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異邦人:久保田早紀(音楽宣教師) - その3 -

このあと、1980年にはNHKがシリーズドキュメンタリー「シルクロード」を放映することもあり、ブームを先取りする戦略もあったようです。

久保田早紀もアルバムやシングルを何枚かリリースします。その中には本当にやりたかったユーミンや矢野顕子のような楽曲もあったのですが、ヒットには繋がりませんでした。私もオリジナルアルバムを何枚か持っているのですが、「異邦人」のような強烈なインパクトはないものの、優れたポップスに仕上がっています。

モンスター「異邦人」がはじめに来てしまったのは、つらいですよね。
売れない時代があって「異邦人」のヒットだったら、ポップス歌手としてもっと長く活動できたのではないでしょうか。また、作詞・作曲家になるとか別の道もあったかもしれません。個人的にはセカンド・アルバム「天界」の3、4曲目「碧の館」、「真珠諸島」なんて大好きな曲です。

■結婚
その後俳優・声優 久米明の息子で、フュージョンバンド「T-SQUARE」「プリズム」などのキーボーディストとして在籍した、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーの久米大作と結婚します。

「久保田早紀としてはもう十分に活動した」との思いもあり、結婚をきっかけに1984年に九段会館での「フェアウェル・コンサート」を最後に芸能界を引退します。キーボーディスト久米大作と結婚したことは以前から知っていて、本名が小百合ということで、「久米小百合」イコール「久保田早紀」だと思いました。最初の関口教会の貼り紙のくだりに繋がります。

自身が歌うことや芸能界に入って大ヒットすることが想定外だったようで、「自分自身が芸能界で異邦人になっていた」(東京新聞:100年の残響 昭和の歌物語)と感じていたようです。今思うと、テレビに映るミステリアスな雰囲気は、多分、自身芸能界の水に合わないと思って、緊張していたのではないかと私は感じました。

■音楽宣教師
1981年「オレンジ・エアメール・スペシャル」ではユーミンのようなポップスを歌っています。この曲も良い曲ですよ。本当はこのような曲がやりたかった気がします。同年に洗礼を受けます。引退後は本名の久米小百合でミュージック・ミッショナリー(教会音楽家、音楽伝道者、音楽宣教師)として音楽活動を行っています。

くめさゆり名義のアルバム「天使のパン くめさゆり・さんびか集」(2009年)も聴きましたけど、力が抜けていて良かったですよ。今やっと自分のやりたい音楽活動が出来ているのではないでしょうか。

最後に東京新聞「100年の残響 昭和の歌物語」での掲載記事を載せて終わりにします。

「自分にとって音楽って何だろう」とルーツを探っていたんです。小学生のころ、賛美歌に惹かれて教会の日曜学校に通ったことを思い出し、八王子市内の教会を訪ねると、信者たちが賛美歌を歌っていました。心から楽しんでいるように感じました」そうした中で触れたのが賛美歌だった。

1981年に洗礼を受け、3年後に芸能界を引退。以来、「音楽宣教師」として活動している。教会やライブ会場で賛美歌を歌い、リクエストがあれば「異邦人」も披露する。聖書のメッセージから書いたオリジナル曲を収めたアルバムも出してきました。その一つ「天使のパン」のタイトル曲は、息子が飛行機の窓から見下ろす街を表現した言葉から詞を着想したという。「白い朝みたいじゃないですか」と水を向けると、「あ、言われてみれば…」と笑う。

いま、長崎でのキリシタン弾圧と原爆投下の歴史を読み解くドキュメンタリーづくりに協力している。「長崎は潜伏キリシタンが迫害された地です。原爆が投下されたことも合わせ、大きな悲劇に対して神はなぜ沈黙していたのかを問うドキュメンタリーです」。現地を旅し、「案内役」としてその答えを探すという。久米さんにとって新たな「時間旅行」になりそうだ。

東京新聞:100年の残響 昭和の歌物語

「憧れてミュージシャンになったけど、仕事にすると毎日が苦しい」という話はよく聞く話です。特に商業音楽に関しては、よっぽど「強い精神力」と「創造力の持続」がなければ、長い間活動することは難しいでしょう。娘が高校まで吹奏楽をやっていたのですが、高校生の吹奏楽にも同じようなことを感じたことがあります。特に毎回全国大会に出場する強豪校の人たちは、勉強そっちのけで、ほぼ毎日朝から晩まで練習しています。

その結果、高校卒業後「もう音楽はいいや」となり、音楽自体を辞めてしむ人も多いそうです。音楽が大好きな私としては「それでは意味がない」と常々思っています。いろいろな考え方があることは分かっています。が、コンテストも大事だとは思いますが、その前にベースとして「音楽を一生の友」として、自分の人生を豊かにするものであってほしいと思います。幸い娘は大学で管弦楽団に入り、社会人になってからも区民オーケストラに所属して、今でも一生の友として音楽を楽しんでいます。

その意味で久保田早紀は「異邦人」を経て、自分の道を見つけ、大好きな音楽を今も続け、最高に楽しんでいるのではないでしょうか。
とても素晴らしいと思いました。

長文失礼しました。
長年「異邦人」に関する記事を見たり、教会での貼り紙を見たりして、「なぜヒットしたのか」、「久保田早紀とはどのような人なのか」、「なぜ突然いなくなったのか」など興味を持ち、私がnoteをやりたいと思ったきっかけの一曲でもあります。思い入れが深く、長い文章になってしまいました。ご清聴ありがとうございました。


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