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高坂甚内 - その1

六代目 神田伯山が松之丞時代に出したCD「松之丞ひとり〜名演集〜」が大好きで良く聴きます。そこに慶安太平記(第7話)「宇津ノ谷峠」という演目があり、高坂甚内なる武将が登場します。

うちの回りには大小祠が数多くあり、日常の風景になっているので、それまで全く意識をしていなかったのですが、近所に「甚内橋」「甚内神社」なるものがありまして、高坂甚内と結びつき、俄然興味が湧き、それにまつわる話を調べ始めました。なかなか難しかったのですが、まず、講談のセリフに出てくるくる三甚内は誰なのか調べました。

■三甚内(高坂甚内、庄司甚内、鳶沢甚内)
高坂甚内・・いろいろな説があるようですが、講談内ですと、武田家の重臣であった高坂弾正の息子で、武田忍者の頭目であったとされています。主家滅亡後は武田家の再興を願って、軍資金を稼ぐために盗賊になって江戸市中を荒らし回っていたとされています。

庄司甚内・・幕府に雇われて、当時点在していた遊郭を一つにまとめ、江戸の僻地にあった葦が茂った土地、現在の日本橋人形町に「元吉原」を作り、吉原町の総名主になった人物(元吉原:中央区日本橋人形町2丁目/吉原大門:人形町2丁目と富沢町の境)。

鳶沢甚内・・元々盗賊をしていましたが、その後足を洗い、現在の日本橋富沢町辺りで古着屋を営みつつ盗品があれば幕府に密告する役割を担っていました。日本橋富沢町の町名は「鳶沢」の文字がなまったと言われています。今でも名残があり、富沢町付近は洋服を扱う問屋が多くあります。

■当時の江戸の治安
その頃、東海道から江戸の治安を乱す相模足柄の風魔一族の所業に家康は手を焼いていました。風魔は小田原北条家に仕えた乱波の一派で主家を失い悪行の限りを尽くしており、同業の裏社会の高坂甚内とは対立する関係にあり、邪魔者でしかありませんでした。高坂甚内は家康に接近して、風魔一族の動勢と複数の潜伏先を探り、幕府捕方に密告しました。1603年、幕府の一斉盗賊狩で風魔一族五代目の風魔小太郎は捕縛処刑されました。

江戸の治安が安定してくると、高坂甚内は散り散りとなった風魔の残党などを掻き集め、裏社会で大きな力を持つようになりました。今度は幕府は邪魔者になった高坂甚内の捕縛を命じました。高坂甚内は幕府から逃げるため、関東各所を約10年に渡り逃げ回っていましたが、今度は江戸の古着商を統括している元盗賊の鳶沢甚内が裏社会の動勢を把握しており、幕府に情報を教えて逃亡中の高坂甚内の居所を突き止め、1613年に捕縛し、鳥越刑場に移されました。

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