ニート、東北へ行く。~東日本大震災ボランティア記~2S、四、五
以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。
四・ボランティアすることは
我々が残り二日お世話になったのはボランティア団体Sは東松島を拠点にしている団体だった。ここで我々は、避難所への物資のお届け、17日に行われるバザーの準備、Nさん(現地のボランティア)の御宅へペット用物資を取りに行く、等の手伝いをさせていただいた。
そう、ペット用物資。被災したのは人だけじゃない。ペットたちもそうだってこと。おまえだって前回見つけたでしょう?悲しいネコの遺骸を。
ってかそうだ、自分たちが大変なのにペットまで面倒みきれない・・・それでもペットってのはよく言うけど家族なんだよなぁ、ってうちのネコにどんだけ助けられてるか、わかってんでしょう?自分自身。
だから、そこの部分のケアをするんだ。Nさんはペットへの支援を重点的にされている方だ。自身はここ東松島で被災されている。震災の時、実家へ行き、お父さんに「津波が来る!」って一緒に逃げようとしたんだけど、お父さんが「津波なんか来るか!」と。それで、ケンカみたいになっちゃって、犬だけ連れてNさんは高台に。そのあとで、他の家が壊れるバリバリって音を聞いて、お父さんが逃げてきたという。津波から30m先を走ったっていう。
その実家の御宅は一階の天井から30cmくらいのところに津波の跡が残っていた。
僕らはその実家に届いているペット用支援物資をバザー会場でもある“あったかいホール”に運ぶ。輸送できるためバンと軽トラで来たんだ。
実家の一階、まだ直してない床の上にエサやトイレのシート。種類や年齢で分けられているエサ。栄養不足にならないよう、お医者さんとかで扱ってるようないいものらしい。これから暑くなるし、ペットも大変だもの。
ナチュラル・ドッグ・スタイルや静岡の獣医さんから提供されたものだという。ってかNさんが呼びかけを何らかの形でしたからこうやって物資が集まるんだろう。その思い。
御宅を周って、その家のペットの年齢、種類、名前を教えてもらってノートにまとめていたんだ。この御宅には何が必要かってわかるように。そして、エサ2袋とトイレシート1袋を基準に、飼い主さんのご要望に合わせて配るんだ。
ボランティアってのはそこまでやることなんだ・・・。
詰め込んで、あったかいホールへ。
その途中で・・・つづく。
五・なんとなくな幸せって
その途中で僕らが見たもの。
小学校。帰ってから気づいたんだけど、AERAに載ってた小学校。屋上にたくさんの人たちがいた。校庭はガレキまみれだった。今こうやって自分が撮った写真を見てみると、校庭のガレキはなくなっていた。もちろん、屋上にいたたくさんの人も。
ここであったことを、Sでボランティアをしている現地の主婦の方に教えていただいた。
地震の後、小学校に子どもを迎えに行った。そのときに津波が来る!と聞いたのか、そのまま小学校に避難。体育館に逃げ込んだ人々。だけど、津波はすさまじく、人々は体育館の二階へ。二階というか多分渡り廊下の辺なのかもしれない。上がりきれなかった車いすの人やお年寄りの方が、水面にプカプカ浮いていたんだ。そんななか、先生たちがガラスを破って入ってきたって。そして、浮いている人達を救い上げたんだ。棒や何やら使って。
だけど、救い上げられた人たちの多くは、救助を待つ間に亡くなったんだ。ずぶぬれになってたせいで、低体温になって。
どんな思いで過ごしたのだろう。救助を待つ間。あたしに分かるはずがないけど。あんなに手を尽くしても、かなわないことがある。どんなに胸を痛めたのだろう。
ってこんなふうに私が感傷にふけってもどうにもならないんだ。
主婦の方はそれから、ボランティアの方々への感謝を口にしていた。家をきれいにしてくれたって。だから、今私もお返しじゃないけど、ボランティアできるかなって、そんな感じのことをおっしゃっていた。
そのころ(7月中旬)、東松島では、お祭りをやろうってことで、Sのところにも協力の依頼らしきものが来ていた。気づけば、僕らの地元では、毎年やってる大きな花火大会が中止になっていた。不思議な話だけど、そう。誰も中止を望んでいないのに、何故か中止になるお祭り。東北の方がお祭りに積極的っていう不思議。もちろん、祭りをするだけの大変さをNHKスペシャルかなんかでちょっと見たけど。それでもやろうとしてたんだ。
そういうことか。やろうとすること。何かアクションを起こすこと。おかしいなってボヤいてるだけでは、何も変わらないってこと。相も変わらず、世界のしくみを変えたいとかボンヤリと夢みたいなことを思っている。でも、思っているだけでは何も変わらないんだ。わかってるんだけどな。
今日は8月11日(違うもう12日か。)、震災から5カ月。14時46分に黙祷しようと思って、別のことをしてるうちに忘れた。今した。遅い。母校の先生に、「震災のことを誰かが考える機会が増えるのなら喜んで。」などと座談会の参加を了解したのだが、このていたらくだ。
被災地を目で見て、胸を痛めた人間のこのありさま。でも、これが人間だとも思う。ありのままをさらけ出すなかで、何を大事にしていく。まだ誰かのためにいきれない。誰かのためにできること。あたしのためにできること。
でも、なんか見えそうな気がしている。露出狂のあたしの奥底にいる自分が。そしたら、割り切って進めたりするかな。
ボラ記セカンド・シーズンは短めに終わる。あとは多分、もう少しことばの残すだけ。前回のようなメッセージは残せる?
言っちゃえば、小さいボランティア団体がいて、行政や大きな団体の手からすり抜けてしまった方々を支援されていること。でも、ボランティア団体自体が長きに渡る支援で精神的にも金銭的にも疲弊していること。それでもやるっきゃねぇってやってる人たちが居ること。
支援の在り方を考える。あたしの行く道も考える。私に何ができるだろう?とにかくなんかやれってことか・・・な。
今回、私を連れてってくれたマスター、そして一緒に行ってくれたメンバーに、そして東松島の、石巻の皆さまに感謝を。
祈り。
くるり:鹿児島おはら節
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