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ジャニー喜多川氏が中谷良に与えた心理的影響の結末

『生き方』ってなに?!【005】
2024/10/20放送分
『NHKスペシャル』
-ジャニーとメリー知られざる来歴-
と関わった開運氣功ヒーラーとしての生き方!

こんにちは、かんまにです。(^^)/

先回の話では、
なぜ中谷良が亡くなっているにも関わらず、SmileUp社の補償問題に名乗り上げたのかをお話しました。

また中谷良の娘、江麗さんは、その時の思いを
2024/12/29放送【報道の日2024】という番組内でインタビューを受けて語っています。

【動画記事】(江麗さんのインタビューは17:47辺りからです。)


中谷良の人物像について、先回お話ししましたが、今回はもう少し踏み込んだ、中谷家の家族構成やジャニー氏との出会いについてお話していきます。

わたしがお伝えしたいのは『生き方』です。

特にこの辺りは時代背景心の動きの考察など、事実からは視えない面もありますので、誤解無きよう注意してお読みください。


・中谷良の育った環境

良ちゃんは昭和22年、わたしの祖父母が戦争で疎開していたので石川県で生まれています。
中谷家が東京に戻ったのは、良ちゃんがまだ生まれたばかりで2歳にならない頃だったと聞いています。

当時の家族構成はわたしから見て、曾祖母、祖父母、長男、長女、次女(わたしの母の幸子)、次男、そして三男で末っ子の良ちゃんの8人の大家族でした。
わたしはまだこの世に存在していませんが、すごい時代だったと思います。

その頃の東京はまだ復興最中ながらも、高度成長期に突入しだした時期だったと聞いています。


・ジャニー喜多川氏と初代ジャニーズ

良ちゃんは小学校の友達と明治神宮辺りを遊び場としていました。
同時期に代々木のワシントンハイツと呼ばれる在日米軍施設に住んでいたジャニー氏と関わるようになったようです。
ジャニー氏は子ども達を集めて野球チームを作り、その中から4人を選抜してジャニーズを結成しました。

ワシントンハイツの住宅地
1947年(昭和22年)
ワシントンハイツの住宅地 1947年(昭和22年)
Wikipediaより引用

わたしが母から聞いた話では、まだまだ車を持っていることが珍しい時に、ジャニー氏がアメ車で良ちゃん達を家に迎えに来ていたらしいです。

母にしてみれば、弟たちの面倒を見てくれる良い人にしか映らず、信頼できる方と思っていました。

また、中谷家は小さな家で美容院を営んでいましたので、家に居場所がなく、余計に外に遊びに行くしかなかったのです。

そして、物の無い時代でしたから、ジャニー氏のところに遊びに行くとステレオやレコード、テレビ、チョコレートのような舶来品の珍しいものや美味しいお菓子も出してもらえるので好んで行くようになっていきました。

・心理学的考察

心理学的に観察しますと、良ちゃんは第二次成長期の頃にジャニーさんと出会い、ラポールと呼ばれる強固な信頼関係が結ばれたように感じます。

このラポールというのは心理学用語でもあり、特に『上下関係』においても、良ちゃんの姉であるわたしの母や家族からも絶対的安心感を持たせるほど信頼され、良ちゃんのようなジャニーズのメンバーたちにも信頼され『ハイパーラポール』というさらに上位の特別な信頼関係を築いています。

『物で釣る』と言うと、言い方は悪いかもしれませんが、戦後の何もない時代だったので、物もお金も持っていたジャニー氏にとって子どもを喜ばせることは簡単なコトで楽しみの一つだったように思われます。

このハイパーラポールの関係性から良ちゃんは被害にあっていったのでしょう。
ただ、良ちゃんの場合、性被害ももちろんですが、本当に信頼している人から裏切られたことが心の大きな傷になっていたように感じます。
若い頃の良ちゃんと話した時、「芸能界って華々しく見えるけど、ぐちゃぐちゃなんだよ。」と聞いたことがありました。

当時はわたしも若かったので、意味が分かりませんでしたが、今になってはじめてその言葉の意味が分かりました。

若き日の良ちゃん


・ジャニー喜多川氏の歪んだ性癖、
 メリー藤島氏は部類の勝気?!

そしてもう一つ、これはわたしの推測的考察ですが、ジャニー氏はLGBTの氣質を持っていたのではないかと感じます。

当時の時代背景で考えると、同性愛は好奇の目や非難の的で『まともではない』とか『病気扱い』だったと思います。

同性愛者の意識はジャニー氏の幼少の頃から自覚があったように思われます。
文藝春秋の記事などでジャニー氏本人も子どもの頃、親せきのおじさんから愛された(性加害)ことを被害者のように語るのではなく、嬉しそうに話していたという事実が上げられています。

そして、それからずっと後ですが、メリー氏もジャニー氏のことを「弟は病気だから仕方がない!」とLGBT氣質であることを、必死に守ろうとしていたようです。

これらの思いがジャニーズ事務所の体質の根本になり、今回の性被害の問題につながったのでしょう。
被害者の方にとっては申し訳ないのですが、いったん善悪の基準を脇に置き、心理状態だけを考察してみると『ジャニー氏の歪んだ性癖とスター性のある男の子を嗅ぎ分ける性質』と『メリー氏の弟を守るための必死さと勝気の強い性格』が上手くいき過ぎ、それがジャニーズ事務所を巨大組織に作り上げていったのだろうと感じます。
もちろん要因はそれだけではありませんが、根本的なモノはその姉と弟の二人の個性が創り上げたものだろうと思います。

・隠蔽体質は昭和の特徴⁈

これはわたし達のような一般の家庭においても同じことが言えるのではないでしょうか?

人に言えないような隠しておきたい家族の病気を何とか誤魔化して生きていこうとするのは、昭和の時代には普通にあったコトだと思います。

特に、性癖のようなプライベートをわざわざ開けっぴろげに話す人はいません。

メリー氏の場合、逆にジャニー氏の性癖を個性と考えて武器にし、男性アイドルグループの事務所というエンターテインメントの専門分野を時代に沿ったやり方で築いていったのでしょう。

昭和という時代は戦後の高度成長期でしたので、芸能界に限らず、政界やスポーツ界、経済界や建築業界など、どんな世界も上下関係の厳しい縦系列の社会で構成され、財力や権力といった『力』の強いものが上に昇っていく時代でした。

競争社会でしたので学生にとっては受験戦争とよばれて、勝つことを目的に教育をされてきました。

その弊害として、『善悪思考』が根付き、現在の良いモノを称え、悪いモノを徹底的に引きずり下ろすような2極分化を生み出しています。

『ジャッジすることはいけない!』と言いつつも、自分と意見の食い違う人をジャッジするという、矛盾したおかしな現象もよく見かけます。

ですが、その矛盾するおかしな生き方が『昭和の常識』だったように思い返されます。

皆さんは思い当たる節は無いでしょうか?


・晩年の良ちゃん

話しがそれましたので元に戻します。
良ちゃんはこういった矛盾の一番中心の激流に呑まれ、心が病んで苦しみながら、潰されていきました。

三つ子の魂百までという言葉がありますが、これは心理学の面から見ても、第一次成長期、第二次成長期といった脳が活発に成長する時期に受けた傷というのは思考グセの根本に焼き付き、生き方の特徴に結びつきます。

良ちゃんは優しさの個性と共にジャニーズ時代に自己否定のクセも植え付けられたように思います。

母は祖母も亡くなり、たびたび、一人暮らしの良ちゃんの部屋の片づけと様子見を兼ねて、また税金や公共関係のお金の手続きなどの管理に出かけていました。
ですが、『ジャニーズの逆襲』という暴露本(告発本)を出したころから「盗聴されている」ということで電話はとらなくなり、家にいても籠って誰とも会わない状態になってしまいました。今で言うニート状態です。

中谷良著『ジャニーズの逆襲』
中谷良著『ジャニーズの逆襲』

姫路と東京を何度も何度も行き来し、母も大変だっただろうと思います。

そして、この暴露本であっても、良ちゃんは暴露するというより、悪事をストップさせたかっただけです。
良ちゃんの優しい性格上、裁判などで争いたかったわけではありません。
ジャニーズを辞めてからも事務所内で同じことが繰り返されていることを知り、裁判でもウソの証言をさせられたことも悔やまれ、本当にあった真実を伝え、自分のような被害者を二度と出さないよう、勇気と覚悟をもって告発した告発本でした。

中谷良著 『ジャニーズの逆襲』あとがき
中谷良著 『ジャニーズの逆襲』あとがき



・孤独な最期

時は流れて、2021年に隣家の方が、ここ数日、良ちゃんの姿を見ないからと不審に感じ、民生員の方、警察や消防の方に連絡をして確認したところ孤独死していたことがわかり、わたしの母の元に連絡が入りました。

最後の頃は非常に孤独だったのではないかと思います。
なぜなら電話をかけてもつながらず、娘の江麗さんが会いに行っても出てくることがなかったからです。

母が最後に良ちゃんと会った時には「もうすべてがどうでもいいこと」と吹っ切れていたようでしたが、その晩年の孤独の根本原因はジャニーズにあったようにも思われます。

最後の葬儀で良ちゃんの人生を偲んだ時に母や江麗さんと話しをし、追善の祈りを捧げて見送りました。

良ちゃんのご霊前
良ちゃんのご霊前




次回はいよいよスマイルアップとのやり取りについてのお話をしていきます。

最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。


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