全てが愛おしく感じる瞬間。⑥出会う
私はこれらの過程を通して、20年という長い間、知ることができなかった「韓国」に初めて出会うことになります。
いったい今まで私は、何をしていたのだろう・・・
大好きだと思っていた韓国のことを、何も知らないで生活してたんだ・・
そんな自責の念と、世界で唯一東西問題の過去を引きずり、そのイデオロギー問題で多くの犠牲者を出し、彼らの想いが詰まっているこの土地にあまりにも失礼で、大変申し訳ない想いになりました。
これは、このエッセイの中でも綴りましたが、もしも日本統治時代がなかったら、もしくは日本が敗戦してなかったら、この朝鮮半島の行方は変わっていたでしょう。
また、あの多富洞(タブドン)・倭館(ウェガン)の洛東河戦線で守り切れなかったら、朝鮮半島は完全に共産化され、日本が今の半島のように東日本と西日本に分断されていたかもしれない・・・とも、思いました。(実際、敗戦して間もない日本は、朝鮮特需によって経済復興でした事実もあります。)
だから、他人事では無くなってしまったのです。
この土地の、この全ての現状が。
こうして私はこの国の、あまりにも純粋で透き通って、美しすぎる心の持ち主たちと、その人達を育てたこの土地が、愛おしくてたまらなくなってしまいました。
今まで何も知らないで、本当にごめんね・・・
もう、これからは、寂しい思いはさせないよ・・・
涙で霞むカーテンを開けて、夜に浮かぶソウルの街を抱きかかえながら、静かにささやきました。
こうして海外にいると、日頃よく思うことは、日本語は本当に「美しい言語」だということです。
例えば「出会う」という言葉は、「出る」と「会う」のふたつの動詞があって、その順番も最初が「出る」で、次に「会う」です。
今まで私は、自分の中で一方的に創り上げていた「韓国」を、韓国だと思っていました。しかしそれは、ただの思い込みの「韓国」にしか過ぎなかったのです。
しかし、これらの出来事を通して私は、自分の中の思い込みの「韓国」から「出る」ことができて、やっと生きた「韓国」と「会う」ことができたのです。そこには、受動的ではない「主体的な意志」が必要でした。自ら「出る」という選択が、必要だったのです。
こうなってしまえば、この韓国をもっともっと知りたくなり、どんどんどんどん会いたくなって、じっとしていられなくなります。
行きたいところにはできる限り行き、そこで「疑問」が浮かべば、それを本やネットで徹底的に探すという、ありえないことが起きたのです。たぶん人生の中で、これほど集中して勉強したことはないと思います。
そこで新たに出会った韓国を始め、日本の各地域が経験してきた歴史など「書く」ということを通して、記録に残したのでした。するとそれを共有したくて、直接その場に訪れることになったのです。
こうして、新教育観光プログラム「ヌリ路」が誕生しました。「ヌリ路」の語源は、韓国語の「ヌリダ」+「路」で、意味は「享受する・満喫する」に「路」を付けたものです。
ある新聞の記事に、ハーバード大学の心理学の教授が「自分が享有する空間が多ければ多いほど、自分の正体性が多様であればあるほど、幸福になりやすい構造と直結する」という、実験の結果を得たといいます。
これはちょうど、「私」のことでした。
自分が恋する地域(空間)がどんどん増えて、その地域の歴史ストーリー(時間)を通して自分の正体性が変化すればするほど、何よりも私が幸せになっていったのです。例えば今でも「多富洞(タブドン)」という言葉を口にするだけでも、胸がキュンとしてしまいます。
同時にこの想いは国家・民族、分け隔てなく共有共感が可能でした。あの時、一緒に涙を流すことができたように。
そして、次に出会うことになったのは、韓国の首都「ソウル」でした。
(ちょっとお休みして、次回につづく・・・)
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全てが愛おしく感じる瞬間。①母という存在
https://note.mu/kando_nuriko/n/n931946d33abf
全てが愛おしく感じる瞬間。②国と国との間で
https://note.mu/kando_nuriko/n/n299bc6a41293
全てが愛おしく感じる瞬間。③見えない力
https://note.mu/kando_nuriko/n/n0a2c88930e86
全てが愛おしく感じる瞬間。④人と人との出会い
https://note.mu/kando_nuriko/n/n07429cf78ba4
全てが愛おしく感じる瞬間。⑤奇跡は起きる
https://note.mu/kando_nuriko/n/n49735e351f5e