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ニート、東北へ行く。~東日本大震災ボランティア記~ ーセカンド・シーズンー序

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

2度めの東北行きは7月11日~15日にかけてだった。帰ってきてから綴ったものを。

序・風を集めて

 再び帰ってきた、東北から。それからどうしたものか、やる気が出ない。何かをする気がまったくおきない。どうゆうことだ?!このダメ人間!と叱咤したところで、どうもダメダメ人間のままだ。
 とりあえず書く。どうだぃ?書くことならできるかぃ?なんて自分に聞いてみる。また、誰か知ってくれ。忘れないでくれ。そんな気持ちで今日も書いたらいいだろう?あたしが今からっぽだって、先週見てきたものはウソじゃない。現実にこの目に焼き付いているだろう?そういうことだ。


嵐のCDジャケットが落ちていた(ヘッダーの写真)。被災した中学校の一階。そう、嵐が好きだった子がいたってことだ。机かなんかに入れていたんだろう。どうもこうゆう個人めいたものを見ることで、此処に4か月前まで人がいたってことに気づくんだ。こういうもんにこそ、何かあるって思うんだ。


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視線を上げて、見えるもの。津波の被害。教室だった面影がない。二階に上がっても・・・

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教室は泥にまみれていた。そう津波は2階まで来たってことだ。震災から4カ月。ここはほとんど変わっていないのか。 

外に出て、体育館に向かう。3月11日は卒業式だったという。震災時刻は生徒も先生もみな卒業式後のパーティ的なもので別の場所(かんぽの宿だっけな)に移動していたらしい。

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なんだ、これは。というのが正直なところだった。泥で床も見えない中、大きな流木が2階窓を突き破って転がっていた。足元にはトロフィーが散らばっていた。

 もう一度外に出て、独りになってみる。ソフトボールが落ちていて、思わず握ってみる。不登校になった俺には、けして中学にいい思い出はない。それでも・・・。まさかこの学校で授業を受けれなくなるなんて誰が考えたろう?教室の黒板に書かれた来週の予定、そのままだ、なんて誰が思うだろう?嘘だと言ってほしい。でも嘘じゃない。現実なんだ。あたしがショック受けたってどうになるもんでもない。だから書く。載せる。
 ソフトボール放り投げて、また歩き出す。この中学校をあとにする。

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 振り返る。ここは東松島の鳴瀬第二中学校。4か月過ぎても、変わらない場所。時計の針は津波が来た時刻で止まったままだ。
 ここの生徒さんたちは市民センターで授業を再開している。遅れを取り戻すため土曜日も使って。そんなことを、私たちを案内してくれたこの学校の卒業生であるボランティアさんが教えてくれた。

そう、今回は見てきた。いろんな場所をこの目に焼き付けたんだ。7月11日の夕方に宮城県東松島市に着いてから4日間、ボランティアするとともに、いろんなもんを瞼の裏に焼き付けたんだ。矢継ぎ早であたしの受けるダメージも大きかったけど、それでも。私はこの景色を見たことが大事だったと思うんだ。
そんな感じで今回のボラ記、はじめます。

イザベラ:清竜人



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