改めて自己紹介してみる(中編) さすがに2日目は緊張してません No.502
一昨日ブログが500日の区切りになり、始めたころとは心境も変わったので少し自己紹介をしようと思ったら、なんか自分の恥ずかしい過去を書き出してしまい長くなったので2日目に突入しています。
※案の定書ききれず3篇にわたります。申し訳ありません。
ほとんどの方は興味がないかと思いますが、もしご興味がありましたらもう少しお付き合いください。※これでも書いてもよさそうな部分だけ抜粋してます。
昨日は幼少期から学生時代オーストラリアでに起業し、日本に戻って最初の仕事までのお話をさせていただきました。
現在の仕事に至るまで、あと3回ほど違う仕事を経ていますのでもう少しお付き合いください。
⑧留学の斡旋業
自然食品の店をフランチャイズ元に直営にして頂き、家賃がいただけるようになり、いろいろ苦労して仕事をするよりこの方が良いという「不労所得」の魅力に気が付いたのもこのころですが、仕事を見つけなければいけません。
丁度母がやっていた留学の斡旋事業に人手が足りないという事で、その手伝いをすることになります。
長期の留学の斡旋が一番売り上げも大きいのですが、なかなかすぐに決まる物ではありません。当時のメインの商品は春休みや夏休みに行く短期留学でした。イメージは子どものツアーガイドです。
短期留学で留学の良さに触れていただき、その中から長期留学に行く方を募集するという営業方法でしたが、なかなか長期は決まらず基本は短期のサポートがメインです。
5月くらいから説明会を行い、夏休みにツアーの同行をし、終わるとしばらく息抜きをする季節労働者のような仕事をしていました。
そんな仕事をしていても何とか生活できていたのは、母の会社に不動産がいくつかあり、その不動産収入で会社が成り立っていたからです。
今思えば本当に家賃をあてにした「ぬるい」仕事をしていたと思います。
⑨オーストラリア移住
そんな時に、そのころお付き合いのあった学校経営者の方からオーストラリアに学校を作る予定なのでスタッフとしていかないかという話をいただきます。
子どもも小さかったので迷いましたが、妻を説得し家族で行くことになりました。色々と住む場所を探したのですがこれもご縁をいただいたのがすごい場所で、ソブリンアイランドという超リゾート地に住むことになりました。
そこでも仕事が始まるまではゆっくりしようという事で、毎日リゾート暮らしが始まります。
なんせ目の前が海で、周りはクルーザーを持っているような人ばかりの所に、カローラのレンタカーでしたからかなり浮いてましたが、気持ちはリゾートです。
6LDK+シャワールーム2つ+プール+船着き場という超豪邸で、当時で200万(現在のレートで1億4000万円)ドル、現在なら450万ドル(3億1500万)くらいする所にタダで済んでいました。
子どもたちは日中はチャイルドケア(保育所のようなところ)に行ってその間に私はたまに打ち合わせがあり、妻は英語学校に通うという「理想の老後」のような生活を30代前半でエンジョイしていました。
そんな夢のような生活も長く続くはずはなく、結局学校の話がうまく進まず、仕事は無くなり半年弱で日本に戻ることになります。
⑩レストラン修行
日本に戻っても落ち着かず、留学の仕事はしていますがあまり力が入らず、まだまだ自分探しを続ける30代前半でした。
「いい加減にしろよ」と当時の自分に言ってあげたいのですが、今だから言えるのですよね。その時は、まだふらふらとしていました。
そんな時に「やはり飲食がやりたい」という想いになり、師匠にご相談したところ「学ぶなら日本一」と当時日本一のサービスと言われていたレストランCasitaへ修行へ行くことになります。
もちろんシェフとしてではなく、サービスとレストラン運営の修行ですが、この1年半の経験は本当に勉強になりました。今の私のベースを作ってくれています。
特にCasitaの「高橋オーナー」の生き方が素晴らしく、まず見た目から真似しようという事で、Dolce&Gabbanaのシャツを着て日サロに通っていたのは懐かしい思い出です。(遠い目)
単身赴任で東京に行き修行と、名古屋での物件探しの日々でしたが、文句を言わず送り出してくれた妻に感謝ですね。
間もなく物件も決まりそうだという時にリーマンショックがあり名古屋の状況も一変します。錦(名古屋の繁華街)もガラガラになるほどの状況で、とてもレストランを出すような状況ではありません。
結婚式も出来るような大きな箱のレストランを計画していましたので、初期投資も大きく今はタイミングが悪いという事で出店を諦めました。
規模を小さくしてでもスタートしていたらまた違う人生だったのかもしれませんね。
⑪アパレル通販
そこでスパッと飲食の夢を捨てて違う仕事をする所が私らしいと思いますが、逆に言えば飲食にもそれくらいの想いしかなかったのかもしれません。
何事にも本気になれないもどかしさですが、自分もそろそろ何とかしないといけないとは気が付いていました。
無職でいるわけにもいかないので、職探しをするのですが、ここでも就職する気はさらさらありません。運よく母がスタートしたアパレル通販の仕事がなかなかうまくいっていないとのことで手伝い始めます。
親の仕事を見ていてアパレルは大変だな~という想いがあり「アパレルの仕事は死ぬまですることは無い」と心に誓っていたのですが、何の因果か結局アパレルの仕事をすることになりました。
その理由は簡単で、「これなら簡単に儲かりそうだ」という安直な理由です。
いや、ほんとお恥ずかしい……モチベーションそこだけでした。
2009年当時はまだ楽天も右肩上がりの時代でニッチなジャンルに出せば売れる状態でした。兄がやっているアパレルメーカの不良在庫を二束三文で購入し、定価の半額程度で売っていましたので飛ぶように売れ、利益率の高いビジネスモデルで安定的に利益も出ていました。
しかしそんな「おいしい状態」が続かないのはビジネスの常で、同業他社の参入が相次ぎ一気にレッドオーシャンとなります。
また安定していた仕入れも、さすがに不良在庫がそれほど大量にあるわけでもなく、ある程度売りつくすと仕入れも自分で行うようになり利益を圧迫します。
ここで才覚のある経営者なら、先行者メリットを最大限活用し頭一つ抜け出すこともできたのでしょうが、私自身にアパレルにも通販にも思い入れが無くなんとなくやっていたので厳しい状況になります。
⑫感動倉庫🄬LFC入社~健康食品通販
そんな状態を見かねたのか、いよいよ父から声がかかりアパレルの通販事業ごとLFC株式会社へ吸収され移ることになります。
まあ、父の立場からすれば40歳目前になってもふらふらしていたら心配になるのは当然だと思います。
そこで今まで通りのアパレルの通販をやりながら、LFCが行っていた健康食品の通販も併せて行うようになります。
以前自然食品の店をやっていたこともあり、健康食品に関してもある程度の知識があり、これも真剣にやると面白いビジネスなのですが、いかんせん本人のやる気がなく、真剣に取り組みません。
そんな状況ですので売り上げもあまり上がらず、結局通販事業もアパレル、健康食品共に撤退することになりました。
撤退し、ようやくLFCの本業の物流事業に取り組み始めます。
⑬感動倉庫🄬LFC社長に
小学校の時の夢は「社長になること」でした。家族全員経営者でしたので自然な流れだったと思います。
そんな私が20代後半で社長となり、あまり感慨深くもなく淡々と社長をしていましたが、LFCに入社し役職は部長となり久しぶりの社長じゃない生活を満喫していました。
長く社長をやっていると上司がいる大変さになれていないので、ほんと大変でした。世の中の管理職の皆様は本当に素晴らしいと思います。
いよいよLFCでも社長に就任することになり、最初に決めたのが3年で経営理念を自分のものにすることです。
当時は創業者の父が作った経営理念で、兄のやっているラブリークイーンとも同じでしたので、何とかLFCオリジナルの物にしたいと思い3年で何とか形にしようと取り組みました。
また、二代目社長としてどんな社長であるべきかを考え、勉強を始めました。ここから私の自己啓発マニアの時代が始まります。
二代目社長にありがちな勘違いに
・社長は尊敬されているものだ
・馬鹿にされないように勉強しないといけない
・自分が教える立場にならないといけない
・権威のある先生に学ばないといけない
・理論があれば社員はついてくる
上記のようなものがあります。
二代目社長の多くは、なぜか自分が上に立っていないと不安なのか、現場の人に素直に聞けず外に学びに行く人が多くいます。
セミナーや研修に行き仕事をしたと勘違いして、会社に戻りこれ見よがしに学んできたばかりの知識を披露して悦に入る。
でも付け焼刃の知識なので誰もついてこず社員からは「社長は口ばっかり」という評価になります。
社長は「俺はこんなに勉強しているのになんでこいつら俺の言う事がわからないんだ」とさらに学びに行く、結果として学べば学ぶほど社員との間にギャップが広がっていきます。
現場の皆さんに学んで、密にコミュニケーション取っていけばそんなに難しいことではないのですが、それが出来ていませんでした。
自分のプライドが邪魔をして現場の皆さんから学ぶという事が一切できず、外で学んだ知識を盾に権威を振りかざす残念な社長です。
ここまでの私は本当に残念な経営者だったのを痛感しています。
しかし、それは後悔ではなくこんな人生を送った私だからこそ気付けることがあったと今は思えます。
少し長くなりましたので、明日に続けますが、ようやく私が多少ましな経営者になってからのお話を書きたいと思います。
よろしければ明日もご覧いただければ幸いです。
今日の一言
過去も肯定的にとらえればよい経験になる。
自分の過去の体験で否定的な物を肯定的に取り上げてみましょう。