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村上”ポンタ”秀一 [drums]

私の好きな日本人ドラマーが3人います。
青山純、山木秀夫、村上”ポンタ”秀一です。特に村上”ポンタ”秀一(以下、ポンタさん)のドラムスが大好きです。日本で一番好きなミュージシャンです。

歌謡曲、ポップス、ジャズなど、ポンタさんがレコーディングに関わった音源を集めた時期もありましたが、時代も時代だったので(1970年代)クレジットされていない場合があったり、なんせ、膨大な参加レコーディングがあるので追いきれないのが現状でした。ポンタさんの自署「自暴自伝」にも書いてありましたが、居酒屋かなんかで有線から流れてくる曲を聴いて「このドラムスうまいね」と話したら、お付きの人が「何言ってるんですか。この曲ポンタさんが叩いているんですよ」といったエピソードもあるように、自分でも忘れていることも多かったようです。

■プロフィール
1972年、フォーク・グループ「赤い鳥」に参加。 以降、渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一、後藤次利らとセッション、さらに井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、さだまさし、泉谷しげる、DREAMS COME TRUE、桑田佳祐、EPO、角松敏生、尾崎豊など、膨大な数のミュージシャンのスタジオ・レコーディングやライヴに参加しました。参加レコーディングはゆうに14,000曲を越えるそうです。

■極私的ポンタさん
ポンタさんは色々なジャンルのレコーディングに参加していますが、今回は歌ものを中心に書いてみました。

初めてポンタさんを認識したのは、さだまさしがグレープ解散後、ソロになって一枚目のアルバム「帰去来」です。当時ミュージシャンのクレジットは珍しかったのですが、シンガーソングライター系の人たちはクレジットを記載することが多くありました。当時は「”ポンタ”」は入っていなく、「村上秀一」でクレジットされていました。アコースティック・ギターとドラムスの音の相性が良いと気づかせてくれたのもこのアルバムでのポンタさんでした。

とにかく、私はハイハットにしてもスネアにしても音が好きです。
手数が多いので、「うるさい」とか「キックが弱い」など批判的なことを言う人も多いですが、私にとっては「歌っているドラマー」という印象が強いです。ドラムスの演奏が、さも歌っているかのようなのです。

本人も良く話をしていたのですが、歌詞を見て把握してから叩いたり、歌詞が出来ていなかったりすると怒ってしまったりと、「歌」を重んじるセッションドラマーでした。「歌詞をあらかじめ読まずに、良いドラムスなんか叩けない。」といった理由でレコーディングを断ったこともあったそうです。その気持が歌ものに十分に表れていると思います。

ポンタさんとスタイルは違いますが、マイルス・デイヴィス最強クインテットに在籍していたトニー・ウィリアムスやスティーブ・ガッドにも同じような印象を受けました。同じリズムパターンを叩くだけでなく、ドラムが歌っているような印象を感じました(極私的見解です)。

ポンタさんに会いたかったけど2021年に亡くなってしまいました。厳密にいうと、深夜、六本木の「鬼太鼓」という居酒屋で見かけたことはありました。そのときは大勢のお仲間と一緒で、鼻に割り箸を突っ込んでおちゃらけていました。「何やってんだ、この人は」と思ったことを思い出します。

亡くなったミュージッシャンの中で日本音楽の財産を失ったとリアルに感じたのは、坂本龍一とポンタさんです(こちらも極私的見解です)。二人とも、もっと聴きたかった。

■山下達郎
「Sugar Babe」解散(1976年)後、ソロになりシングル「Ride On Time」(1980年)で売れる前のまでのツアーバンドで、ポンタさんが良く叩いていました。有名なのがライブアルバム「It’s A Poppin’ Time」(1978年)のドラムスがポンタさん。いわば盟友。山下達郎がポンタさんが亡くなった後のロングインタビューで、ポンタさんの音楽家としての姿勢について文春オンラインでちょっと触れていました。

ーー ポンタさん、対外的にはぶっきらぼうなイメージもあったと思うんですが、そういつところは感じませんでしたか。
山下達郎:ないです。むしろ非常に寛容な人だった。ミュージシャンにも色んなタイプがいて、何でもかんでもけなす。悪いところばかり探すやつがいる。でもポンタと山岸潤史は、本当に嫌いなもの以外はけなさないんです。何が「嫌い」の基準かというと、スタイルよりむしろスタンス。「お前、そんな態度でやってんじゃねえよ。」ってところはあるけど、上下関係とか音楽スタイルとかは、一切問題にしていないんだよね。うまく言えないけど。

ーー ジャンルではないんですね。
山下達郎:ジャンルじゃないんです。そういうところに対する寛容さは素晴らしくあった。泉谷しげると共演したのも、その人となりと、音楽に向かうパッション、そういうものを重視していたんじゃないかな。

「シュガー・ベイブの後、なぜポンタにドラムを頼んだか」山下達郎が始めて語った
戦友・村上”ポンタ”秀一(文春オンライン):インタビューアー 真保みゆき(音楽ライター)

■泉谷しげる with LOSER
泉谷しげる with LOSERを組んだときの話もポンタさんらしさが出ています。自著「自暴自伝」に詳しく話していましたので、書いてみたいと思います。以下、ポンタさんが矢沢永吉のツアーバンドをやっていた頃の話になります。

〜(泉谷しげる with LOSER)組む少し前に、泉谷のコンサートを日本青年館まで見に行ったことがあるのね。あいつのプロモーターが矢沢(永吉)と同じキョードー東京だった関係で、「一度見てやってください」と声かけられて。泉谷もその前の年までバックをやっていた石田長生(ギター)のバンドと別れたあとだった。

で、正直つまんなかったのね、青年館のライヴが。俺、その感想を泉谷にはっきり言ったのよ。新宿の「ホワイト」ってバーで飲みながら。
〜中略〜
「今のままじゃもったいないよ」って泉谷に言ったわけ。「あんたは詩人なんだから、その言葉を生かしてくれる、ふくよかな演奏ができるミュージシャンとやらなきゃだめだ」って。四十面下げてロックやる以上は、そうでなきゃ意味がないじゃん。

「じゃあ、誰かいいやつ紹介しろや」と言われて、まずドラマーを当たった。二十人近く打診してみたよ。そうこうするうちに思い当たったのは、「俺じゃダメなのかな?」ということだった。泉谷に聞いてみたら、「えっ、やってくれんの?」。お互いうかつだったね。〜

自暴自伝:村上”ポンタ”秀一(文春文庫)

ポンタさんの音楽に対する姿勢や人となりを感じる会話だったので、印象が残っていましたので書きました。とても良い話で、好きなエピソードです。こんなポンタさんが人間的にも好きです。

■My Favorite
最後にポンタさんの叩いてる歌もので、好きな曲をリストにしていつも聴いているので、「My Favoriite」を書いて終わります。もしかしたらポンタさんではないかもしれないけど、ポンタさんが叩いていると信じている曲も含まれています。なんせクレジットがないものも多いので・・・。違う場合は指摘してください。

聴く機会がありましたら、ぜひドラムを意識して聴いてみてください。
渡辺香津美や山下洋輔、松岡直也などとの交流についても話したいのですが、ポンタさんのことを語りだしたらきりがないので、また今度。
長文失礼しました。

<My Favorite>

気分はメンソール:門あさ美
恋は流星 Part Ⅱ(シングル):吉田美奈子
ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜(アルバムバージョン):竹内まりや
Summer Connection(シングルバージョン):大貫妙子
Paper Doll:山下達郎
フーリング:ハイ・ファイ・セット
春夏秋冬:泉谷しげる with LOSER
なごり雪(シングルバージョン):イルカ
風の街:山田パンダ
夕凪:さだまさし
宝島:町田義人
ポーラスター:八神純子
翳りゆく部屋:荒井由実
ドリーミング・ラブ:中原理恵
Mr.サマータイム:サーカス
のがすなチャンスを:オフコース
Still, I’m In Love With You:角松敏生


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