毒のある秋の川柳
人の死が政争となる令和の世
安倍元総理の国葬について世論が二分され、日本人の心が二極化されていく。賛成反対の声に、亡くなった人の無念や、犯人の犯罪性への声が消えていく。「令和」は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」意味だと説明されたのに。ちなみにその説明をしたのが、当時の安倍総理だった。
元総理国葬議論きりもなや
本歌
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 中村汀女
彼岸花ドクあることを伝えすぎ
彼岸花をくわえるイラストが、毒だからと注意されたというニュースがあった。
毒キノコのニュースもある。赤いカエンタケをさわると手がかぶれるし、ドクツルタケは「殺しの天使」と呼ばれる猛毒だ。
そんなニュースまで流せば、毒を悪用しようという人間も出てくるかもわからない。毒の成分や使い方まで説明する必要はないだろう。自然には毒を持った植物があふれているというのに(身近にも有毒植物はいくらでもある)。
まだ割れぬザクロに手を出す人でなし
俳句でザクロを詠んだが、ザクロを見ていると卑猥な妄想が浮かんだ。妄想は妄想でそこまでだが、世の中には妄想を実現しようとする人間もいる。幼女に手を出すなんて、それは「人間」とは呼べない。けれど、そんなニュースが時折ある。
人間は、妄想を作品に昇華して生きている。昇華することによって犯罪者にならずにすんでいるようなこともある。芸術家だけでなく、一般の我々も、歌を詠んだり、作品を創ったり、妄想を言葉にすることによって心を落ち着ける。心が安らかになっていく。
創作するということは、自分の心を落ち着ける薬でもあるだろう。
昔から人は川柳で笑い、現実の苦しさや欲望を昇華し、忘れてきた。
俳句、短歌と十六夜杯に参加させていただき、最後の川柳です。
ほんわかしたものは創れず、こんな作品になりました。
最後に昨夜のまじめな作品も一つ。
十三夜木星を連れ風吹きぬ