個人主義と集団主義における利他性について

欧米の個人主義系の利他性とは、個が主体的に、他の利を意識した上で実施される為、
「あなたは利他的ですか?」と問われた場合、利他的であると自覚しているケースが多く、統計的にも利他的であるという結果が得られやすい。
一方で、
日本の集団主義的な利他性とは、無意識的に集団の最適解を察し、行動する(例:レジに綺麗に並ぶ等)。つまり、個の利よりも、他(集団含む)を無意識的に優先し、他の利となるような行動をとる。
これは間違いなく利他的と言えるはずだが、「あなたは利他的ですか?」と問われれば、無意識的であり、むしろ他の個の利益を意識した行動を取っているという意識のある人は少なく、統計的に利他性としてが出てこない可能性がある。

上記のような可能性が考えられる中で、「日本人は欧米に比べて利他性が低い。」
と結論づけるのは非常に安易である。
という批判的な視点から導き出されるものは、
統計的に結果が得られたものが事実だとしても、前提を常に疑いながら、メタ認知思考を行う必要があるということである。

これは幸福感においても同じである。
欧米での幸福感の質問として、「あなたは幸せか?」というものに関しては、
個としての意識と集団としての意識を区別した上で、様々なWellーbeingな要素を抽出した幸福感と照らし合わせて、個と幸せの関係性に関して研究しているが、
そもそも日本では、個と集団(世間を含む)の意識を区別していない人が多くいる可能性がある。
つまり、自分の幸せと集団の幸せを区別していない可能性が高い。自分が意識する集団が幸せそうなら幸せかもしれないが、その集団の範囲(“みんな“のような抽象度)を理解できていない為、
結果、自分の幸せもわからないという現象が現代の問題である。

言い換えるならば、日本は個としての幸せというものを捉えるためには、集団との区別がないために、集団の幸せも認識しつつ、個も幸せという認識が同時に必要になるが、それを区別していない為に、正確な幸福度調査ができない。

昔であれば集落ごとに集団があったが、現代では、集団が曖昧になり、ほぼなくなってきているともいえる。
つまり、自分の所属集団を捉えることが出来ないのであれば、個も捉えることができず、個に対しての問いを捉えることができないという結論になる。

つまり、自分を捉える為には、自分を構成する自分以外の存在(構造)を感じられなければ、自分自身の想いも感じることができないということであり、
言い換えるならば、自分が所属する集団や帰属していると感じる組織がないということが、自分を捉えられない要因になのかも知れない。
その集団や組織は、会社やゼミのような形式的なものではなく、心理的な帰属ができる集団や組織を指す。

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