「縄文展」@歴史秘話ヒストリア
先日終わってしまった、東京国立博物館の縄文展。
一部youtubeのNHK歴史秘話ヒストリア「縄文1万年の美と祈り」を通して、垣間見ることができた。
土器や土偶たちの美しさやシンプルさ、ユニークさなどから、1万年も祈り続けられて来た極東の誇らしい文化を強く感じた。
キーワードは「再生」。
永遠に循環する月の死と復活によって、月はこの世あるいは別世界での再生を保証するものとなった。 ネリー・ナウマン著「生の緒」から
太陽ではない「月」を象徴する模様などを通して、「再生」を表現した。それは例えば、村の真ん中にお墓をつくって死者を大切に守り暮らしていた環状集落は、縄文時代しかないという。
また死者は「屈葬」といって、お腹の中の赤ちゃんの姿勢で土葬された。再び生きることを信じていたからこそ、お葬式も悲壮なものではなかっただろうといっていた。
そして縄文時代にとって「土」は「大地」であり「母体」であって、それを崇拝しその恵みを分配していた。
縄文造形家は「土は『大地』の子宮であり『大地』の母体である」という。
だから土器を使いながら自然の恵みを頂き、食べた命がもう一度大地の底から沸き立ってくる、そんな大地からの日々の糧に感謝し・・・
自分たちの願いや想いや祈りを託しながら土偶をつくり、子孫たちがその命を咲かせるよう、その土偶を割って恵みを分け与えていたという。
以前「森林の思考と砂漠の思考」という本にもあったように、砂漠地域の西洋文明は「生」と「死」という二分法的思考の中で、常に「生」を象徴するオアシスの方向に行かなければ「死」に至ることを教育した。(その二分法的思考は、常に二つで「善」と「悪」としても象徴される。ちなみに人間の「脳」は相対比較を好み、それを通して判断しようとする。)
一方、森林地方の東洋文明は「生」しかない。あるのは生の「循環」であって、すなわち「再生」なのだ。
そもそも縄文人を先祖に持つ日本人には、二分法的思考である弱肉強食は合わず、恵みを分け与える「共存・共有」の方が似合う。
生きるか死ぬか、善か悪か、AかBかの二分法的思考に迷わされることなく、再生であり、循環であり、共有であり、共存である・・・土なる「大地」の子宮に戻ろう!
拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡