なぜ陰謀論的言説に没入するのか
人間(ホモサピエンス)は、社会的集団を形成することで、肉食獣などに食われるだけではない生物として生きてきた。言い換えれば、社会的集団をいかに形成するかで、生存確率が大きく左右する生物であるということである。
生死を問う場面において、一瞬の判断が命取りになるケースは多々あるだろう。
その為に私たちが作り出した思考傾向が、偏見(バイアス)である。
「認知バイアス」と調べれば、今では多くの種類が出てくるが、
私たちは、世間的なバイアスも含めて、多くのことを、本当かどうかを精査することなく、ある程度自分の主観で決めつけている。
つまり、生きやすくする為に生まれたのが、偏見である訳だが、
偏見を、偏見として自己認知できていれば大きな問題は起きないだろうが、
その偏見を、社会の普遍性や確実性として捉えてしまっている場合は、
捉えている人も、その周りの人も非常に生きづらくなるのではないかと思う。
話を戻すと、陰謀論的言説を、一つのフィクション的エンターテイメントとして認識している場合は問題ないが、
「世界はそのようにできている、誰かが設定した通りに進んでいる」という信じてしまう人は、この自分の状況、経験に近しい状況を説明してくれるストーリーをその通りだと信じ込み、確実にそうだと考える。
これは偏見から生まれているはずだが、偏見だと気づけていないので、
自分が信じ切ったストーリーの確実性を追求していく。
なぜそのような姿勢になってしまうのか。
結論から言えば、
確実性への強烈な追求は、純粋な信仰の表現ではなく、
耐え難い懐疑を克服しようとする要求に根ざしているからではないかということである。
エーリッヒ・フロムから見れば、宗教革命でルターや彼の教えに共鳴した人々は、合理的に信じる根拠があるから信じているのではなく、自分自身をめぐる不安から逃れるために、神の恩籠(おんちょう)を信じているのである。
突き放した言い方をすれば、陰謀論的言説を信じるている人は、論理的な意味で信じているのではなく、その信仰に心酔し強烈にコミットすることで、他を顧みずに、不安を抑え込んでいるという事である。
これらは、現代で言えば、資本主義から脱出しようとする自然系の方々に多いパターンでもあると思う。
コロナに関しても、マスク・ワクチン推進派も、真逆の全て嘘だと信じる派も、
思考の仕組みは同じなんだと思う。
(ほとんどの人は、どちらも関係なく、何の判断も決断もせずに、“世間“に順応していると思うが)
自己否定を前提に、大きな“モノ“の一部として自分を認識し、振る舞うことで自分には価値があると強く信じ込もうとする。
このようなエネルギーを利用したのが、ナチスである。
ナチスは偏見から生まれるエネルギーを上手くコントロールする仕組みを理解し、プロパガンダを行っていた。
現代人の多くは、ナチスのようなプロパガンダに引っかからないと思っているだろうが、本当にそうだろうか。
この問いに関しての詳細は、また明日にする。