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夏が来れば思い出す、8月6日9日15日、戦後は遠くなりすぎて、~広島原爆忌、長崎原爆忌、そして敗戦~

 その日が近づくと、マスコミは戦争の話を思い出したように始める。

 8月になると、6日の広島原爆投下の日(広島平和記念日、広島原爆忌)、9日の長崎原爆投下の日(長崎原爆忌、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)がある。

 今年はオリンピックの閉会式があるので、9日を山の日にして休みにし、祝日を移動しようとした。けれど、原爆投下の日に「お祝い」の「祝日」はないだろうとのことで、苦肉の策で、前日、8日(日曜日)を山の日、祝日にし、9日は振替休日で休みにした。なんとも小手先の官僚的テクニックだが、その真意を国民にどれだけ発信しただろうか。
 早く買ったカレンダーには新しく変わった祝日は書かれていない。そもそもカレンダーに書かれていない原爆投下の日を、どれだけの日本人が知っているのだろうか。

 我が子が小学校の低学年だった頃の夏休み、宿題の読書感想文が書けないと悩んでいた。どれどれどんな本を読んでいるのかと見ると、原爆の本だった。ちょうど休みだったので、そのまま新神戸駅から新幹線に乗って広島へ行った。
 興味を持ったときに原爆資料館へ連れて行きたかった。
 いろんな意見はあるだろうが、日本に住んでいるからには、一度は広島の原爆資料館に行くべきだと思う。しかも、考えが固まってしまう大人になる前に、小中学生の頃に行ってほしい。
 洗脳教育がしたいわけではない。大人より子どもの脳の方が感動が大きいと思うから。
 そんな思いがあったので、私は子どもと広島へと向かった。もう何十年も前の話。


 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、エノラ・ゲイと名付けられたB-29が、人類史上初の核攻撃を行った。
 リトルボーイと名付けられた原子爆弾は広島市に投下され、9万 から16万人の人々を殺害した。リトルボーイどころか、生まれたばかりの赤ちゃんも、お腹の中の赤ちゃんも、年寄りもみんな死んだ。
 すぐには亡くならず、数ヶ月後に亡くなった方もいるので、死者の数をいうとき、こんな幅広い数字となる。
 さらに放射能は、何年にもわたって影響をおよぼす。原爆投下後に広島に入った人も含めて56万人が被爆したとされる。放射能は、被爆者だけではなく、子や孫にまで白血病などの後遺症を残す。これが核兵器だ。

 広島市のホームページでは、「原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。」という。

 コロナ禍前の原爆資料館、広島平和記念資料館は、中高生の修学旅行でいっぱいだ。歩くのもままならないこともある。展示物もろくすっぽ見られない。
 こんなことならネットで見たほうが早い。それでもネットで調べるだけでなく、実際の現地へ行ってほしい。平和記念公園を歩いてほしい。なかなか見つからず入れない資料館の入り口をさがしてほしい。
 広島へ行って、お好み焼きを食べてカープを応援するだけじゃなく、一度は平和記念公園へ行くべきだろう。

 ヒロシマとともに、片仮名で書く(つまり英語で話される)ナガサキとして世界に知られている長崎。コロナがおさまってから海外旅行に行くよりも、長崎に行ってほしい。

 1945年8月9日午前11時02分、「ファットマン」と名付けられた原子爆弾が長崎市に投下された。人類史上2度目の市民への核兵器使用だ。
 長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊したといわれる。

 長崎も、長崎原爆資料館へ、直接行ってほしい。
 平和公園を歩き、平和祈念像を見てほしい。右手は天を指し、左手は横に伸ばし、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうだ。
 平和の泉では、「水を、水を」と叫びながら亡くなった方々を感じてほしい。夏の暑い日ならよけいに感じることができる。
 ネット画面からは伝わってこない、身体から感じる現実がそこにはある。

 長崎へ行ってちゃんぽんや皿うどんを食べるだけでなく、平和公園に行ってほしい。ちゃんぽんを食べるだけなら長崎に行かなくても、リンガーハットのちゃんぽん、皿うどんがおいしい。まあ、現地へ行けば、リンガーハットとは違う味に出会えるかもわからない。それも実際に足を運ぶことによる発見だ。

 見出し画像はtome館長の作品をお借りしました。作者の主題とは全く別の使い方をしたのかもしれませんが、私の中では、なぜか原爆のイメージに重なりました。


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