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chapter2-5: 忘れられない夏へ
昨晩は正直あまり寝られなかった。
先輩に対して、自分が一体何を言っていたのか、なんて事を言ってしまったのか、自分が分からなくて、自己嫌悪に陥っていた。自分が発した言葉が間違っているとは思わない、オレは正論で、あの人はめちゃくちゃだ。
だけど、あえてそんな事を言う必要なんてなかった。そういう関係を荒立てるような事をしないように上手くやるべきなのに。心がざらついてどうしようもない。机の上には昨日もらったままのモンブラン。表面が溶けて形が少し崩れ始めていた。
土曜日の朝、カーテンを開けるとどこまでも突き抜けるような晴天が広がる。絶好のエース日和、もうすぐ先輩の試合が始まる。
――机の上にチケットをみつけて、だけど行くかどうかは迷っていた。
どうせ負けるに決まってる。負ける事は決まっていて、ただ彼女が醜態をさらすだけの試合。
彼女にとっての目標としていた予選会への出場は、記念出場でしかないと誰もが思ってる。ただ本人だけが諦めていない。そんな試合を見に行く必要なんて……
『絵美里ヨリ着信デス』
思考の静寂を切り裂く様に、ファイがコールする。
電話、なんで?
「もしもし?」
「翼、早くしてよ。お父さんに車出してもらったから」
「は?」
「行くんでしょ、姫野先輩の試合」
「ちょ……今どこにいるんだよ」
「翼のマンションの下」
慌てて飛び出すと、マンション下の路肩に路駐している車と、手を振る絵美里の姿を見つけた。
「ちょっと待てよ、オレは別に行くなんて……」
「はぁ? 私、お父さんまで駆りだしたのに私に恥かかせるつもり?」
頼んでもいないのに、自分が物凄く悪い事をしているような、そんな感じだ。反論の言葉を探して、だけどその前に絵美里が話す。
「行こうよ翼。行かないとダメだよ、きっと。あと学校の応援だから制服ね。よろしく!」
諭すような、絵美里らしくない真面目な語り口だった。
――そうだな、そうかもしれない。
* * * *
自分が関わってしまったわけだし、色々言っちゃったし。ここで無関係を装って、何も知らないふりをしているのは絵美里が言うように違う――そんな気がした。
絵美里のお父さんに車で運んでもらったのだが、予想外に時間がかかったため、会場入りしたのは予選開始時間より後となった。本当は開始前に到着する予定だったのだが、道路がごった返していてとても間に合いそうにはなかったのだ。先輩の試合は何試合目だろう、そう思い、ネットを確認する。するとどうやら桜山学園の試合は4試合目。まだ間に合う、そんな感じだ。だけど全体的に遅れ気味で到着した観客も多く、気持ちは前のめりで会場もそんな空気にあてられてか、少し慌ただしい。
「どうしたんだろう、なんか変だよな」
オレの言葉に絵美里がモバイル端末を検索して
「あ、これじゃない?」
そういって画面をみせた。そこには交通機関情報が……電車が止まってるという情報が書かれていた。
「それでちょっと道路が込んでたのかな」
「あ、そうかもな」
「あちゃー、大会の日にこれは大変だね」
確かにそうだな、と思いながら、オレと絵美里はちょうど先週訪れた会場へと入った。すでに会場は満員といった様相で、先週とは全く違う熱狂に包まれている。関係者や学生達はもちろん、単純にヴィーナスエースのファンも含まれており歓声も上がる。ちょうど今日の3回戦の試合の最中であった。
だけどもう終わる直前だな、片方のチームはあと1機と追い詰められていた。一方的な試合ではなかったらしく、優勢な方も2機は落とされて3機にはなっている。だけど、もうこの試合は先が見えた。油断さえなければ、あの1機が落とされて終わりだ。
あと1人、あと1人
会場からコールも聞こえる。チームのピット外のメンバーだろう。それでもなんとか粘って反撃を繰り返す選手に対しても大きな歓声は送られていたが、結局その数十秒後には決着がついた。当然だ、奇跡なんてない。
――姫野先輩の試合はこの後か。
そう、最初から誰にも相手されていない、最初から誰にも期待されていない試合が始まる。
桜山学園 VS 皐月大付属
モニターに表示が浮かび上がると、ざわめきと共にこんな声が聞かれる。
「いいよな皐月大付属、これってほとんど1回戦シードと同じじゃん」
そりゃ、そういう認識で当然だ。
5VS1、最初から勝負にすらなっていない。
皐月大の応援だろう歓声も徐々に大きくなっていくが、どこか緊張感のない穏やかな歓声。
誰も負けるなんて思っていない。別にチームメイトだけじゃない、観客のほとんどがこの試合結果が見えていた。
試合の準備が始まった。
ピットスペース、チームのメカニックオペレータが続々と準備をし、5人の選手が空へと舞い上がる。
送られる大きな歓声、沢山の仲間に支えられて試合へと臨む皐月大付属。それに対して、見慣れないガラ空きのピットを背に、1人空へと上がってく白のエアロフレーム。前回と違い、水色の柔らかな光をたたえながら開始位置へとセットした。果たして会場にどれだけ先輩を見に来た人がいるんだろう。
そう思って周囲を見回しても、それらしき人がいない。学校の生徒がヴィーナスエースの予選に出るなんてちょっとしたお祭りだ。
だけど、桜山学園の制服をきている学生の姿がどこにも見当たらない……
そう思って周囲を見ていると、ただ1人、同じ学校の制服を群衆の中に見つけた。見間違いかとも思ったけど、あの制服は間違いない。誰だろう、そう思って2歩3歩近づいて、気がつく。
――生徒会長。
そうか、生徒会長なら姫野先輩が予選会に出場する事は知っていても不思議はない。
でもあんなに嫌ってる感じだったのに、試合を見に来るなんてどういう事だろう。そんな事を考えていると、気配に気がついたのか、生徒会長がオレを見つけた。
「あら、こんにちは」
「……どうも」
見つかってしまった以上、距離をとるのは不自然だ。オレは絵美里に目配せをしながら、会長の横へと並んだ。
「あのドライブ、あなたが直したの?」
「えっ? なにがですか?」
ドキリとする、この人はなぜかエースに詳しい。ドライブの排光の色が綺麗になってる事にも当然気がついた。
生徒会長の事だ、オレが何か関わってるなんていったら大変な事に――
「――まぁ、別にいいのよ。最後の試合くらい、万全な状態でやったっていいわよね」
だが予想外に、どことなく優しさすら感じられる柔らかさで生徒会長は空の向こうの姫野先輩を見つめた。
――最後?
一体この人は姫野先輩とどういう関係なんだろう、最初に見た時は目の敵にしてるのかとかそんな印象だったのに。
ここにいる3人以外は、誰も先輩の事なんて見てもいないだろうし、ここにいるオレだって別に何かを期待してるわけじゃない。誰にも期待されず、誰からも応援されるわけでもなく、だけど自分の想いをぶつけるための戦いへ。そんなどうしようもなく孤独なフィールドで、先輩の戦いはその火ぶたを切った。
……P……P……P……
会場のスタートリングが三度、音と共に赤く煌めき、そして4つ目の音が響く。緑色の光の輪となった瞬間、リングの内側が無数の光に包まれると急上昇してフィールドから消える。海上に巨大な水しぶきが上がり、遅れて観客の歓声が押し寄せた。
――ワァァァァ!
〈イエエエエイ! さぁ、ヴィーナスエース関東B地区予選の4回戦! 今回こそ全国大会出場を目指す皐月大付属と、今年も1機のみという異例の参戦となった桜山学園の対決。さすがに戦力差が開き過ぎているので、見どころはあまりないかもしれないが、あえて注目ポイントあげるとすれば、桜山の姫野選手のライディング技術。1機ながらあれを何分で捉えられるのか、試合時間の決着に注目して行きましょう!〉
何分粘れるか、が注目ポイントなのか。ナレーション的にもこの試合のポイントを探す方が難しいらしい。
あと1人、あと1人
くすくすとバカにした様な笑い声と共に、観客席の一角で歓声が上がる。敵のチームメイトによる応援だった。
最初から1人の相手、本来なら終盤に起こる筈のコールを試合開始直後から行うバカらしさに徐々に笑い声の方が強くなっていく。周囲の聴衆達もその様子を笑いながら見ていた。
――ホント、なんなんだよこれ。
無意識に拳を握っていた。そりゃそうなんだ、こんな状況で出場なんて方がバカなんだ、間違ってる。
――だけどさ、そんな風に観客席から見てるだけのヤツらに、笑われていいような人じゃない。
そんなこちらの様子とは無縁のバトルフィールドでは、3機に囲まれながら姫野先輩が飛び回っていた。
皐月大付属としては一気に勝負をつけたいのだろう、圧倒的な乱打で先輩を追い詰めようと画策する、
だけど、それらは一向に先輩を捉えられない。
なかなか勝負のつかない、それどころか被弾1つなくよけ続けるその様子に、徐々に応援席の開始直後の熱量は落ち着き、冷静な歓声へと変わっていた。姫野先輩がそう簡単に被弾する事はない、と思ってはいた。
前回の試合を見ていたし、今回はかなり性能が改善されている。反応速度が向上した事で、よりなめらかな高機動が可能となっている。そんな今のエアロフレームなら、元々能力の高い先輩の動きはさらに洗練されるし、格段に被弾率は下がる筈だ。
そして速度が上がる事で反撃の機会も当然増える。
――ガッ!
それまで回避運動に徹していた先輩が、一瞬の隙を付いて敵の懐へと飛び込んだ。敵が間一髪のところで後ろへと回避した事で直接の攻防にはならなかったが、あと一瞬でも遅ければ撃墜していた。
〈おっと! 今のは紙一重、おしい攻撃でした。姫野選手のカウンターが皐月大付属の中野選手の胸元をかすめましたが、ヒットはせず。皐月大は一旦距離をとって陣形を立て直します〉
――悲鳴に近い様な、驚嘆の声があがる。
「凄い……!」
絵美里はその景色にくぎ付けになっている。確かに凄い、皐月大付属の方が明らかに手数も多く、まして3方向からのアタックだ。それを完璧に回避しながら反撃まで。だけど、結果的には相手に届かなかった――もう一歩、いやほんの一瞬、瞬きの刹那でもいい、早く動く事が出来たら、もしかしたら届いたのかもしれない。そんな事を思いながら、先輩の機動を見る。反応速度は圧倒的に速い。弾丸に対して、撃たれてからギリギリで回避している。見てから動くなんて、そんなはずはない。そうだとしたら動体視力よりもはや予知だ。しかしそう錯覚するほどの挙動と回避運動を繰り返す。
だが、どこかぎこちなさというか違和感があった。なんだろう、何か動きが阻害されているような……
「……終わったわね」
と、不意に隣で試合を見ていた生徒会長が、そんな事を言う。
急になにを……そう思って、フィールドに目を向けた直後、その変化に気がつく。
皐月大付属の戦術が明らかに変化していた。
無理に距離を詰めることなく、一定の距離をとっての銃撃のみ。先輩が距離を詰めようとしたら後ろへと引いて距離をとる。一定の距離を守りながら、ひたすらプレッシャーだけをかけ続ける。
――正攻法だった。
相手に銃撃武器がない事は当然ピットにいるメカオペ達は理解している。撃墜を狙って下手に距離を詰めて反撃されるよりも、こうやって距離をとって戦う方が明らかにリスクが少ない。そう簡単に銃撃が当たるなんて多分思ってはいない、だけどすでに数的有利な状況だ。試合時間の10分が経過すれば、自動的に2回戦に進む事が出来る。観客席からはややため息も出ていたが、すでに3分以上を経過している。あと7分、粘るだけでいいのならその方がいいだろう。勝利条件を満たして完全に店じまいを始めた形だ。
だがそんな状況でも反撃を狙ってか、先輩は無茶な特攻を繰り返していく。そのたびにいなされながら、ギリギリでの回避を繰り返す。さきほどまでの鮮やかな回避運動とは違う、どこか窮屈で無理をしているグチャグチャな軌道で、よりリスクの高い紙一重を繰り返す。常軌を逸した集中力だ。いずれが直撃して試合が終わっていても不思議ではない、そんな攻撃の中で撃墜される事なく飛び続ける。
〈これは皐月大、距離を上手くとって、リスクを回避する動きへとシフトしました。これでは遠距離攻撃をとれない姫野選手にはチャンスがどこにもありません。このままタイムアップまで時間が経過するのを待つだけです〉
「逃げ回るばっかりでツマんない」
観客席からはそんな声も上がる。分かっていない、あれがどんなに凄いライディング技術なのか。
「ホント、攻撃されてばっかりでカッコ悪。どうせ勝てもしないのにバカみたい。さっさと死ねばいいのに」
「ダサいよね、いい加減落ちればいいじゃん。粘っても負けなら、何の意味ないのに。逆に玉砕覚悟で派手に散る方がカッコよくね?」
――カッコ悪い?
そんな風に見えるのか、この光景が。玉砕なんてもってのほかだろ。それじゃ試合がそこで終わってしまう。違う、そうじゃないんだ。彼女はこの試合を全然諦めていない、タイムアップまでに5機を落とす事を諦めていない。
だからこそ反撃の可能性を有した回避行動を繰り返している。
勝つつもりなんだ、彼女は。この動きを見ていればわかる。彼女は最後の一瞬まで、絶対に勝ちを諦めない。
バカだと思う、こんな状況で勝つなんて無理に決まってる。
――どうしてそんなに頑張るんですか?――
バカだと思う、だけどカッコ悪くはないだろ。
――そんなの、〈好き〉だからに決まってるでしょ――
見ていれば分かる、彼女は本当にエースが好きなんだ。全身でそう叫んでいるような、楽しんでいるようなフライングがそこにはあった。そして絶対にあきらめないという気持ち、そんな心の叫びも伝わってくる戦いがそこにはある。短褐孤剣で戦いを挑んでいるその姿は決してカッコ悪いなんて言われるようなものではない。
だけど、残り時間がなさすぎる。焦りが出たのだろう、より大きな無茶を仕掛けて、ついに先輩が左足に被弾する。
〈ついに姫野選手、左脚部に被弾! 走行から白い煙が上がっています。攻撃に焦りが出たか、3機からの攻撃をかわしきれませんでした〉
ワーッと歓声が上がった。直撃という事ではないし、飛べなくなるような致命傷ではない。だけど状況は一気に難しくなった。
――やっぱりここがチャンスとばかり攻勢をける。
被弾前までとは違い、明らかに水平バランスを崩している先輩の動きは鈍い。それでも驚くべき飛行感覚で弾幕の中を飛び続ける。その姿は痛々しくもあった。
「――ようやく輝夜の遊びも終わりね」
生徒会長が試合を見つめながら安堵の表情でそういう。
「終わり?」
「ええ、そうよ。この夏の大会を最後に、情報処理部は解散するんだから」
――そうだ、最後、という言葉に少し引っかかっていたんだ。
夏が最後、なんて感覚がエースにはない。ヴィーナスエースは年2回の大会、今やっている夏と、そして冬。通常3年生のラストは冬の大会になる。もちろん受験とかそういう事で引退を早めることはあるけど、社会的注目度も高くAOなどに直結する事や技術系の資格も多く取得できるなどの特異な部活である事から、3年でも冬の大会まで出場する生徒の方が多いくらいだ。
「そういう約束をしたんですか、姫野先輩と?」
オレが無意識に語気を強めていたからか、少し驚いたと言った様子で生徒会長は目を開く。
「そうよ、ここまで学園側として人も資材も足りないのに廃部にせず、彼女の無茶を許してあげたんだから、もう十分でしょ。どうせ勝てもしない部活を冬まで続ける意味もないんだし」
――意味がない? 十分ってなんだ。
彼女には味方がいない。ここに至るまで弾丸がホーリーナイトの白いフレーム表面を焦がすようなニアミスをする事はあっても、5機を相手に見事に粘り続けている。そんな先輩を、この会場では誰も応援していない。期待していない。
「なんで先輩が部活を辞める必要があるんですか?」
あんなに一生懸命な先輩から、こんなにも好きなものを、居場所を、他人が取り上げる権利があるのか?
「誰に迷惑をかけているわけでも、部費だって膨大に使ってるわけじゃないですよね」
オレの言葉に、最初は驚いた様子をみせていた生徒会長もすぐにいつもの冷静な雰囲気を取り戻すと、
「何を言ってるのアナタ、こんな意味のない事させ続けても、しょうがないでしょ? バカを見るだけ」
続けて言い放つ。
「そんなの時間の無駄よ」
全身の毛がさが立つ、指先から全身の血がすべて頭へ駆けあがっていく、そんな感覚が確かにあった。
――なんだよそれ。
「……無駄な努力かどうかを、なんで他人が決めんだよ……」
オレは、全身の震えを抑え込むようにして声を絞り出す。
「……翼?」
絵美里が異変に気がついたのか、声をかける。
だけど、次の瞬間にはもうそこにはいない。全力で地面を蹴りだしていた。
「翼!?」
ほぼ満員の観客席、駆け抜けるも次々と人にぶつかる。
そのたびに怒号があがるも、そんな事には見向きもせず、ただまっすぐに走り続ける。走る、走った。
――カッコ悪いのは、オレだ
好きな事を好きだと、そんな単純な事すらオレには言いだせないままだ。伝えられなかった気持ちが沢山ある。
嘘をついた。嘘をついていた。言い訳を現実だと思いこむために、諦めを惨めに感じないためだけに、自分に嘘をついている。
本当は、オレは――
走れ、はしれ、走れ、はしれ!
ガンッ!
必死に駆け抜けてきたその先で、その足はゲートに阻まれた。
「ちょっと、キミ!」
関係者専用の入場ゲート。この先に、試合中のピットがある。
「ここから先は関係者以外入場禁止で……」
「オレは関係者です! 桜山学園の生徒です」
警備員が言葉を言い終わる前に、生徒手帳を付きだしながら、オレは息を整える間もなく叫ぶ。
「入れてください!」
「いや、キミね……もう試合は始まってて」
「電車が遅れたんです!」
とっさの判断だった。電車が遅延していたのは多分間違っていない。もしかするとそんなのは理由にならないかもしれなかったけど。
「お願いします、先輩の大事な試合なんです! ピットへ行かせてください!」
「う~ん……」
困り顔の青年警備員に、ゲートの前で必死に懇願する。と、後ろからもう1人、年配の警備員がやってきた。それと同時にゲートが開いた。
「大事な試合なんだろ? 早く行きなさい」
低めの声で、警備員はオレにそう声をかけた。
「ありがとうございます!」
冷静であればありえない、理由を聞きたいところだけど1分1秒も惜しい。
オレは走った。そのままピットへと転がり込む。
誰もいない、だけど試合が行われている事からマップモニターやメーター表示などすべての機器がONになっている。ありがたい、これならすぐに使える。
すぐに自身のモバイル端末をケーブルで接続する。
「ファイ! エースの戦闘準備」
『了解シマシタ』
直後、一気にピット内の全システムが起動する。
当然だ、元々ファイというAIはエースためにオレが必死に作った自立型AI、自分にとって最も使いやすくカスタマイズされたモニターが目の前に表示される。
備え付けのヘッドマイクを付けながら、モニターを確認する。
先輩は2機に挟まれてギリギリの状態で回避運動を続けていた。ファイターと違い目の前の状況だけでなく、全体を俯瞰で見れるのがピットサイドの特徴だ。つまり、敵の次の一手が見えている。
「先輩、一気に下へ落ちてください!」
オレはインカムへと叫ぶ。
条件反射だろう、先輩は一気に高度を下げる。直後、上空からの狙撃が先輩の頭部をかすめた。
「――神谷野君!?」
リターンがきた。体制を立て直しながら、先輩がこちらへと話しかけてくる。
「なんでピットにいるの?」
「いいから海面ギリギリを飛び続けて、まだ後続からの攻撃は止まってない!」
一気に高度を下げて、そこからギリギリの所を飛び続ける。
「……オレ、先輩の質問に答えてなかったんで。だからそれ言いに来ました」
「質問?」
「オレに、エースが好きかって、聞いたじゃないですか?」
話しかけながら、同時に必死に次の一手を探し続ける。
心の中で、頭の中で、記憶の中の自分が叫んでいる。いつか言えていたはずの言葉、いつの間にか言えなくなった言葉を。子供の頃のオレが叫んでる――
エースが好き、好きで、好きだ、好きだった……?
好きすきスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ――――
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
もう知らない、頭の中が真っ白だ。叫び出せ、流れ出る感情をせき止める、そんな自分なんか今ここで殺してしまえ!
「――オレっ、エースが好きです!」
そうだ。オレはただ、この一言を言うためにここに来た。
痛い。痛い、痛い。自分が自分の言葉に切り裂かれる。内側から皮膚が引き裂かれて血が溢れだすように、抑えきれない感情が自分の内側から止めどなく流れ出す。
「オレ、エース好きだし、それで、乙羽も……アイツの事もずっとずっと好きだった。だけどビビって何も言えなくて……好きな事で誰かに負けるのが怖くて、逃げだした」
オレはただその感情に気がつきたくなかったんだ。誰のためでもない、それが自分を惨めにするだけなのを知っていた。
天才じゃない、秀才にも届きはしない。遥かに遠くなった彼女の世界で、今のオレはわき役にもなれず、いつか隣にいたはずの彼女を目にするたび、矮小な自分にもがき苦しむ。彼女の姿を見るたびに胸が苦しくて堪らない。息ができない、水面へ向かってあがき続けるだけの存在。海底から望む景色で、彼女が自分以外に向ける笑顔を見なければならない、その苦痛に耐えられなかった。だから誰もいない場所に来たはずだった。そのはずだったのに――今こんな想いを言葉にしなければ、諦めてしまえばこんな苦痛を終わらせる事はできたのに。
――それくらいわかってるのに、オレはバカだ。
「あははははっ、そんなこと言いにきたの?この状況で?」
先輩は続けて。
「やっぱり私が言った通りじゃん? キミってバカだね」
「……そりゃ図星だったけど……でもあの言い方はすっごくムカついたんですけど!」
「ハハハッ、ごめんごめん」
戦いの最中なのに、インカムの向こうから姫野先輩の笑い声が聞こえてくる。
「で?」
「要するに! オレ、エースが好きで……えっと……」
「……それで?」
それで、何を言えばいい、その後は何を……
「それで、それで今は……そう……でもとにかく今は、姫野先輩に負けてほしくないんで!」
容赦なく降り注ぐ弾丸の雨あられ、明らかにこちらの機体の反応速度が下がっていた。
「ファイ、解析結果出力!」
こちらの声に反応して、モニターにフレームのパラメータ数値が表示された。反応速度が超人的に速い、だけどところどころラグがあるようにも感じる。
――これは、なんだろう――
気にはなるけど反応ラグの原因はこんな短い間にどうこうできる事じゃない。今最大の懸案は、被弾による全体の並行バランスの乱れの修復と、遠距離攻撃無しでどうやって戦える状態にするのか。時間内逃げ切る事は先輩の目標じゃない、ここから勝つ事が目標なんだ――攻めろ!
「ファイ、残り時間」
『3分20秒デス』
なんだよ、時間が全然ないじゃないか……
「クソ……勝てると思うか?」
『解析――勝利ノ可能性ハ0.0024%デス』
自身の作ったAIは、さも当然と機械的に容赦のない絶望の数字を告げる。
だけど――だけどさ。
『ダケド、試合ガ終ワルマデ0%デハアリマセン。安心シテクダサイ』
「……ハハハッ、お前相当なバカだな」
こんな風にシステムを組んだつもりはなかったけど、自己学習型の人工知能は、どうしてこんなにもその作り手に似てくるんだろうか。つまりオレの周りにいる、先輩の周りにいるヤツらは、どいつもこいつもバカばっかだ。
――8歳のオレは英雄(ヒーロー)で、15歳のオレは天才で、17歳のオレはただの人。
凡才のオレに何ができる? 何もできないかもしれない。でも何かしたい。いや、しなくちゃいけない。そうでなければ、オレがここにいる意味がない。
「姿勢制御コードの7番から12番の記述をカット、同時に出力の重心バランスを43%右にずらして」
『了解』
直後、インカムから声がする。
「うわっ……!!」
一瞬バランスが崩れたのだろう。
「すみません先輩、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
「左右の出力の並行バランスを戻しました、いつも通りの並行感覚で動けます」
「――っ! うん!」
再び動きが元に戻る。
実際は並行バランスを戻しただけで何もかもが100%とは行かないけれど、並行な状態に戻す事で、姫野先輩の優れたバランス感覚を、今できる最大限で活かせる、そんな状態には戻す事に成功した。
ここから、勝利に持ち込むにはどうしたらいいのか。
――手はある。
「先輩、今から言うとおりに動いてもらえますか?」
「聞かなくてもいいよ、キミを信じる」
「座標送ります、ファイ」
こちらのモニター上で打ち込んだ座標を転送する。1箇所という訳ではなく次々と目的地を変更しながら、徐々に大きな移動へと変えていく。追撃してきているのは3機、2機は攻防からは距離をとってその様子を静観しているようだ。
時間切れでも多く残っているチームが勝ち、安全策だ。まずはこの3機をどうにかできないと勝ちはない。だけどパンチしか武器のない機体で距離をとられてしまうともうどうしょうもない面もある。この状況を打開するための遠距離武器を先輩は持ち合わせていない。
――だったら。
素早い動きで撹乱しながら、徐々に3機を引き離していく。それぞれは教科書通りというか、同じ距離を保ちながら戦い続けていた。結果そんな3機のちょうど真ん中に位置するような所へと飛び込む形になっている。
袋のねずみ、とも言える状況だった。
「先輩、右後方機体へ特攻!」
状況は整った、それまで回避に専念していた先輩が一気に攻撃へと転じて特攻をかける。
まっすぐ一直線に。突然の攻撃、距離を詰めてくる機体に戸惑った敵は反射的に銃口を向ける。放たれた弾道に一直線に向かっていく体制、回避するのはそんなに簡単な事じゃない。
――だけど、先輩ならいける。
「かわせえええええ!」
信じて叫んだ。
反撃、その一撃を双脚を背面から引き抜く様に重心を無理やり移動させると、その勢いのまま反転し一瞬で走行ラインを変えた。彼女をかすめるように敵に一撃は後方へ、見事先輩は回避した。180°テールターン、あの日見たエアロボードのような、重心を引き抜きながらの体移動はボーダ―のそれであり、エースらしくない動きだけど、その動きは聴衆に先輩の才能を示すには十分過ぎた。その才覚に会場がざわめく。だがその回避運動のために特攻のラインはずれてしまい、直接の攻撃はできなくなっている。
――だけど、これでいい。
直後、大きな爆音と共に遥か後方にいた敵機が沈む。先輩がかわした弾が、フレンドリーファイアとなってチームメイトを沈めた。ちょうど直線になる、その一瞬を狙っていた。こちらに距離のある攻撃が出来ないのであれば、相手のそれを使えばいい。
〈おっと! これは皐月大付属の連携に乱れ! なんと敵機を狙った一撃が味方に直撃、予想外の攻撃に成すすべなく、皐月大の山口選手が水面へと落ちていく〉
これが相手の動揺を誘った。これまで見事なコンビネーションをみせていたが明らかに雑な行動が出始める。
――チャンスだ。
そうインカムで伝えるまでもなく、先輩自身も一気に攻勢へ転じる。迫る白い機体に乱れた射撃は通用しない。1VS1の状況であれば、彼女のセンスが上回る事はもはや明白。見事なステップワークで距離を詰めると右手一閃、さらに1機を沈める。
けたたましくアラーム音がピット内に響く、機体にかなりの負荷がかかっている、100%を超える出力と機体性能ギリギリの無理やりなコーナーワーク、先輩の機体が悲鳴を上げていた。だけど、この試合だけ持てばいい。大丈夫、壊れたらまた直せばいい、オレが直せばいい。この機体のメカニックは、オレだ。
先輩はその勢いのまま、上空に展開していた機体へ向けて一気に高度を上げていった。
「行けええええええええええええ」
包囲網も崩れ、どうしていいのか分からないのか、逃げまどいながら何とか引き離そうと弾丸を打ち続ける。だけど単純なライディングであればやはり先輩の方が早い。見事なライン取りで距離のロスなく敵機へと迫ると、すれ違いざまの一撃。先輩を囲んでいた、3機すべてがたった一瞬で海面へと沈んでいった。
〈な……ミラクル! 姫野選手を囲んでいた3機がわずか数十秒の攻防で、すべて沈められた。桜山学園3機撃破、残る機体はあと2機だああああああああ〉
実況の音声が響き渡る。観客の表情が明らかに変わった。地鳴りのような歓声が次々と上がっていた。
1機のチームがフルメンバーのチームを追い詰めていく。現実感のない景色が目の前に拡がっている。そんな会場のどよめきがピットにまで響いてくる。
だけど、ここで立ち止まられない。姫野先輩はその勢いのまま、海上から市街地エリアへ向けて一気に加速する。あと2機、フレンドリーファイアは大きな賭けだったけど、それには勝てた。
チャンスはゼロじゃなかった。
――届けっ!
ブーーーーーーーーーー!!
直後、ブザーが鳴り響く。試合の残り時間のカウントは0になっていた。
タイムアウト。
試合は終了した。
2対1、市街地エリアまでは辿りついていた、ただ時間が足りなかった。
桜山学園・情報処理部の最後の試合がそうして終わった。
――しばらくして、先輩が控室に戻ってきた。
どんな顔をしたらいいんだろう。もっと早く駆けつけていたら……いや、そんな事でどうにかできただろうか。
――と、こちらへ向かってきていた先輩が不意にバランスを崩して倒れそうになる。慌てて駈け寄るが、先輩は壁に手をついて踏みとどまった。
「――先輩! 大丈夫ですか!?」
「あ、ごめんごめん。大丈夫、ちょっと疲れたかな?」
1人であれだけの試合をしたんだから、ふらついても不思議はないか。
「――すみません、先輩。勝たせられなくて」
「ううん、そんな事ない。ありがとね」
先輩は穏やかな顔つきだった、そう見えた。
やりきった……いや違う、何かを我慢してるだけだ。
そんな予想通り、すぐに表情がグシャグシャになる。
「でも……勝ちたかったな……」
無理に笑おうとして引きつった笑顔、その両目の端から流れる涙を止められない。必死に声を殺して、だけど周囲もその様子に気がついたのか、多くの視線が集まる。
どこからともなく、拍手が聞こえてきた。
1つ2つ、拡がっていくように。ここにいる予選参加者達には彼女の本気がどれほどのものか、伝わったんだろう。大きな拍手の音に先輩の泣き声は覆い隠される。そんな先輩の表情をオレはずっと見つめていた。
――オレはまたもや無力だった。
* * * *
試合後の筋肉痛が全身を襲っている。少し言葉を出すだけでも腹筋がズンと重たく感じられた。
そんな週明けの生徒会室に、私と生徒会長の千歳が居る。他の生徒会メンバーはおらず2人だけだった。きっと千歳の配慮なのだろう。
「それじゃあ、情報処理部はここまでの約束だから。いいわね輝夜?」
聞きなれた綺麗な声で、千歳は私にそう告げる。情報処理部の廃部を告げる言葉だった。部活を作るのと違って、特に書類があるわけでもない。ただソファーに座って、何もないテーブルをはさんでそう告げられる。
案外呆気ないんだな、それで私の高校3年間は終わった。すべてが終わってしまった。
――そう、終わるはずだった。
「失礼します」
一応ノックはあったけど、確認する前に扉が開き、3人の生徒が入ってきた。その姿に見覚えのあった私は反射的に声が出た。
「神谷野君?」
神谷野君と、その友達の男女1人ずつの計3人。
「ちょっと、今取り込み中なんだけど。勝手に生徒会室に入らないでもらえない?」
「取り込み中、っていうのは、情報処理部の解散の話ですよね?」
「……えぇ、そうだけど。なに、異議申し立て?」
「そんなんじゃないです、ワンマン会長の決定事項はどうせ何言っても揺るがないんでしょうし」
「……それがわかってるんならさっさと帰りなさい」
そんな千歳の言葉には耳も貸さず、彼は私の横に立つと、千歳に1枚の用紙を提出する。
その書面の形式を見た瞬間、明らかに千歳の顔色が変わった。
「――何これ?」
「何って、部活動設立申請書です」
「だから、これは何の部活だって聞いてるのよ」
「エアリアルソニックです」
――え?
神谷野君は千歳に堂々とそう告げると、呆気に取られている私に声をかけた。
「姫野先輩」
「はい?」
「オレ、もう一度、乙羽に会いにいかなきゃいけないんで。ヴィーナスエース目指す事にしました」
私の前に指先に沢山のタコがあるごつごつとした右手が差し出される。
「でも今の自分のままじゃ無理だから。頑張って結果出してから、会いに行きます。だから全国大会に出て、それから乙羽に告白って流れなんで、今からエアリアルソニックの部活作ります。って事で、先輩、よかったら入部しませんか?」
「――でも私、もう大会にはでれな……」
「冬があるじゃないですか?」
「……え?」
「今年の冬、オレ達ヴィーナスエースに出るんで。先輩も一緒にどうですか?」
それまでは物事を達観したような、どこか大人っぽいと感じていた彼の表情。だけど目の前のそれはこれまで見た事のない、イタズラっぽい少年のような笑顔だった。つられて私も笑顔と笑い声がこぼれる。
――季節はまもなく夏へ。
私にとって最高で最後の日々が始まろうとしていた。
chapter2 (終)