ロロ「グッド・モーニング」
先日ストレンジシード静岡でのロロ「グッド・モーニング」(いつ高より)が素晴らしぎたので、ネタバレ満載に心に触れたこととか連ねてみたり。
心をぎゅーとつかんだこと。不登校の(逆)おとめが、夜中学校に忍び込むために夕方学校に向かう(門が閉まる前に、なので夕方ってのがまた優しい)とき、すれ違う同じ制服の学生の笑顔を見て思うこと。「ああ、今日楽しかったんだね。」って。誰かの幸せを喜べること、その美しさ。
(逆)おとめは夜中の学校で教室やいろんなことに忍ばせた盗聴器を回収してはその場の音を聴いている(ちなみに(逆)おとめはラジオのハガキ職人でラジオネームが「(逆)おとめ」とのこと。)
気になった音。シューマイという男子生徒が音楽に合わせて踊っている音。音楽と足音だけが聴こえる。
見たこともない、しかも放課後誰もいない教室で踊っている子のことが気になるということ。
いつかその子に見せようと、足音に合わせて踊りの練習をするということ。
そんなことにわーっと心惹かれてしまう。
ストレンジシード静岡2019、ここは野外、本当の駐輪場、まだ朝早く誰もいない中、(逆)おとめがヘッドホンをして踊っているのを、白子が見つけるところからこの物語ははじまる。
私にとって、めちゃくちゃ聞き覚えのあるメロディーが流れる。「ジャンジャジャーンジャジャ×2、通りあっめが…」小沢じゃないか!そう「いつ高」の正式名称が「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」だとはいえ、こう「愛し愛されて生きるのさ」を持ってくるとは思わなかった。
初対面の二人、不登校の(逆)おとめは白子の顔を見れないほど。天気の話からはじまるありきたりな二人の会話。オザケンも曲のタイトルを知らない(逆)おとめ。そうシューマイが聴いていたから、好きになっただけなのだ。「オナラで月まで行けたらいいな」小沢氏幻のポンキッキーズで歌った曲。白子曰く、あの頃日本の子どもはみんなポンキッキーズを見てから学校に行った。(逆)おとめはおはスタ見てた、いや今も見てる(学校行ってないから。同じように学校に行ってなかった私は笑っていいとも金曜日が楽しみだったとか、ナイナイと中居くん。なんてことを思い出してる。)。戻って(逆)おとめはハライチ岩井が好き。ハライチのターンが好き。ラジオの声だけで岩井の笑顔がどんなのか想像できる。岩井の話に笑っている澤部の顔も。
めざましテレビの占いコーナーは3回あって、白子は最初のを見て、学校に行くこと。
なんだろう、そんな人によってはくだらないカルチャーがでもそのときにしか出会えなかった固有名詞がきっとぼくらをちょっとだけハッピーにしてくれる気がする。
盗聴してるけど、それを聴くことでその場にいるような気分になる(逆)おとめ。そう恨みつらみとかに向かないんだ。そしてそれがなんだかすっと染み入る。綺麗事なんかじゃなくて。
学校の誰かと誰かが手を繋いだ瞬間を盗撮笑してる白子。(逆)おとめにシンパシーを感じるでしょう的な雰囲気になるけど、盗撮は許せない(逆)おとめ笑。そんなところに可笑しさを感じて。
LINEを交換する二人。きっと(逆)おとめにとってははじめてのふるふる。
駐輪場の端と端で響く着信音とライン!の音。何を送りあっているかはわからない。だけど、二人の送り合う間(考えて送ったんだろう長い間から、スタンプ付けたな的な早い間)に、二人の表情に心が和やかになっていく。この感情にどんな名前をつけたらいいだろう。こんなにも愛おしくて優しい何か。
時間は過ぎて、他の生徒がやって来はじめてる。白子がシューマイを見つける。白子に背を押され、(逆)おとめが踊る。白子も踊る。「セリフ!」って白子が(逆)おとめにセリフ部分を語らせる。
「家族や友人たちと 並木道を歩くように 曲がり角を曲がるように 僕らはどこへ行くのだろうかと何度も口に出してみたり 熱心に考え 深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど」(歌詞は私の記憶のままだけど、どこか間違っていてもそれでいい気がするのです。)
私の心は震え、熱情がはねっ返った(ある光やないか)。私の目は涙で溢れていた。暑い日差しの降り注ぐ駐輪場、頭に乗せていたPOP VIRUSタオル(なぜ源だ。)で思わず涙を拭い、踊る歌う二人に目を凝らす。
歌の終わり、「君の住む部屋へと急ぐーーうう、ああーー!!」の破壊力。こんなにもかわいくて優しくて二人の心が通じ合って、こんな私の心をうつ何か。
そして二人の「おはよう。」二人の思いが溢れたおはよう。
そこに流れるは「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)!」リバーズ・エッジとはまた違う、朝の二人。そんな二人の新しい始まりを祝福するかのように。また泣いてしまいそうになる。
ロロは毎回素晴らしくて、胸のどこかをいつだって刺激して、切なくさせたり、優しくさせたり、何かを思い出させるような淡い感覚にしてくれる。
見えないものとか、そこにないものとか、想像することの素敵さを教えてくれる。
ポップカルチャーという武器を携えて。そしてそれこそがPOP VIRUSなのかもしれない、なんて、めちゃくちゃ強引に繋げてみたり。
余談、二人が使ってる自転車。よくみると自転車には「いつ高」のシール。細かいぜ!そういや貼ったね学校指定シール。