chapter1-5:空から降ってきた少女
――8歳のオレは、クラスの英雄(ヒーロー)だった。
技術者の父とじいちゃんの影響で、特に意識する事もなく機械いじりが得意になっていた。そうやって作ったメカ達はクラスメイトをいつも驚かせる。勉強だって相当できたし、スポーツもそんなに苦手じゃない。中でもGPドライブを使った空を飛ぶ工作は、ひとたび作れば周囲で取り合いが起こるほどの圧倒的人気を誇っていた。
――オレは、クラスの英雄(ヒーロー)だった。
「うわぁ……! 何これ!」
小さなモバイルテレビを2人でとりあうようにしてオレと、彼女が見ている。小学校の自分達にとってもやはり手狭に感じられる8インチ程度の小さなモニター。その中を縦横無尽に飛び回るエアロフレームの姿が映し出されていた。
「凄いね、私こんなの初めてみた!」
両方の頬を紅潮させて、その少女は跳ねるようにこちらへその興奮を伝えてくる。
「エアリアルソニック、知らないの? GPドライブ付きのエアロフレームでバトルするんだよ」
オレは得意げだ。父親がこういった技術関係の仕事をしている事から、普通の小学生では知り得ない様な詳しい情報を有している。実際にGPドライブを搭載したラジコンヘリなども余裕で自作できていたし、飛行ルートをプログラミングして自動操縦させるなんて事だってできる。
「えー私は全然知らないよ、凄い……あ! 煙がでたよ?」
画面内では試合に動きがあったのか、攻防の中で1機が海上へと沈むシーンが放映されていた。縦横無尽に飛び回るエアロフレームはGPドライブ特有の排光をキラキラとまき散らしながら輝く。
「綺麗……素敵だなぁ……この人達はオトナかな?」
「違うよ、高校生の試合。ヴィーナスエースっていう全国大会の中継!」
「へぇ……全国大会……ヴィーナス……」
試合を食い入るように見つめる彼女の眼は見た事がないほどに輝いている。
「翼くんは、つくれるの?」
「何を?」
「こういう空飛ぶ機械」
「うーん、まだ無理かな……でもラジコンヘリは作れたし、すぐに出来るようになると思うよ、お父さんもメカニックだし、じいちゃんもメカニックだし」
オレが答えると、少女は目を輝かせる。
「ホント!? いいな、私もやってみたい!」
「えー、お前には無理だよ、どんくさいし」
「そんなことないよ、私だって頑張ればできるもん」
オレが意地悪を言ってしまって彼女はご機嫌斜め、頬を膨らませる。
「ホントに?」
「ホントだよ、私もこの人達みたいにキラキラ輝きたい!」
本当に楽しそうに、キラキラ輝きたいといった彼女の目は、文字通りキラキラと輝いている。あまりにまっすぐオレの目を見るので、恥ずかしくなって画面へと目を落とす。そうして、しばらくしてから再び彼女の横顔を見る。彼女は画面の向こうの輝きに目を奪われている。時折歓声や驚嘆の声を上げる。その姿はどうしようもなく可愛いかった。
「……じゃあさ、オレが作ってやるよ」
「えっ?」
突然のオレの言葉に彼女は意味が分からないといった様子で目を開く。
「オレがヴィーナスエースのためのエアロフレームを作る、それでお前が飛ぶ」
「なにそれ、楽しそうだね! えーじゃあ私もこのヴィーナスエースに出れるかな?」
「このオレがエアロフレームを作るんだから、大会に出れるなんて当たり前だろ」
そう、そんなものじゃダメだ。
もっと大きな目標じゃなきゃ、きっと楽しくない。
「ヴィーナスエースに優勝して、お前がヴィーナスになるところまでいかないと!」
優勝者・ヴィーナスの称号、それを彼女の手に。
「ホント!? 私がヴィーナスになれるの? すごーい!」
「じゃあオレがメカニックでお前がライダーな。それでオレが最高のエアロフレーム作ってお前をヴィーナスにする」
――そう、だって――
「だって、オレはさ、エースの事……」
* * * *
「――はっ!? イタッ!」
ドンという音、バッっと跳ね起きた際に頭をぶつけたらしい。目の前には白に淡い幾何学紋様の入った天井が広がる。1段目がクローゼットと机になっている2段ベットタイプの寝具はその高さゆえに天井までの高さが50センチメートルもない。実家の時は普通のベッドで寝ていたので、1カ月経っても時々朝起きて天井に頭をぶつける事があるのだが今日の勢いは別格だった。
「痛……って、あぁ!」
気が付くと、天井に取り付けてあった照明器具――その正方形のカバーの角が少し凹んでいた。どうやら天井に直接――ではなくて、照明に頭をぶつけてしまった。7畳のワンルームに普通にベッドを置いてしまうと手狭になると思って、下の段も有効活用できる2段ベッドタイプにしたのだけれど、照明器具に頭がぶつかる高さというのは失敗だったかもしれない。
『ダイジョウブデスカ?』
枕元に置いてあった電子手帳から、ファイの声がした。こちらの異常事態を認識したらしい。それまで痛みで頭を押さえていた右手を外すと、枕元に設置してある充電エリアから端末を外す。
「大丈夫。大した事ない、天井に頭ぶつけただけだから」
『ナント! 天井ハ大丈夫デシタカ?』
「……オレの心配じゃないのかよ?」
こちらの心配をしてくれるのかと思ったが、この血の通わない人工知能は無機質な声で冷静に話を続ける。
『賃貸ノ破損ハ退出時ニ金銭面デノ問題トナリマス。賃貸ハトニカク壁ヤ床ヲ傷ツケナイ事ガスムーズナ転居ニ繋ガルノデス』
「それは普通の賃貸の話だろ? ここはオレのじいちゃんの貸しアパートなんだから、ちょっとくらいのキズなんかはなんとかなるだろ? そもそも契約して借りているわけじゃないんだしさ」
そう、ここはオレの祖父……じいちゃんの物件で、最上階フロアの部屋は賃貸されず、どれも丸々じいちゃんの部屋になっていた。つまり普通の賃貸物件とは違って細かい事は気にせず暮らす事ができるのはもちろん、そもそもじいちゃんの賃貸アパートがあるから、この湘南への引っ越しと同エリアへの学校転入を父親が許可した経緯もある。そのじっちゃんはというと、仕事を引退後は旅が趣味で、ふらっと旅行に行ってはふらっと帰ってくるので、いつ家にいるのかよく分からない自由人だったりする。今は多分、タイだったかな?
『ナンデスカソレハ? バーター、トカイウヤツデスカ?』
しかし、そういう賃貸物件で気を使うだろうこととか、人間臭い細かい所まではファイにはアーカイブされていないらしい。
「そうだな、家族関係で気を使わなくていいとか、楽できる、みたいな」
『ナルホド。身内ビイキ、トイウヤツデスカ?』
微妙にイラつく概念を次々と言葉にする端末を放置して、オレはゆっくりと梯子を伝って降りる。バスルームの鏡をのぞき込むと、ちょうどおでこの中央部やや右あたりが少し赤く腫れていた。
* * * *
薄く雲がかかっている箇所はあるが、基本澄んだ青が広がる晴れの日。都心に比べても緑を多く残している気持ちのいい土手の道を、いつものように学校へ向けて1人歩いていく。周囲には同じ制服を着た生徒の姿も見てとれる。
冬服は紺色のジャケット、ボトムスは夏に爽やかな印象を与えるスカイブルーを基調としたブレザータイプの制服は男子だとネクタイ、女子だとリボンの色でその学年が分かるようになっていた。赤は1年生、黄は2年生、青は3年生といった具合で、どれも漏れなく白のストライプが入っている。周囲の生徒たちを眺めながら、なんとなく黄のネクタイを指先で遊ばせる。
「なぁファイ」
歩きながら、ポケットに入っている端末へと声をかける。
『ナンデショウカ?』
「お前ってさ、夢は見るのか?」
『ユメ? ユメトハ目標ノ事デショウカ? 目標ハ設定サレル物デアリ、AI自ラガ立テル物デハアリマセン』
「いや、そうじゃなくてさ……まぁいいや」
そう言いながら、オレは額のあたりを手でさする。今朝ぶつけたそこは特に腫れていることもなく、きっと赤みもひいていると思う。
最近は嫌によく夢を見る、気がする。
もしかすると夢を見た事すら覚えていないだけかもしれないけれど、こんなにも自らの記憶とリンクした夢を見るのはそうあることじゃない。もう過去の事、終わった話だからそれを気に病んでも意味がない――そう割り切ってしまえばいいんだけど、今も夢に見るというのは、結局オレはそこから逃げ出せないでいるという事なんじゃないだろうか。
――小さな頃の自分の方が、無知な分、強かったな。
自分の環境をリセットして始まったせっかくの新生活もいつの間にか1カ月も過ぎ去ってしまった。1年と違って、2年での編入だから部活動に入るとか、校内活動組織に入るとか、そういうのがやりにくい環境にあったのは確かだ。だけど、それにしたって自分の心持ちひとつでどうにでもなっただろう。一瞬の判断ミスで友人コミュニティにも、部活コミュニティにも属するタイミングをなくしてしまった。後悔なんて意味がないのだけど、学園生活で最初のスタートダッシュが取り返しが付かない結果を招く事は本当に多いのだと身を持って感じていた。
「もっと青春を謳歌しなきゃだめだよ!」
絵美里の言葉が頭の中に響いてくる。青春なんて、そんな風に感じた事も考えた事もない。言われてみれば確かにそうなんだろうけど、その言葉を真っ正直に口にする絵美里は眩しく映った。いつの間にか大人という場所に近づいているけれど、8歳のオレにも及ばない。
17歳のオレは平凡だった。
なんとなく右手に目をやる。父の後を追っていた右手には機械いじりで付いた指だこが出来ていた。小さな頃に本当にわずかな時間を過ごしたこの町で、あの頃よりも少しは頭がよくなったかもしれないけれど、あの頃よりも分からない事も増えている。
今のオレは一体何がしたくて、どうしたいんだろう。
――何かを変えたい、と思うと同時に、どうせ自分には何もできない、という諦めがその想いを包み込んで心の奥へと押し込める。
「それこそさ、恋をしたりすればいいんじゃない?」
再び絵美里の言葉がリフレインする。
絵美里も女の子っぽい事を言うんだな、いや女の子なんだけどさ。頭の中で自分と自分が騒がしくトークをしながら、気が付けば校門に辿りついていた。校門に立つとちょうど正面で否応なく目に入る時計塔、まもなく8時になろうかという時間だった。登校のラッシュアワーともいえる時間であり上級生下級生問わず、途切れることなく生徒が登校していく。周囲の彼らはもちろん1人の子もいれば、付き合っているのだろう男女の組み合わせもある。
しかし恋って言われても、それ以前なんだよな。
クラスの友人関係すらまともに築けていない現状がそこにある。今この中にどれだけのクラスメイトがいるのかすらわからない。そんな事を思いつつ校舎の方へと歩みを進める。
恋をする、それが手っ取り早く世界を変える方法だと絵美里は言っていた。要するに女の子との出会いが男を変えるあれだ、ボーイミーツガール。マンガやドラマのイメージからその理屈はなんとなく理解できる。人が人との出会いで人生変わるのは現実にある話だ……今までの自分だって、もしかしたらそうだったのかもしれないし。
「空から女の子が降ってくるとか?」
確かにそんな劇的な出会いがあれば、何かが変わるかもしれない。
――いや、本当にそんな事があったらもはや日常が変わるとかそんなレベルじゃないか。
しかし今時ファンタジー作品でも、空から女の子が降ってくるとかそんなテンプレートな作品ないだろ……
そんな事を思いながら、スッとオレは視線を空へと持ちあげる。視線は流れ、校舎の最上階フロアへ、その窓際にいる少女の後ろ姿が不意に目に入った。廊下の窓を背にして、廊下にいる誰かと何かを話しているように見えるけど、校庭から見上げているオレにその詳細まではわからない。だが遠くに聞こえる彼女の言い争うような声、そして後ろ姿――白いリボンでひとくくりにした黒髪ポニーテールがなんとなく気になって視線を外せない。
――と、次の瞬間。
「は?」
それまで窓に対して背を向けていた少女は、窓の方へと振り返りざま、銀色の窓フレーム、その左右に両手で掴みながら左足をかける。そのまま、両手で窓を後ろに押し出す様にして、窓の外へと飛び出した。
4階、窓の外にベランダや屋根などはなく、校門へと続くレンガ敷きの地面までその高さを遮るものは何もない。
――マジかよ!?
奈落へ何のためらいもなく、その少女は飛び出した。
大ケガなんてものじゃない、下手すれば……
周囲のざわめきが悲鳴へと変わる、その前にオレは無意識に地面を蹴りだしていた。刹那の判断で、予測できる落下地点へともはや条件反射的に突っ込んでいった。体制を低く、滑り込むような体制で必死に両手を伸ばす。
「わああああああああああああああああああ!」
叫びながら目測で信じたポイントへ飛び込んだ。
ザンッ!
滑り込みざま。レンガに叩きつけられた体、太もも辺りに痛みがはしる。
――だが、その両手には人の重みはなく、かわりに数枚の広葉樹の葉が舞い降りてきただけ。
周囲のざわめきが、オレの遥か頭上へ向けて広がっていた。
恐る恐る頭上へと目をやると、スッとしなやかな双脚がそこにあった。太陽を背に、逆行が黒い少女のシルエットが浮かび上がっている。校舎の2階より少し背の高いソメイヨシノの老木、春は満開の薄桃色から今は青々とした葉桜となっているその枝を左手で掴んでいる。飛び降りたんじゃなくて、その老木目がけて飛んだのか、しかしそこへ躊躇なく飛び移るとか、失敗すれば大けがどころの騒ぎじゃ――
――だけどちょっと待て、おかしい。
目で見た印象ではあるが、彼女が掴んでいる枝は彼女を支えられるほどの太さとは到底思えない。ましてや自由落下であればその加速・体重を枝が支えられるわけがなく、そして彼女自身も腕一本ですべてを支えるなんてどんな屈強な女の子だろうか。
そんなはずはない、そのシルエットは女の子らしい華奢なそれである。
周囲のざわめきとその違和感で見落としていた光にようやく気が付いた。彼女の足元――学校指定の靴がうっすらとシアンの光を発していた。その光は太陽光下では弱いものであったが、靴底から光が漏れている。
GPドライブの光だ――フライングブーツ、変則だが間違いない。学校指定の茶色の靴底にGPドライブを仕込んで、フライングブーツ(フライと言っても跳躍性がやや上がる程度)に改装してある。そうか、その靴で重力落下の衝撃を緩和して――しかし、そうだとしたら凄い身体バランスだ。ボードのように並行を保てるようにデザインされたものと、左右バラバラに動作するブーツでは扱いの難易度は天地の差だ。何か別に姿勢制御システムを含んだ装備があれば何ら問題ないのだけれど、そうでないとしたらバラバラに起動する自由な両足の機構みで、体全体の水平バランスを取るなんて、よほどの運動神経・体幹を鍛えていないと難しい。ブーツのみの飛翔なんて逆に勢いが付きすぎた日には、足から浮き上がってひっくり返って頭から落下、なんてなっても全然不思議じゃない。もちろん手で枝を掴むことは、並行を保つ上で若干の補助にはなっているんだろうけれど――
彼女のバランス感覚に感心しながら、滑り込む際にスラックスについてしまった砂を軽く叩きつつ立ちあがる。
そうして再び頭上の彼女の方を見上げた。
そこで再度、靴底の光の粒を見た時、その足先から太ももの方へと視線を上げていき、ようやく彼女がスカート出会った事に意識が向かった。光の粒が上へ上へと上昇していく、ひらりひらりと風になびく制服のスカートの影になるようにその奥がチラ見えする。ハッとして、彼女の顔へと視線を向けると、同時に少女も下からのぞくこちらの視線に気が付いた。
「えっ……あ……わっ……!!」
目と目があった直後、彼女の表情はみるみる赤く染まり、動揺に合わせてかポニーテールが跳ねる。
それまで完璧であった両足の並行バランスが乱れたのか、一気に体の軸がずれていく。
バキッ!
桜の枝が折れる音と、空から女の子が降ってくるのが同時だった。
「うわぁぁっ!」
ドンという圧力で体が地面にたたきつけられた。肩から背中にかけてあった圧迫感は、飛び跳ねるように立ちあがると慌てて声をかけてくる。
「だ、大丈夫……?」
「……っつ……えっと、だいじょう……」
少し痛みがはしる左肩をさすりながら立ちあがると、鼻の先に女の子の顔があって驚く。鼻先が相手の鼻先に触れそうな距離に少女の大きな瞳があった。
瞬間、息をのむ。
少ししわの寄ったスカートのプリーツを白い指先で直しながら、制服の少女がこちらの顔を伺うように少し首をかしげる。光を弾く黒髪を白いリボンでひとくくりにしたポニーテールが少女の右肩から手前にこぼれていた。
「――あれ?」
少女は何かを思いだそうとするかのように、オレの顔をまじまじと見つめる。
「ん? あれ、どこかで……」
確信はないがオレもなんとなく目の前の顔に見覚えがある。
――と、少女が先に思い出したらしく声を上げた。
「ああ!? あの時の男子!」
「あの時?」
「ひったくりの!」
言われて、再び彼女の顔を見つめる。
――そうだ、あの時のボードの女の子だ。
この前のストレートと違って、後ろ髪を白いリボンでポニーテールにしていたから雰囲気が少し違ったのか。そのリボンがあの時の白いリボンだと気が付いたのはその少し後だった。
「やっぱりキミ、この学校だったんだ!」
「やっぱり?」
「うん、ネクタイはしていなかったけど、スラックスもシャツもうちの学校のものだったし。生徒手帳も持ってたしね! そっかそっか、やっぱり2年生なんだね」
オレの黄色のネクタイで2年生だというのはすぐにわかる。彼女にネクタイを指摘されて、逆に彼女のリボンへと目をやると、水色寄りの青――3年生。そうか、上級生だったのか。
2人の頭上から、怒りにまかせた声が届く。
「なにしてんのよ、かぐや! 大事な桜の枝まで……! 待ってなさいよ!」
声がする方――先ほど飛び出してきた窓の方を見上げるも、そこに人影はない。言い終えてすぐ移動したのだろう。
「――やばっ! 逃げなきゃ」
ポニーテールの少女は慌てて駆けだす。この子、この前も今日もオレの前から逃げてばっかりだな……だが、数十メートル進んだところで急ブレーキをかけるように体を反転させるとこちらへと駆け寄ってくる。
――パシッ
えっ? と反応する暇もなく、左手をひっぱるようにして彼女は再び走りだす。急に手をひかれてバランスを崩しながらなんとか左足で踏ん張って体制を立て直しながら
「ちょ、なにする―――」
「一緒に来て! お礼、してなかったでしょ?」
「お礼?」
「ボードを貸してくれた、そのお礼! いいからとにかく一緒に逃げよー!」
ぐん、と腕ごと体が引っ張られる。華奢に見えるその女の子に、手をひかれながら校内を走りだした。
「ちょ、ちょっと! ちょっと待って……」
彼女はこちらの言葉に耳を貸す気などさらさらないらしい。オレの手を引きながら勢いよく駆けていく。華奢なその手からは想像できない力強さとその脚力に、自身が付いていくのが精いっぱいだ。多くの聴衆の好奇の目に晒されながら、彼女の後をついていく、というよりは引き寄せられていくといった様相。先ほど倒れ込んだ時に地面に打ち付けたからか、それとも女の子に手をひかれているからか。オレの左手はしびれるような感覚に包まれていた。
転校してきた事もあって、校内にはあまり詳しくない。いつも使う教室やグラウンド、体育館や購買などの位置関係はわかっているけど、部活関連の施設については知らない事も多い。見慣れた校舎や体育館の脇を駆け抜けて、彼女に手をひかれながら辿りついたのは校舎からは少し離れたところに固められている建造物。入った事はないけれどそれが何かは知っている。部活動・課外活動に関する施設、クラブ棟と呼ばれる2階建ての建物だ。
コンクリート打ちっぱなしのシンプルな外装だが、ところどころデザイン的にむき出しとなっている鉄骨が空色に塗られており、どことなくモダンな印象を与える。各部屋に対する扉が外側に別々で2階へも外階段、ともすればアパートと言っても差し支えないない外観だ。カメの所属している報道部もこの中にあるんだろうか――と思っているが、彼女はその部活棟へも立ち寄る素振りを見せない。そうして部活棟の裏へと回ると、部活棟の影になって見えなかった煤けた木造の建物が姿を見せた。
「到着!」
そこまでたどり着くとようやく彼女はその手を離す。
部活棟の裏手にこんな木造の建物があるなんて、正直知らなかった。
「あの、えっと……先輩?」
オレは彼女に声をかけようとして、ようやく自分が彼女の名前を知らない事を認識した。咄嗟に先輩と言葉にする。
「ん? ……ここ? 部活棟だよ、古い方だけど」
「古い方……旧部活棟ってこと?」
「うん、そんな感じ」
ガイドにも部活棟は書いてあるけど、建物が2つあるなんて聞いていない。欠けた木片、黒ずんでおそらくとれない渋みなど、先ほどの無機質な部活棟とはまるで違う建物だ。
先輩、と呼んだそのポニーテールの後ろ姿を追うようにして、オレはその建物に入った。廊下の電気は付いていないが窓は非常に大きく、その採光面の大きさから十分な光量があった。レトロな学舎といった様相であり、過去の学校の映像などがテレビで流れる際に見かけるそれだ。廊下や壁は木材という訳ではないが、壁材の一部や窓枠、扉などが木材で構成されている。踏み込むたび、ギシッと床板が軋む古びた廊下を進み、彼女は階段へと向かう。
階段もしっかりとした作りで、見た目や感触からは特に痛みも感じられない。唯一、落下防止のための柵と手すりに使われていた黒ずんだ木材がその歴史を証明しているかのようだった。柵に触れると少し軋むような音がして、ともすると壊れてしまうのではないかという感じから手を離す。2階も1階と雰囲気はあまり変わらない。
採光窓沿いの廊下を進むと、規則正しく等間隔に扉が並ぶ。朝だからかもしれないが、それにしても人の気配が感じられない。澄んだ空気と静寂がより一層オレと先輩の存在を際立たせていた。
「ここ、人がいるんですか?」
気になってオレは先を行く先輩に声をかけると
「こっちの建物は物置以外にはほとんど使われてないから。大抵の部活はあの新しい方の建物に移っていて、残ってるのは私の部活くらいかな?」
「先輩の部活?」
「そう。あれ、言わなかったっけ?」
「いやいや、何も聞いてませんから」
「そうだっけ? ごめんごめん、ここだよ」
そう言うと廊下の一番奥にある部屋の扉前で立ち止まった。他の扉に比べて埃っぽさが少なく、どことなく使用感がある。扉の上の方に部活の名前が記載された札が掲示されている。
――情報処理部――
なんだ、デバイスやプログラム系の部活かな?
そう思っていると、彼女はドアノブを回して先に部屋へと入る。自分も続いてその部屋へと入った。
想像以上に広い空間がそこにはあった。廊下とちがって、木材のフローリングが特徴的だ。土足で入っていいのかと思うほど、光を弾いて煌めいている。丁寧に手入れがされている感じだ。廊下と同じく大きく窓が確保されているが、入った直後はカーテンが閉められていて薄暗い。先に入った先輩が勢いよくカーテンを開けると、一気に外からの光が差し込んでくる。
続いて窓を開けると廊下へと抜けていく風が頬に感じられた。
情報処理部、と記載があった様に、木材のフローリングや机にあまり調和しない形で、パソコンが設置され電気配線がなされていた。PCは最新機種ではないが特段古くはみえないものばかり、配線もフローリング下に潜り込ませるような形で丁寧にされていて、明らかに個人が設置したものではなかった。
「ちょっと待ってね、えっと……」
先輩はちょうど部屋の角に置かれている引き出しを開いて何かを探し始める。
「お、あったあった」
そうして取り出した紙切れを持ってこちらへと駆け寄った。
「はい、これ。この間のボードのお礼ってことで」
差し出された2枚の紙を受け取る。右の方にミシン目、写真を使ったデザインの、これはチケットだ。【湘南リゾートパーク】のチケットが2枚、近隣では一番大きなテーマパークであり、ファミリーの買い物やデートスポットとして非常に人気がある。
別にそこに入るだけなら、普通に入場チケットを購入すればいいだけなのだが、先輩が手渡してくれたチケットは普通に売られているものではない。切り取られるミシン目の側に〈優待入場券〉との記載があった。これは一般入場チケットではなくて、株主とかそういった特別な人に対して配付される優待券らしい事がわかった。
「日時指定も入ってて限定はしちゃうんだけど、良かったらお礼って事で貰ってよ」
先輩は少しバツの悪そうな顔をして、こんなんでゴメンけど、と付け加えた。
「いや、そんなことは――でもこんなの貰っちゃってもいいんですか?」
ただの入場券ではなく様々な特典もついた優待入場券なのだ、日付指定はあるけど決して価値が無いものじゃない。
「全然! 私は使えないし、よかったら友達とか誘って遊びに行ってよ」
「……友達……」
「あれ?」
友達、と言われてちょっと考え込んでしまう。オレに友達って何人いたっけ……?
「もしかして、キミ……友達いないの?」
彼女に返す言葉が見つからなくて黙り込むと、先輩は口元を手で隠しながら哀しそうな目をする。
「うわぁ……ホントにそうなんだ……ぼっちなんだ……」
「ち、違う! 春に転校してきたばっかりだから、まだ知り合いが……」
そういうと、先輩の目が大きく開いて、続いてにやりとしたり顔。
「キミ転校してきたんだ! そっかそっか。だから見慣れない顔してたんだ~なるほどぉ~!」
納得納得、と頷くとオレの肩にポンと手をのせる。
「ねぇキミ! 部活はもう決めた?」
「部活? いえ、そんなのは全然……」
そもそも部活に入るかどうかも決めてはいない。そんなオレの言葉に先輩はやったぁと声を出し、歯をみせながらの大きな笑顔を作る。
「よしっ! だったらウチの部活に入らないかい? 結構イケメンだし、機械いじり得意なんでしょ?」
ぐっと肩にのせられた手に力が入った。
部活、って……要するにこの【情報処理部】に?
いや、情報処理部って。
そもそも一体何をする部活なんだろうか、と思ってオレは部室の中をぐるりと見渡す。
――ドクン――
心臓が大きく脈打つ音がする。
先ほどまでは冷静に見れていなかったのか、部活の名前にそれらしきワードがなかったからか。この部屋に置かれたものが一体何なのか、まったく気が付いていなかった。
壁側に設置された半透明のラックに飾られているのは、装着型の反重力エアリアルデバイス、つまりエースの試合で用いられるアームドスーツフレームだ。ナンバリングされており、5つのアームドスーツがある事が分かる。百円均一店でよく販売されているようなクリアタイプのプラスチック製のチープな小物入れも、その中身をのぞき見ると抵抗やコンデンサなどの細かな電子パーツ。基盤が収納されているのだろう、販売時のパッケージのまま棚に並べられた箱たちや、メーカー直販製品特有の茶色のダンボールに簡素なバーコードと製品印字のパーツなど。レトロな部屋の内装の印象からはあまりにかけ離れていて、リンクしていなかったけどこれらはオレがよく知っているものだ。
――間違いない、この場所は――
「先輩、この部活って……」
「ん? この部活はエースやってて、そう! ヴィーナスエースを目指してるんだ!」
紅色に染まる頬が彼女の高揚を伝えてくれる。楽しそうに笑顔でオレに部活の説明をしてくれる。
――そう、オレがどう思っているかなんてお構いなしに。
「ねぇ、キミもどうかな、エース!」
「……すみません。それは無理です」
「ふぁっ? 嫌なの?」
そこまで満開に咲き誇っていた彼女の笑顔が崩れる。目を丸くして、オレの肩に乗せていた手を落とす。
「え、え? 何で? いいじゃん、私と一緒にやろうよ。きっと楽しいよ? 私の事が嫌いとか? さっきパンツ見たでしょ?」
「いやいや、好きも嫌いも先輩の事全然知らないじゃないですか? ってかパンツ見たのは関係あります?」
「……ほう、見たのは否定しないんだ?」
「うっ……」
「そっかぁ~パンツじゃ足りないんだ? ナニナニ? それ以上の対価が必要なのかな?」
「だから! そういうことじゃなくて……」
先輩の本気か冗談か分からない流れに困惑しながら、必死に言葉を探し続ける。
すると先輩は一旦大きく息を吐くと、先ほどとは違う鋭く真剣な目をこちらへ向けた。
「でも、この前のエアロボード、キミが作ったんだよね?」
「そう、ですけど」
「じゃあ絶対に入るべきだよ。だって凄くよかったもん、あのボード」
ボードに乗っているようなジェスチャーを加えながら、
「あんないいボード組み上げるって事はさ――好きなんでしょ? エアロボードとか、当然ヴィーナスエースも!」
――ドクン――
まただ、また鼓動が大きく聞こえた。
息が出来ない、言葉が出かかっては飲みこまれていく。
「……あれ? もしかして……エース好きじゃないの?」
何も言わないオレに対して、再び先輩は問いかける。穏やかで静かな問いかけだった。
好き?
――オレが……何を?
何かを言葉にしかけたその時、廊下を駆け抜ける足音がこちらへと向かって飛んできた。
「ま~たここにいたのね、輝夜!」
先ほど校舎の上の方から聞こえてきた女性の声、凛とした背筋が伸びるような声がこの部室のドア側にあった。
振り返ると、光を弾く様に艶やかな黒髪ロングの女の子が立っていた。どんな男が見てもおそらくは目を奪われるであろうスラッとしなやかな足、背筋がすっと伸びた正統派美少女といった雰囲気の立ち振る舞い。これで怒りで眉間にしわが寄っていなかったらもっと美人らしくも映ったのだろう。
「ゲッ……! くぅ……ゴメン翼くん、また今度ね!」
そういうとオレを勧誘していたはずの先輩は、今度は部室の窓へと走るとそのままの勢いで外へと飛び出す。
「とぅ!」
「ちょっ! ここ2階……」
オレは反射的に窓の方へと駆け寄りながら、そう言いかけてハッと気が付く。
――そうだ、あの人の靴は改造エアロブーツだったんだっけ。4階を物ともしなかったのだから、2階の高さくらいであの先輩がケガをするはずがない。
そうしてオレは窓へ向かう歩みの速度を緩めながら、窓のサッシに手をかけて外を見た時には、もうポニーテールの後姿はどこにも見当たらなかった。
一気に飛び出していったその様子に、ドアの方では大きく息をつく女の子の姿があった。ここからまた駆け抜けて追いかける気はないらしい。ドアの前に立つ黒髪の少女の制服のリボンを見ると青、つまりさっきの先輩と同じ学年という事になる。この人も学年で1つ上なのか、先輩の知り合いか何かだろうか。
「はぁ……しょうがないわね」
伏せ気味に先輩2号が諦めを吐き捨てると、廊下の方からはもう1人誰かが走ってくる足音がする。
「はぁはぁ……すみません、佐倉生徒会長」
廊下から、今度は少年が駆けこんでくる。前髪が眉の所までは届いておらず、えりあしも綺麗に切りそろえられた刈上げっぽいヘアスタイル。よくいえば真面目そうな、悪くいえばダサい感じの少年だ。ネクタイを見ると黄色、つまり同学年という事になる。彼が会長と呼んだ先ほど来た女子生徒と比べると、彼の方が背が低い。女子生徒が160センチ以上ありそうなので女子にしては比較的身長が高めなのだとは思うが……
「遅いわよ子本、また逃げられたじゃない!」
「すみません会長、私体力には自信がなくて……」
「体力は生徒会の基本よ、もっとちゃんと筋肉付けなさい」
情報処理部の扉のところで、2人のやりとりを続けている。チケットを手にしたまま、特にこの部室に居場所のないオレはどうしていいか分からず、窓際で立ちっぱなしである。
――と、一通り背の低い少年へ文句を言い終えたのか、扉前にいた少女は一歩二歩、部室のフローリングをこちらへと進んでくる。
「……貴方は?」
美人、だがそれゆえ冷たくも感じられる鋭い視線をオレへと向ける。名前を名乗ればいいのか、それともここにいる経緯を話せばいいのか。言葉に迷っていると、彼女の方から続けて声がかけられた。
「あなた……もしかして神谷野翼?」
急にフルネームを呼び捨てにされたからか、ビクッと肩が震えた。
「なんでオレの名前、知ってるんですか?」
「この桜山学園に2年次での転入生なんて、ここ数年間でも貴方くらいのものよ。知らない方がおかしいわ」
その言葉に、一緒にいた少年の方も覚えがあったのか、あぁと納得したように息を吐く。
「なるほど、この男が名門のDGTから桜山なんて中堅レベルの学校に転入してきた落ちこぼれのかみや……グハッ!」
言い掛けたところで少女はバシッ、と後頭部を丸めた紙で少年の後頭部を叩きつける。
「何がど田舎の弱小校ですって?」
「うわっ、すみませんすみません! ってか会長、そこまでは言ってないです!」
平謝りをする少年を蔑んだ目で見下ろす少女の表情は氷のように冷たい。
――ワケが分からない、そもそもこいつらは誰なんだ。
「……何でもいいんですけど、そもそもあなたは誰なんですか?」
オレはようやく彼女に対して質問する。
「名前言ってなかった? 失礼。私は佐倉千歳(さくらちとせ)、ここの生徒会長よ」
生徒会長……この人が?
生徒会長だと言われれば確かに背筋の伸びやかさや凛とした表情がそれらしく見えてくる。まぁ生徒会長という単語をトリガーに頭が勝手にそう印象づけているだけかもしれないけど。
「それで神谷野君、あなた輝夜とはどういう関係?」
「輝夜……ってさっきの窓から飛び出した先輩の名前ですか?」
「――そうよ。姫野輝夜(ひめのかぐや) なに? 名前も知らないの?」
「全然、なし崩し的にここまで連れてこられただけで、先輩としか……」
そういうと、生徒会長は大きくため息を吐く。
「なんだ、そういう事なのね。てっきりあなたと輝夜に何か関わり合いがあるのかと思ったけれど……」
彼女のため息とその発言は呆れている、というよりはどこか安堵したようにも聞こえた。
「神谷野君、貴方がどうして桜山学園に転入してきたのかは、なんとなく分かっているわ」
「――どういう事ですか……?」
「もし平穏な学園生活を望むのなら、姫野輝夜には関わらないで」
それらの唐突な流れに、動揺していると、たたみかけるように
「わかったらここにも近づかないで。見てわかる通り部活棟は建て替えが終わっていて、本当ならここ旧部活棟はとっくに閉鎖していなきゃいけないのに……あのバカは……」
唇を噛みながら、右手を強く握ると、悲鳴にも似た音と共に手にしていた書類がグシャグシャになった。わかったわね、といわんばかり鋭い視線を再度こちらへ向けると、言葉はなく部室を出ていく。一緒にいた男も二度三度こちらの顔を見ながら、生徒会長に続いて部屋を後にする。旧部活棟の静寂の中、二つの足音が徐々に遠くへと消えていく。
――静かになった、情報処理部に1人残される。
なんなんだよ一体。
モヤモヤとした気持ちを抱えて、しかしどうしたらいいのか分からず再び手にしたチケットを見る。
これ、どうしようか。
――と、考えていた所で遠くから予鈴のチャイムが聞こえてくる。
朝のホームルームまであと5分だ。オレは慌ててポケットにチケットを突っ込むと急いで旧部活棟を後にした。
chapter1-5 (終)
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