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ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~⑧ 最終章

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

最終章・ぼくが東北に行けた理由

 長々続いたこの記にも終わりを告げる。だからこそ俺が一番伝えたいことをここに綴ることにする。

 そもそもどうして俺が東北にボランティアに行けたのか?

 「暇だから!!」まぁその通りだ。なんたって、Yes!I’m neet!!!だ。丁度直前までジョブトレ→途中からバイトもしていたし、資金もあった。名古屋で説明会がある、しかもその日に名古屋にいるっていうツキもあった。流れが行く方向に向いていた。

 でも、やっぱそれ以上に必要なのは行きたい気持ち。正直俺は、被災者を助けたい、という気持ちよりも、今現地を見ておかないとヤバいって気持ちの方が強かった。今見ておかないと、すぐに忘れちまうって。他人事で終わってしまうって。そうかきたてるもんがあったんだ。

 行きたくても仕事で手が離せない人はいる。でも、もしかしたら、時間があっても行っても何もできないとか、役に立てないんじゃないかって思って迷ってる人だってまだいるんじゃないのかな。

 そんなみんなにぜひ行って欲しい。遠慮する必要なんてない。今年の4月までバイトさえしたことのない人間が行けたんだぜ?行きたいって気持ちさえあれば、いける。

 今はさ、すぐにいろんな映像が手に入れられるし、TVでも壊れた住宅とかたくさん流れていた。きっと行った俺なんかより非道いもんを見てる人だっていると思う。でも、現地じゃなきゃ感じれないもんがあるから。かき出したヘドロのにおい。日和山で感じたにおい。自分が見たいと思ったとこを見れる主体的な視線。空。

そしてもちろん会った人たちから受けるもの。それは「お話を聴く」に書いたけど、ことばを交わして、一緒に作業して、震災のこと、なんでもないことも話してくださる。
「これで済んだと思わなきゃねぇ。」一階まで水に浸かったというのに、その御宅の方はそう言っていた。
「あのブロック塀が隣の家の敷地にもたれかかっているから、なんとかこちら側に持っていけないですか?それから、雨が降ったら泥が側溝に流れてしまうから、畑の側溝側の辺をやってくれませんか?」そう我々に頼んだ御宅の方は、自分の家の畑に、誰かが別の所で掻いたであろう泥を捨てていかれているのだ。
 やりきれなくなる。やっぱり僕らは、この場所の方々の誰かを思いやる心に甘えてしまっているんだ。今、この国で一番つらいことを引き受けてくれている人々に、甘えているんだ。それでいいのか?
だから、恩返しをしたいんだ。

 まずできることはこの震災を忘れないこと。

 いつだって僕らはその一瞬だけ盛り上がって、知らぬ間に忘れていた。毎年、その日が来るたびあったなぁなんて思い出すだけの。
そうならないよう、この震災について話そう。俺が見たこと。聞いたこと。ネットで見たこと、聞いたこと、多分なんでもいい。それが忘れかけてる人に「おっ。」と思わせてくれるかもしれない。(追記、あれから10年が過ぎて、あらためて自分に突きつけてくること。私だってそうなっているんじゃないのか?って。)

 そしてまた書くけど、出来れば行って欲しいんだ。

 危険はもちろんある。ケガや病気の怖さもそれなりに書いたつもり。これからの季節、暑くなるし熱中症の危険だってある。でも、水分をしっかり摂ったり、十分に気をつければやっていける。無理はしなくていい。それでいいんだ。安全が一番だから。

 行きたい気持ちがあればいい。出来ればちょっとの想像力と自分の意志があれば、さらにいい。←俺が足りないなぁって自覚したもの笑。
 そして、何かできるなんて思わないこと。復興ははじまったばかり。やらなきゃいけないことがまだまだたくさんあるだろう。微々たる成果に何も出来てないなんて思うかもしれないけど、それでも確実に進んでいるから。

 もし心配だったら、心配性で行っても何していいかわかんない~な俺のように、ピースボートみたいな団体に所属するのがいい。説明会でちゃんと説明してくれるし、わかんないことがあれば、その場でスタッフに聞けばいい。説明会で無理だって思ったらやめればいい。説明会に来るぐらいだったら、この震災のことを忘れないでいてくれるだろ?

 なんて感じでいざなっておこう。おいでませ、ボラティーランド!!(オカダーランド!!の要領で)ってスベってどうする・・・俺。


 なぜ俺が行けたか?もう一つあった。どうしようか悩んでいた時期に、「できれば行きたい」とかなんとか周りに言ったからだ。気づいたら悩みながらも行く気にはなってた。見栄とか、自尊心とか、虚栄心とか、ちやほやされたい心とか、みんな引き連れて。そしてそいつらを引き連れていたって何の問題もなかった!!
 それで、行ってみたらあっという間だった!うん?3日目過ぎてからか!大変だったけど、嫌な感じのする大変じゃなかった!って超俺の主観だ笑!!

 最後に俺が行って変わったこと。

 人との出会いを大切にしたいと思えた。いつでも会えるなんて思わないで、今を生きよう。人生の境目っていつかわかんないぜって。運河を境に被災地と大丈夫な地が別れたように。だから、ある子に会おうって連絡した。約束した。延期になった・・・っておいっ!

 あと、「何やってるの?」「無職っす!」に慣れた笑。
 だってそれが何?って感じなんだもの、あそこにいると。別に無職だろうがなんだろうが、作業出来りゃ別にいいわけだ。ってか思うんだ。胸張る必要はないけど、別にへりくだる必要もないだろう?
 俺は俺なんだから。でも最後の日の日記、「この混乱をどこに持っていく?そしてあたしはどこに向かえばいいのかえ?」って相変わらずだなぁ!1週間でなーにも変わらないことだってあんだ!そういうことです!


 気づけば、専修大学を出発したバスは東京に着いていた。19時半過ぎだった。って大体寝てたなぁ、牛タンハヤシライスを食ったのはいつだっけ?
 雨の西麻布・・・違う(って今これでボケる人いるか?笑)、新宿に降りて、1週間御世話になったメンバーにお別れを言った。ありがとう。楽しい日々を過ごせたよ。そうだ、ボランティアって作業自体は誰かのためになることだけど、それを楽しむって言ったら語弊があるけど、充実させることはできると思う。
 さぁ、俺は銭湯に行こう。探してくれただろ?メンバーが。あとは無くなりそうな携帯の電池を気にしながらも、ナビをフル回転だ。傘持ってねぇから濡れるけど、気にすんな!行け!行け!一週間ぶりのお風呂まで!!(チャットモンチーっぽくね笑)


ある光:小沢健二
Beautiful:Dragon Ash
星になれたら:Mr.Children

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