全てが愛おしく感じる瞬間。④人と人との出会い
いったい、国とは何か、歴史とは何か・・
などを考えながら、私は朝鮮戦争についてもっと深く調べていきます。
すると、慶尚北道漆谷郡の多富洞(タブドン)や倭館(ウェガン)と同じように、洛東河戦線として海側の浦項(ポハン)という所でも、熾烈な戦いが繰り広げられたことを知ります。特にそこは、中・高・大学生が自ら学徒兵という立場で、最終的には囮(おとり)として使われた部隊もあったのです。この実話は、2011年日本でも上映された「戦火の中で」という映画にもなっています。
https://www.youtube.com/watch?v=6LuxFmva1XA
その博物館の入り口には、私の息子と同じぐらいの子たちが、学徒兵として動員され戦死されたのですが、その写真があってそれをみていると、胸が引き裂かれそうになります。本当に、言葉を失いました。
しかしその博物館には、当時学徒兵で生還されたおじいちゃんたちの集まりもあって、何度か訪れながら、今では大変親しくさせてもらってます。(以前、記事にもしました。☟)
https://note.mu/kando_nuriko/n/nf7b18172d749
このような博物館を回りながら、ただ自分にできることは、まず目の前の事実を「直視すること」だと思い、心に刻みました。
そんな中、とても希望的な事実と出会います。
これはまだ、記事にはできていないのですが、浦項(ポハン)の近くの九龍浦(クリョンポ)という所に、日本人街が保存されているんですね。
ここは100数年前、香川・岡山県の瀬戸内海の貧しい漁師たちが、この九龍浦に移住し町を発展させた場所です。当時、斎藤善吉さんの家は近代歴史館として開放されていて、解説して下さる方は日本語も流暢ですが、解説の仕方には「韓国人向け」と「日本人向け」の2種類があるということです。
http://liumeiuru.hacca.jp/2013/05/54/
当時の神社の階段は、そのまま残ってます。両脇の石碑の表には韓国の方々のお名前があり、裏には神社を創った時に刻まれた日本人の名前があってセメントで塗られ消されているそうです。
しかしそれが一つだけ、塗りつぶされていないお名前があるんですね。それが十河彌三郎さんで、この町つくりに大変貢献された方だそうです。
なぜ他の名前は全て消されているのに、この町づくりに貢献された方のお名前だけは消さなかったのでしょうか・・・
そして神社の境内だった所に、当時の写真が残されているのですが、韓国人も日本人も仲良く平和に過ごしたことがうかがえます。
また当時ここで生まれ、終戦によって日本に戻られた方たちが「九龍会」をつくり集まって、自分の「ふるさと」である韓国の九龍浦を偲ぶ日本人の方々もいます。台湾で生まれて引き揚げてこられた方を「湾生」というのならば、この方たちは「韓生」とでもいいましょうか。(それらの動画は、近代歴史館で見ることができます。)
この多富洞(タブドン)・倭館(ウェガン)・浦項(ポハン)のあまりにも辛い朝鮮戦争の実態を見た後の、この九龍浦(クリョンポ)との出会いは希望を感じさせてくれました。人と人との出会いにおいては、しっかりと繋がっていたのです。「あぁ、やっぱり間違っていなかった!」と確信させられました。
他にも調べると京畿道には、浅川巧さんという韓国の林業の基礎を創った方もいらっしゃいました。この方は、映画「道~白磁の人」にもなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZLxTkpCUT44
話がまた、少しずれてしまいましたね。
とにかく、これらすべてを受け止めながら、今私ができることを着実にしていこうと思っていました。
そんなある日、他の用事でソウルに行った時に、たまたま出会ったある人によって、私は「書く」ということを始めました。
その書いたものが、この韓国の地で「奇跡」を起こすとは思ってもみませんでした。
(次回に続く・・・)
================================
全てが愛おしく感じる瞬間。①母という存在
https://note.mu/kando_nuriko/n/n931946d33abf
全てが愛おしく感じる瞬間。②国と国との間で
https://note.mu/kando_nuriko/n/n299bc6a41293
全てが愛おしく感じる瞬間。③見えない力