明日、沖縄の特別な日 6月23日
こんな日だからこそ、今日と明日も「沖縄」でいたい。
慰霊の日は、沖縄県が制定している記念日で、日付は6月23日である。沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日でもある。1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、アメリカ施政権下の琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。復帰前は、住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)に基づく公休日とされた。 (Wikipedia慰霊の日から)
韓国の地から、愛する沖縄を想いながら・・・
今回6月9・10日沖縄ヌリ路に参加された日本人の中から、4人の方々の感想をこちらに揚げさせて頂きます。
参加してみて一番ビックリしたのは、沖縄のアイデンティティが、こんなにも複雑だということです。そして、琉球王国→日本→アメリカ→日本とどんどん切り替わる中で、何が正解なのか訳が分からなくなってしまってるという、沖縄の痛みをとても感じました。そして、今からは国というところに固定されるのではなく、その分離のないところから、未来を作っていくことがとても大切だと感じました。あと、首里城で韓国の人たちと一緒にシェアしたのがとてもよかった。国を超えた観点を知れるのはとても貴重だったなと感じました。
Iさん(30代会社員、東京から)
今回の沖縄ヌリ路の素晴らしかったところは、やはり日韓合同で行なえたこと。日韓も超越した未来から沖縄に出会いをできたこと、共有できたことを奇跡に思います。大東亜戦争で本国唯一地上戦が行われた沖縄。時は少し遅く、母国が分断に至るまで戦場変えて地上戦を余儀なくされされた朝鮮半島。新たな沖縄を知ることで、出会いも変わり、人との関係性も変化し、今を生きる沖縄を通し、歴史を通し、脈々と続く沖縄の今と自分との繋がりを実感しました。
Dさん(40代主婦、福岡から)
好きで今まで何度も訪れた沖縄。かつて王朝があったこと、戦時中の涙、現在リゾートとしての在り方、それぞれがうまく統合できずにいて、沖縄って何なのか整理できる鍵はなんだろうと疑問があった。戦後の米軍統治や、基地問題を未解決のままになされた本土復帰。戦前の皇民化政策以降、どのように沖縄のアイデンティティが迷走したのか、イメージが繋がった。そして、今回の大きな学びの1つは、朝鮮半島もまた、もともと1つだったところから、資本主義と共産主義のせめぎ合いにより分断が生まれ、韓国と北朝鮮が生まれたという痛み、アイデンティティの混乱をもつこと。個人的には、「外からの規定によりアイデンティティが混乱する」という仕組みが、自分の人生でもあったから すごく響いた。
Sさん(20代学生、福岡から)
私は今回、歴史と自分がガッツリ繋がって、帰り道で、自分の祖父たちが戦争に行ってたことが今までで一番身近に感じて、胸にぐぐっとこみ上げてくるものがあり、泣きながら帰りました(T_T) 今までも何度かヌリ路は参加しており、回を重ねるごとに歴史がどんどん自分ごとになっていきます。
今まで自分とは繋がらなかった歴史や、沖縄、そして、韓国が、世界が自分ごとになっていく。同時に泣いてるだけじゃいけない、未来へ向かわないと、と思います。
Yさん(30代女性会社員、東京から)
そしてもう一つ、今回参加された韓国の学生シムさんが、沖縄を想いながら動画を創ってくださいました。ゆっくりと祈るような想いで、見て頂けたらありがたいということです。
太平洋戦争の沖縄戦を始めとする、朝鮮戦争その他全ての戦争で犠牲となられた方々の、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。