『黄金の私の人生』〜単なる格差社会ドラマに非ず。重層的な傑作群像劇
この作品、日本ではあまり知られていないと思いますが、初回19.7%でスタートし、8話で30%を超え、30話では41.2%を記録した大ヒットドラマです。
コロナ以降の3年半、韓ドラにハマり、ほぼ毎日見続けてきたのに、ぼくも最近まで知りませんでした。見たきっかけも「ネトフリのサムネに出てきたから何となく」です。
最初の数話は展開が遅く、とりあえずダラダラと見ていたのですが、回が進むごとにどんどん面白くなり、30話を超えてからは連日深夜まで見ちゃいました。
この物語、韓国ドラマでは定番の〈富裕層と下層民〉という格差社会設定…かのように最初は思うわけですが、実はそんな単純な物語ではありません。
そもそもヒロインの家族(ソ家)は生粋の貧民ではなく、かつては商社マンから独立した父親が成功し、裕福な生活を謳歌していました。ところが事業に失敗し、借金取りに追われて転々とする生活に。娘のジアン(シン・ヘソン)は美大への進学を諦めざるを得ませんでした。
栄華を誇るヘソン財閥は、25年前に行方不明となった娘ウンソクが、ソ家の双子姉妹のいずれかであることを特定します。問い詰められた母親のミジョンは、猛烈に焦った勢いで、ウンソクではない方の娘ジアンを差し出してしまう・・・そこから物語のエントロピーが果てしなく増大していくことになります。
とりあえずジアンはヘソン家に入り、上流階級としての訓練を受けます。この辺は『マイ・フェア・レディ』っぽい展開なのですが、本当のウンソクである妹ジスと入れ替えているという時限爆弾は、ほどなくして爆発します。
ヘソンを追放されたジアンは、財産目当てで家族を捨てた自分の愚かさに気づき、山中で自殺をはかります。近隣の漁民に発見され、一命を取り留めますが、深く傷ついたジアンは、漁村に留まって、淡々と海苔づくりをする日々を過ごすことに。その辺からしばらくは、ジアンから感情が完全に消えてしまいます。なかなか心を開かないジアンをたっぷりと描けるのは、やはり長編連続ドラマの強みですね。韓ドラらしい徹底ぶりで、簡単にはジアンの笑顔を見せてくれません。
やがて、旧友ヒョクの粘り強い努力に導かれ、シェアハウスに移り住み、ヒョク親子が経営する木工所で働きながら、ジアンらしさを回復していきます。
…ここで描かれているのは、単に「夢のために財閥の財産を当てにするな」というような安い教訓ではありません。夢の実現には、それなりの資金は要ります。リアリズムの韓ドラ的には、そこは「貧しくても夢があれば」なんていう絵空事は言いません。要は、本当にやりたいこととは〈自分の内側から自然に湧いてくるもの〉であり、外側から埋めていくものではないということです。
それは父のビジネス教訓「商売は、売ろうとするのではなく、真心でするものだ」にも繋がっています。真心というと、真摯に尽くすニュアンスですが、ここでは〈本当にやりたいことなのか〉という問いが含まれていると思います。それは、ひたすらパン職人を夢見るジスによっても力強く表現されています。
欲に目が眩んだという意味では、そもそもの騒動の発端を作ったソ家の母親もそうです。ヘソンからハンバーグのフランチャイズ店を与えられ、店長の座を得てしまいます。しかし、偽ウンソクを送り込んだことが発覚し、やがて解任されてしまいます。やはり長続きはしないのです。
長男のジテは、一見堅実な銀行マンのようですが、結婚についてはドライで、恋人スアと契約結婚をすることになります。でも、その条件のひとつである「子どもをつくらない」という約束は、アプリで聴いた胎児の心音によって一変します。ジテにも〈内側から湧き上がるもの〉が発生した瞬間です。
その意味では、最も〈内側〉を持たないのがドギョン(パク・シフ)でしょう。ヘソン財閥の後継者として育てられたドギョンは、自分では〈内側から湧き上がった気持ち〉と思っても、ことごとくジアンに論破されてしまいます。結局、ゴールは財閥の会長に設定されており、そこに至るまでのルートに組み込む形でジアンに恋愛し、それをジアンに見透かされてしまいます。
ドギョンは、ジアン父の機転によって会長の座を射止めますが、社内改革が済んだら、いとも簡単にその地位を捨ててしまいます。自ら立ち上げた会社に戻り、大きなリセットをかけた上で、フィンランドに留学しているジアンに、あらためて求愛する。まさに地球規模でのリセットですが(笑)、ドギョンが鋼鉄の財閥バイアスをぶち破って本当に再生するためには、必要なスケール感だったのだと思います。
このドラマには、その他にも〈内側から湧き上がる気持ち〉を探す人、再生のために苦悩する人がたくさん出て来ます。しかも、それらの人々は、コミュニケーションの齟齬(そご)によって、ねじれにねじれまくります。言葉の不足、隠し事、思い込み等によって、誤解が誤解を生み、傷つき、ときに憎しみを抱く。〈内側から湧き上がる気持ち〉も、他者に伝わらなければ、むしろ関係や状況を悪化させてしまうという、何重にもハードルが仕掛けられた脚本は、見事としか言いようがありません。この物語は、夢や真の気持ちを、単に正しいものと美化するのではなく、自己の内面を社会の中に定着させることのコストとリスクが徹底して描かれているのです。
逆に、デフォルトで解放されていた唯一の人物はジスです。演じたソ・ウンスは、本作によってブレイクしたそうですが、それが納得出来る素晴らしい存在感です。
「自分だけの美味しいパンがつくりたい」
その気持ちは、52話の長丁場で少しも揺らぐことはありません。だからと言って順風満帆とはいきません。むしろ本当のウンソクであったがために、外部(主にヘソン財閥)から軌道修正を強制されていきます。しかし〈内側から湧き上がる気持ち〉は強い。ヘソンなど物ともせずに、あらゆる強制をすり抜けるように回避していきます。
唯一、留学だけは回避出来ない危機に陥りますが、ジスの気持ちを知っている人たち(ジアン、ヒョク、ドギョン)の共同作戦によって救出されます。あそこはなかなかに感動的な場面でした。
そして終盤。
ウンソク事件のそもそもの原因が、ドギョンの母ミョンヒにあることが発覚。しかも、25年前のソ夫婦による連れ去りが、結果的にウンソクの命を救ったことも判明し、無断で連れ去った夫婦の罪は赦(ゆる)されることとなりました。ソ夫婦は「大雨で橋が流されたことを知らず、命を救ったという自覚が全く無い」という設定も上手いですね。
しかし、です。
得るものがあれば失うものもある・・・それが韓ドラの極意です。都合良くハッピーなことばかり起きません。ジアンの父が末期ガンで死にます。
父テスは、自分の余命を知ったことで、人生の最後に出来ることに打ち込みます。自分のためにはギターを、ジアンのためには借名取引の調査(直接にはドギョンのためですが、テスとしてはジアンのためと思ってやってますね。ドギョンが礼を言っても、1ミリも反応してませんでした笑)を。この辺は黒澤明の『生きる』のようなストーリーラインです。
また、父親の死は、ヘソン会長ヤンホが解任されたこととともに、古い価値観や家族像からの更新とも解釈出来ます。
あ、そうだ。
ドギョンの妹ソヒョン(イ・ダイン)を忘れてました。この人の設定も地味に面白かった。
財閥人間製造機であるヘソンの中の人間ですが、家族に隠れてクラブで踊りまくり、自分で上手くガス抜きをしてるんですよね。
とは言え、やはり世間知らずのお嬢様で、お忍びを知る運転手の夫婦による悪質な詐欺・恐喝を喰らいます(笑)
とんだ『ローマの休日』って感じです。
そんなソヒョンは、お忍びで知り合ったジホをあっさり「友達ポジ」に固定し、ドギョンとは逆にヘソン財閥の社員化をド正面から選択します。
「貧乏人を見下す財閥階級」と、物語の中で散々な言われ方をしまくったヘソンですが、「財閥を選ぶのも個人の選択」という形で終わったのは、とても良かったと思います。多様化時代に新しい生き方を認めるということは、他の生き方にも肯定の可能性を残す必要があります。その辺りの周到な着地のさせ方も、本作はとても巧みであったと思います。
・・・さて。
そんな重層的な物語ではありますが、シリアスな場面ばかりでなく、爆笑やハートウォーミングが常に散りばめられているのも、韓ドラならではのサービス精神です。
しかも、コメディリリーフを配置するなんていう生易しさではなく、大騒動の中心にいるドギョンやジスが爆笑を振り撒きまくるあたりが、近年の韓ドラに共通する懐の深さですね。何かとジアンの前に現れるドギョンはほとんどストーカーなんですが、妙な笑顔で登場して変な雰囲気を出してるパク・シフには何度も笑いました。シフ、いいですよね〜。
ということで、『黄金の私の人生』は、私的にはたいへんなオススメ作品です。
上記に書ききれなかった秀逸なシーンがいっぱいあります。
Netflixに入っていますので、よろしかったらご覧ください。
(了)