chapter3-1: 部活を始めよう
――心を静かにして、自分の心象世界をただひたすらの静寂に包み込む。
そして静かに目を開いたら、視線と一直線に手にした剣先を向ける。
勝負は一瞬、勝つのは相手が先を焦った時、負けるのは自ら負けを呼びこんだ時。
気がついた時には自分の足元には剣の道があった。
じいちゃんに連れられて歩き始めたその道は、あの瞬間まで自分が一人で歩む道だと思っていた。
その日、桜舞い散る春のあの日
まだ堅さの残るランドセルのベルトに腕を通して裏道から家へ帰ろうとしていた時、不意に聞こえてきた聞き慣れた打突音。
渇いた竹の音はもう一本隣の路地へとその足を導く。
見慣れた剣道着、沢山の人達が集まっているのも同じ、だけど、あんなに同年代の女の子が集まっている姿は見た事がない。
少し年上のお姉さん達、ウチのおじいちゃんの友人たちとは大違い。
それまでレールを1人で進むのだと思っていた少女は、その景色に憧れた。
誰かと一緒に、同じレールを進むその場所に憧れを抱いた。
そうだ、ウチも一緒に――!
* * * *
「あんにゃろ……!!」
窓のサッシに腰掛けた長身の男は紅の髪をかきむしる様にしてそのいら立ちを隠さない。
カメは激昂していた。
その勢いのまま、部屋の中央テーブルで熱心に資料に目を通していたメガネの少女へと疑問をぶつける。
「部活申請にそんなルールあったか?」
「うーん、分かんないんだけど……でもグレーかな?」
下を向いていたために少しずり下がったメガネの位置を左手の小指で軽く直しながら、絵美里はカメに視線を向ける。
――ガシャン
カメは苛立ちのままに目の前にあったパイプ椅子を蹴飛ばす。少しだけ跳ねたそれは壁にぶつかると衝撃で中途半端に折りたたまれ、床に転がった。
「ちょっと! やめなよカメ。先輩の備品だってあるかもしれないのに」
「……っ!」
絵美里の言葉に、我に帰ったカメは慌ててその矛を収める。
「わりぃ、気が立ってた」
バツが悪そうにカメは右手で耳の裏あたりの髪を触る。勢いに任せての行動だったのだろう、気持ちを落ち着かせるように、カメはそばに合った椅子に座った。そうして、かつて情報処理部と呼ばれてい部屋は静寂を取り戻す。
元情報処理部、その部活は確かになくなった。姫野先輩と生徒会長・佐倉千歳との間で取り交わされていた約束――それがこの夏のヴィーナスエースの大会で敗退した時点での廃部であり、その約束通り、情報処理部は廃部になった。逆に言えばそこまでは待ってくれていたと言えなくもないが……ただ、約束は約束という事で姫野先輩の同意の元、間違いなく桜山学園から情報処理部は無くなった。
じゃあなんでオレ達はここにいるかというと――別に廃部になったからといってすぐに部屋を片付けてしまう訳でもないし、備品も処理されてしまうわけじゃない。それらは学校の資産なわけで、目の前に合ったものがそう簡単に消えたりなんてしない。そこにつけ込んだのは意外にも学校内の書式関連に詳しいという絵美里だった。
――備品利用申請書――
そういう申請とか手続きがある事をオレ達は知らなかったが、部活動はもちろん、仮に部活でなくても同好会やワーキンググループには承認用のシステムにアクセスして申し込む事で、学校の備品を使用する事ができるのだそうだ。絵美里はこの事を示すとオレに伊達に図書委員をやっていない、と自慢した。図書委員というのは色々と学校窓口とのやりとりも多く、こういった書式に関しては詳しくなるのだと彼女は説明していた。なんにしても、エース部を立ち上げようとしたオレ達はそれを理由に正式に備品の使用申請を行って今に至る。現在エース関連の備品を使う人達は他になく、提示したシステム書面に不備がなければたとえ生徒会長の意向がどうであれ学生の自由な活動を止める事はできない……のかどうかは正直分かってない所もあるけど、結果今こうやって使えているという事はそういう事なのだろう。なくなったはずの情報処理部でオレと絵美里、カメの3人は、次の一手を探していた。
部活動の設立申請は出した。だが、カメの参加は認められなかった。4人以上の連名で設立申請の必要があり、オレと絵美里、カメに姫野先輩の4人で、その要件を満たしているはずだったが、カメはすでに【報道部】に所属している。この事を理由に、設立メンバーとしてのカメの参加は否定されたのだ。
「部活の兼務禁止なんてルールがあるのか?」
オレは多分ここで一番学校のルールに詳しいだろう絵美里にそれを聞いてみる。
「うーん、兼務は許可されてるんだけど、部活動の立ち上げ時、という事に関しては記載がないから、ある意味生徒会側の裁量でどうとでも言えるって事かな?」
「そんな適当なのか」
「適当っていうか、生徒会はルールに則った組織ってことなんじゃない?」
確かに、ルールの順守を徹底する組織がルールを無視するわけにもいかないか。そんな絵美里の見解で現状を理解しつつ、だがこれからのハードルに少し頭を悩ませる、そんな感じだ。季節はもう5月、新入生もあらかた部活に入る人は入っただろうし、入らなかった人は塾だったり課外活動があったりでそれらを勧誘するのはハードルが高い。生徒会に目を付けられているなんて事は多くの生徒が知るところだろう。なんとか名義貸しだけしてくれる仲間を見つけられたとしても、本気じゃない友人をこのグチャグチャな状況下に巻き込んでしまうのは申し訳ない。やっぱりちゃんとエアリアルソニックをやりたいと思ってくれる仲間を見つけないと、結局のところ冬の大会だって目指す事はできない。手段と目的を間違えてはいけない。でもどうすればいいんだろうか、ちゃんと考えないと……しかし考えても何か会心の一手が思い付く気もしない。
――ガラッ!
そんな靄のかかった視界を切り裂くに、閉じられていた扉が開かれた。
部屋と扉の境目に光を背にシルエットだけが浮かび上がるが、揺れるポニーテールですぐにそれが姫野先輩だと分かった。コピー用紙らしき紙の束を右手で抱え込むようにして持っている。
「ねぇ見て!」
バッっとその束の一枚を左手で引き抜く様にして取り出すと、印字部分をオレ達の方へと付きだした。
「勧誘のチラシ作ってみたんだけど、どうかな?」
……うわぁ。手書きのコピーだろうか、キャラクターらしきイラストが描き添えられた入部募集のチラシだ。だけど、イラストも文字も、全体的にヘタクソだ。
「……何よ神谷野くん、ケンカ売ってるの?」
「ゲッ、声に出てた?」
「一語一句全部ね」
眉間にググッとシワが寄る。鋭さを増した彼女の目元から逃げるようにオレは視線を足元へと逸らす。
ハァ、という先輩の深いため息が耳元に届く。
「……そんな下手かなぁ……?」
姫野先輩は自身の画力を確かめるように、そのポスターを見つめる。
絵のうまい下手を語れるほど、自分だってイラストが上手いことはないけれど、上手い人が描く線とそうでない人の線の違いくらいは分かる。迷いの差、絵が上手い人の線は迷いが少なく、描きなれていない人の線はどこか不安な描き味になりがちだ。そういう意味では姫野先輩の線は、ブレも揺らぎも少ない、つまり迷いの少ない線ではある。だが、その迷いのない線で描かれたキャラクターはどうしようもなく下手だった。
自信満々にこれを描いたという事だとしたら大したものだと思う、これ以上言うと余計な作業が増えそうなのでやめておこう。
「これ貼ってまわろうと思うから、神谷野君手伝ってよ」
「ビラを貼るんですか?」
「ポスター的に学校の掲示板に貼ろうって思って。もちろん配るのもやるけどさ」
「……地味な方法ですね」
「地味でも何でも、やれることからやってみる、ってそれしか思いつかなくてね」
――そうだな、そうかもれない。
色々部室で考えたところで、行動を超える一手なんてあるわけがない。
分かってはいるんだけど、なにか効率的な方法がないか、なんて考えてしまって足が鈍っていく。
もっといい方法も思い付いたらやればいい、今出来る事は今やって、それでいいじゃないか。
「あとはキャッチコピーとかかな?」
「はい?」
「スローガンっていうか、この部活が何をする部活なのか、端的に伝わるいいテーマが見つかったらいいんだけどなー」
なるほど、確かに映画のポスターに関しても分かりやすい題字は重要だ。部活のテーマ、みたいなものがどんと書いてあるともっと人の心を惹くチラシになるかもしれない。ただすぐには思い付きそうにない。
「うーん……思いつかない。とりあえず、また考えようか」
「……でも、このデザインはちょっと駄目じゃないですか?」
「えー、そうかな?」
「この絵だと下手すぎて場合によってはイメージダウンで逆効果に……」
「えーひっどい! 私、頑張ったのに!」
小さな頬を桃色に膨らませて先輩は文句をいうものの、しかし彼女自身が自分のスキルはよく分かっていたからなのか、それ以上の反撃はない。
「せっかく掲示板に貼るなら、ちゃんとしたデザインじゃないと。なぁ、絵美里?」
「え?」
オレが絵美里に視線を送ると、その意味を感じ取ったのか、彼女はメガネの奥の眉をひそめる。
「なーに、それは私にどうにかしろって事?」
「デザインとか、イラストとか好きだったじゃん? どうかな?」
オレの言葉に姫野先輩も反応する。
「えっ? 絵美里ちゃんってイラストとか上手なの?」
「え……あぁ、まぁ一応好きって言うか、上手いってほどでもないんですけど……」
「へぇ! いいじゃん! ぜひ描いてもらおうよ、その方が楽しそう! 色々デザインしてよ!」
屈託のないその笑顔に、絵美里も気恥ずかしくなったのか少し視線を反らしながら、
「……まぁ、一応私も名義貸しとはいえ、ここの部員なんだし……いいですよ、それくらい」
そういうと絵美里は束になっているそのチラシからすっと一枚を手に取る。
表向き無理やり受けましたというような言葉とは裏腹に、絵美里の表情はなんとなくだけど楽しげにみえて、少しだけ安心する。
「じゃあ頼むよ、絵美里」
「りょーかい! でも貼る時は手伝ってよね。あと昼飯おごる事! コロッケパンも追加ね」
そう言うと絵美里はグッと親指を立てる。
黙って聞いていたカメも、そこまでの会話を聞いてすっと壁際から扉の方へ。
「そういう事なら、オレも応援って形で協力する。新聞で特集とかPRできないか、部長にかけ合ってみるからさ」
わかった頼むと告げると、任せとけといわんばかりの歯をみせた笑顔でこの部室を後にした。
――もうすぐ夏休み、休みに入ってしまうとなかなか勧誘が難しくなりそうだ。
そこまでに何とか部員を確保して、部活にしないと……団体戦のメンバー構成も重要だけど、部活にできなければ冬のヴィーナスエースなんて夢のまた夢だ。少しでも、何かきっかけがつかめたら……手にしたチラシに視線を落としながら、なんでもいいから自分にできる事が何かないか、そんな事を考えていた。
chapter3-1(終)