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今、日本近現代史にハマってる♡
「福沢諭吉の朝鮮-日朝清関係の中の『脱亜』」月脚達彦著
定期的に来る、歴史に触れていたい病は、しょうがないようだ。
上記の一冊を読み終わってからというもの、動画などを探して、今回はじっくりと世界史の背景から始まって、日本の近現代史にハマっている。
福沢とアジアというと真っ先に思い出されるのが、『時事新報』1885年3月16日社説「脱亜論」である。1880年から「アジア盟主論」という「アジア主義」的主張を始めた福沢が、そのわずが5年後に日本はアジアから脱しなければならないと唱えたのは、その間に福沢とアジアをめぐる「状況」に変化が生じたからにほかならない。
この本は3年前に一部読んでいて、要点は掴んでいた。そしていつかはじっくりとその背景全般まで見ながら、読みたいと思っていた。
結論から言えば、
1.朝鮮政府、日本へ使節団を送る。その後、朝鮮政府が不安定な中でも、積極的な「開化派」は存在していた。
お隣の国でも、明治維新のようなものを、起こそうとしていた若者はいた!
2.朝鮮の使節団が慶應義塾に来た。「福沢は1880年の朝鮮人との出会いを契機に、現今の朝鮮を30年前の日本に重ね、また日本にやってくる朝鮮人を20年前の自分の姿に重ねて、並々ならぬ思いで朝鮮を見ることになった。」
福沢諭吉は愛おしくなり、思わず応援したくなったのだろう!(朝鮮改造論)
3.西洋列強国の状況によって、明治政府の方針や、朝鮮内部の問題から対外政策がころころ変わる。
世界中が西洋列強たちの植民地政策に荒らされ、アジア諸国も大英帝国(イギリス)と清(中国)のアヘン戦争によって、危機感が高まる!
4.朝鮮政府によって、開化派が殺される。(1894年)
朝鮮国内の派閥闘争に翻弄され、開化派が家族・親族も皆殺しになる!(特に、中心的人物である金玉均の殺され方がひどかった。)
5.福沢諭吉『時事新報』1885年2月「此の事情を聴いてただ悲哀に堪えず。今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤すを覚えざるなり。」
開化派を支援していた福沢諭吉、大ショック!(脱亜論)
特に福沢諭吉が息子をアメリカに留学させた時も、慶応義塾に受け入れた朝鮮留学生と深い交流があり、その後朝鮮に戻り「禁獄」された事実を知って「こんな国は一日も早く滅亡するほうが良い」と、手紙にしたためたというエピソードもあった。
また、その後の「日清戦争」での勝利は、百済を援助して唐と戦った7世紀の「白村江の戦い」での敗北した時以来の日本の宿願であった、という学者もいた。
「半島」と「島」、そして・・・
福沢諭吉の、「アジア主義」から「脱亜論」への転換・・・
やはりそこには、一言では語れないものがあるようだ。
とにかく、どんな観点で歴史を見るかによって、解釈も変わってくるもの。
できれば、これからの時代は・・・
個人や地域・国家が分離・断絶する歴史解釈よりは・・・
より理解し合える歴史解釈の方が、必要とされているのではないだろうか。
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