8月15日は「終戦」記念日なの?!
こうして韓国に生活して、この日を迎えると毎年複雑な想いになる。私にとって、8月15日は3月1日(独立記念日)と共に「日本語を話せない日」だった。
この国の8月15日は「光復節」(再び光を取り戻した日)という、日本の統治からの開放された記念すべき祝日で、毎年各家でも大極旗(国旗)を掲げる。
結局、韓国にとって8月15日は「光復節」であって、終戦記念日ではない。
ある観方でみれば1950年(5年後)には朝鮮戦争が勃発するので、戦争の始まりをも予感させる。ちなみに敗戦によって何もかも失った日本は、その朝鮮戦争によって「朝鮮特需」という復興の恩恵にあずかっている・・・。
もう一度8月15日を調べてみると、日本では以下のようになっていた。
8月15日―終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式 正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言を受諾・連合国への降伏がラジオと新聞で日本国民に伝えられる(日本の終戦の日)。 Wikipedia8月15日から
「日本の終戦の日」ということは、他国とは違うというのか。
では日本以外では、どうなっているのだろう?
(興味深い記事を見つけたので、これからの内容は一部引用します。)
①アメリカ
アメリカでは8月14日、日本が降伏することが報道され、その後1945年9月2日に米戦艦ミズーリ号で降伏調印式が行われた。その状況はラジオで全世界に流され、トルーマン大統領はそこで第二次世界大戦の勝利を宣言した。したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は、1945年9月2日となっている。
アメリカは「対日戦勝記念日」として、9月2日になっている。
②ロシア(ソ連)
この国ではソ連時代とその後のロシアになってからと、終戦記念日が変わっている。ソ連時代は降伏調印翌日の9月3日を、対日戦勝記念日としていた。
その理由は・・
ソ連は1945年8月9日に対日戦を開始。降伏調印が行われている9月2日に、北方領土の歯舞島攻略作戦を発動している。そして5日に、千島列島全島の占領を完了させた。そのため、日本への侵攻作戦実施中の9月2日を戦勝記念日とは言えなかった。
結局8月15日は樺太や北方領土では終戦ではなく、ソ連と交戦できない戦争の真っただ中だったのだ。実際北海道の知り合いのお母さんが、8月22日樺太から船で逃げてきたという話を聞いたことがある。
③中国
当時2つあった「中国」と対戦し、2つの中国に降伏した日本。これが、ちと複雑でわかりにくいが・・・
1)中華民国
中国大陸での戦闘の主役であり、連合国の一員としてポツダム宣言にも参加。大日本帝国陸軍支那派遣軍は、1945年9月9日に南京で降伏調印をして国民党軍に降伏した。
だが、国民党政府はミズーリ号上の降伏調印日である9月2日を戦闘の区切りとし、翌9月3日から3日間を抗日戦争勝利記念の休暇としたことから、中華民国では9月3日が記念日となったのである。
2)中華人民共和国
中国大陸では戦線が複雑になっていた。主に日中戦争を戦う任務の帝国陸軍支那派遣軍の敵は国民党軍である。だが、北部の華北地方では関東軍(満州国駐屯の日本軍)が共産党軍(八路軍)を主たる敵として戦っていたのである。その上に国民党軍と共産党軍は互いに中国の覇権をめぐって内戦中であったのだ。
1945年、突如ソ連軍がソ満国境を破ってなだれ込んできた。1946年まで有効であった日ソ不可侵条約を一方的に破棄してのことである。関東軍はソ連軍に圧倒されて投降した。当然、関東軍の投降相手はソ連軍である。その後、ソ連軍は関東軍将兵約57万5000人をシベリアなどに強制連行し、過酷な労働に従事させる。
中国共産党軍は関東軍に攻撃を仕掛け、8月15日から11月末までの間に戦死した日本軍の数は2900名に上ったという。関東軍の終戦の日は明確ではない、という奇妙な形となっている。なぜなら、中華人民共和国が成立したのは1948年であり、明確な形で降伏文書が交わせない状態であったからだ。
とにかく、1945年8月15日は・・・
私たちが考えている「終戦記念日」とは、ずいぶんかけ離れているようだ。
もう一つ。
東京エッセイからの引用・・
1945年日本は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下におかれ、主権と行政権を留保した。サンフランシスコ条約承認の翌年である1952年、正式に国家として全権を回復するまでの間、日本は空白の7年という国家ではない期間を経験する。正式な外交文書では1945年9月2日戦争が終わった日となっているが、講和条約発効の1952年4月28日が本当の終戦の日なのかもしれない。
日本は、国ではない期間が7年間ある。
国として全権回復したのが、1952年4月28日だという。
私たちにとって8月15日は「終戦」を記念した日であるが、子どもたちには8月15日は「終戦記念日」として、今後も伝えられていくのだろう。
(長い文章、最後までお付き合い下さってありがとうございました~♡)