのか:生物
地球とはそもそもどのようにでき、どのように動いているのか:地学
これらのような疑問のヒントが理科には詰まっている。
そして、
なぜ世界、日本の姿や特徴が今のような形になっているのか:地理
なぜ人間は生まれてから今まで平和な世界を作ってこられなかったのか:歴史
なぜこれまでの日本人は、今のようなつまらない社会を作ったのか:公民
これらのような疑問のヒントが社会に詰まっている。
そして、それを読み解く力、計算する力が、英数国である。
そして、すべての学びに共通する学問の出発点は、
「私はなぜ今ここに存在しているのか?」
という問いである。
すべての学問は、この問いからすべてが派生したと言っても過言ではない。
この問いに多くの問いとこたえを求めたのが宗教でもある。
そして、私たちが今すべきことは、この問いを自分なりの解釈を出していくことなんだと思う。
何かを残すためでもなく、世界を変えるためでもない。
ただただ生きる中で、今ここに存在できてよかったと思える人がこの世界に一人でも多く存在できるなら今ここに存在できてよかったと思えると思う。
そして、そのような人に出会えるきっかけが、学びをしていく過程にはあると思う。