なぜ充実していることを他者に伝えたいのか

これは、自分の中にもある要素なので何となく気持ちは分かるが、多くの人と共通しているのかは分からない。
構造的に、それをすることで生き残ってきた歴史があるのかもしれないと思うと、生きて行く為にはある程度必要な姿勢なのかもしれない。

ここでイメージする充実していることを他者に伝える手段は、SNSである。
SNSにおいて、ありのままの自分を提示することは不可能であるという前提のもと考えたときに、投稿する人たち(それ自体が収益になっているインフルエンサーを除く)のモチベーションの大きな要素としてあるのは、虚栄心なんだと思う。

SNSは、自分の見え方をコントロールするツールであり、見せたくない所は隠すことができる。なので、実際に会うと、SNSよりネガティブな印象で無理している感じに捉えられることが多い。つまり、自己呈示と自己開示の違いである。

その上で、なぜ人は虚栄心が強くなるのか。

おそらく根底にある要因は、自信がないからな気がする。

葛藤し、苦しみ、醜い怠惰な自分は、この社会では認められず、認められる自分を作り出すことで承認され、優越感を獲得する。
しかし、それは社会から認められた訳ではなく、世間から認められている状態であり、世間は捉えることができない概念的な存在なので、現実世界では満たされる実感が欠如する。

そして、世間から承認された優越感の味を覚えてしまったら、世間に認められる自分をより一層強化し、演じることになり、それは本来のありたい自分とはかけ離れていく。
そして、自分とは何か、という問いが強くなる。

ラジオを聴いたりや本を読むと、長年人気の俳優や芸人は、下積み時代に、世間の中で揉まれて足掻いた中で、本来の自分のあり方に出会えた人たちであるように思う。

つまり、虚栄心による自己呈示ではなく、自己実現としての自己開示に近いあり方を手に入れることが、結果として人生の豊かさにつながるのではないかと思う。

話を戻せば、SNSを頻繁に更新したり、楽しい習慣に携帯を出して録画、写真を撮る人たちは、今の自分を生きているのではなく、自分が作り出した自分を生きているので、結果として、その人が投稿する充実している(ぽい)ものは、虚栄として受け取られてしまう。

自分自身も無意識的にそれが分かっている為、どんどん自分が信じられなくなる。
自分がやっていることにもやり甲斐が感じられなくなる。
でも虚栄心を満たすためにはもっと頑張らないといけない。
なぜなら虚栄心は差別化する為には、量になるからである。
そして多くの人が潰れていく。

このようなサイクルから抜けるためには、自分と出会う必要がある。
自分と出会うためには、自分の周りのめちゃくちゃ面白い何かに出会う必要がある。
それは本でも、漫画でも、生物でも、人でも良い。
自分には理解できない仕組み、論理、生き方と出会ったときに、自分がこの世界をどのように捉え、どのように生きたいかが見えてくる。

そして、それの解像度を上げていくのがその人のイトマである。

思っていること、言っていること、やっていることが一致していないときが最も苦しい。どんどん自分がいなくなる。でも、それを一致させていく過程には、自分が現れる。
そして、そこには自信が生まれ、信頼が生まれ、より面白いことを思え、やることが出来る。

そのようなイトマのサイクルには、充実していることを他者に伝えようとする虚栄心は限りなく薄く、消えていると思う。

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