本来の・・
NHKのBSの再放送で「世界の果てに花を生ける」という番組が、ワールドプレミアムでもやっていた。外にいる者にとって、たまに見るNHKは、今の日本を知るためには都合がいい。
フラワーアーティストの東信さんは「誰も見たことのない花の本来の姿や美しさを知りたい、引き出したい」ということで、「極限の世界に花を生ける」プロジェクトを立ち上げた。
この写真はその中の一つで、生け花をバルーンで上空30,000Mに飛ばしたものだ。マイナス50度以上になる極寒の中では、バルーンが飛び散り、花も凍って砕け散る。
「きな臭い世の中だから、爆弾の代わりに花を・・・」
そうだよね。あの国のお隣さん的には、心からそう思う―。
また他に、北海道の雪野原の「吹雪の中に生けられた松」があった。それも根っこごと、空中を浮いた状態でである。
「松を見ていた時、急に根っこってどうなってるんだろう?と思って。引っこ抜いてみたら、神秘的でとても美しくて、表現したいと思った・・・」
映し出された松の「根っこ」は、確かに神秘的できれいだった。まるで生きた血管のように、複雑ながらも調和を持って美しかった―。
そこで思った。
では、言葉「本来の」美しさを引き出すって可能なのだろうか―?
また言葉の「根っこ」にあたるものって、何だろうー?と。
そもそも、花など「モノ」は全世界共通なので、「本来の」美しさを共有し共感することが可能だが、「言葉=言語」は国や民族によって全然違う。
翻訳や通訳をする時に感じることだが、その国ごとの一つの単語のニュアンスの微妙な違いによって、100%一致した翻訳や通訳は不可能ではないかと思っている。
言葉とは非常にあいまいで、不完全な生きものだ。
そういえば、もしかして・・・
本来、言葉は「手段」?!
先に「相手」があって、その相手との関係性を築くための手段として「言葉」ができた。例えばリンゴをリンゴにしようって、「約束事」としての「言葉」だったのだ。「ウッハ、ウッハ」では、お互い何を思い、何を考えて、何を伝えたいかわからないからね。
そしてその関係性の構築だって、マイナスよりはプラス状態になることを願っていただろう。目的はあくまでも相手と繋がるためであって、そのために「言葉」が必要だったんだ。
結局、言葉「本来の」美しさや、言葉の「根っこ」の部分というのは・・
関係性の構築という目的に沿った「使い方」によって、美しく引き出されるのかもしれない。
「手段」としての「言葉」の、その本来の位置を確立してあげないと・・・と、わざわざ意地悪な言葉をたまにはき出しちゃう、あまのじゃくな自分の姿を反省させられるひと時だった。
今日から「言葉」くんのために、使い方を気をつけようっと。