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chapter4-1:変わり始めた朝


彼と彼女の間にはいつも沢山の人が集まっていた。
私の大切な友達で幼馴染は、いつだって私から少し遠くを歩いている。置いていかれても仕方なかった。私には何もなくて、私じゃ何の役にも立ちはしない。
2人はいつも輝いて見えた。学校の朝礼では全校生徒の前で表彰され、ネットや雑誌でも2人の顔を見かける事が多々ある。そこに私はいなかった。結構前から一緒にいたはずなんだけど、私はどこにもいないんだ。そうして気が付いたら2人は私の前からいなくなっていた。

……あぁ、そうか。

ずっと自然に、当たり前のように思っていたそれは、全然当たり前なんかじゃなくて、誰かと一緒にいたいならもっと努力しなきゃいけなかったんだと、その時初めて思い知った。

だけど、私には何もない、何もないんだよ。
どうやってそこに行けばいいの?

分からない、もしかしたらそんな方法なんて最初からなかったのかもしれない。やり直したい。どこからやり直したら、私の人生は上手くいくんだろう。何もない私は、どこかで何かを持っている私になれたんだろうか。どうしたって2人の近くに行けない私は、どうしようもなく……

――意識が灰色から白へ。

瞼の裏にほのかな光を感じて、私の意識が呼び覚まされる。机に突っ伏したまま、いつの間にか寝入っていた。左の頬に麻の服の模様が張り付いていて、指先で触るとその凹凸がしっかりと感じ取れた。カーテンの向こうが明るく、その隙間から柔らかな白が漏れ出していた。
時計を探す、時刻は6時……よかった、まだ慌てるような時間じゃない。少し背伸びをして、改めて自身のテーブルの上を見る。そこには書きかけのデザインラフ画が何枚も折り重なって散らばっていた。エンピツの線が幾重にも折り重なった、まだその輪郭をはっきりとさせていないイラスト。今の私を特別に変えてくれるそれらを手に取りながら、自然と笑顔になる。

――よし、私も頑張ろう。

一度は遠くに行ったモノ、絶対に取り返せないと思ったモノが今、目の前にある。

……私は、今頑張らなきゃ。


* * * *


「ハイ、翼、これでどうかな」
朝礼の前、いつもの教室で私は翼にデザイン画を一枚手渡す。一応デジタルで制作したデザインを紙に出力した。
「これは?」
「長篠さ……じゃなくて、真心って呼べって言ってたっけ? 真心のフレーム、こんな感じでどうかな?」
差し出したのは、この前の練習試合で大破したエアロフレームの新デザイン、同級生の長篠真心が今後使っていくフレームだ。彼女の要望を鑑みて、どことなく和風のデザインでまとめてみたつもりだ。そのフレームに真心は「コジロー」という呼び名を当てていた。物干し竿のごとき長い刀からそう呼んでいたのだと思うけど、それをアイディアのベースにさせてもらった。
「了解、いいんじゃないか? 絵美里、悪いんだけどこれの3Dデータ、工場に直接送っておいて貰える?」
翼は私にその紙を返す。
「ありがとう! すぐに送るよ」
私は自分の机に戻ると、カバンからパソコンを取り出す。データを最終確認すると、フレームを修繕してくれる近所の工場へとデータを転送する。2作品目だ、私の2作品目。データは所詮はデータ、実際にはどんな風に仕上がるんだろう。今から凄く楽しみだ。

私はちゃんとやれてるかな。

いつか置いてきぼりになって、絶対に届かないと思っていた場所で、ちゃんと一緒に歩けてる?建前なんかじゃなくて、憧れだけじゃなくて、1人の友達として。

 * * * *

――それは小さな反逆だった。

グラウンドや部室の貸出がすべてAIを利用した自動受諾システムになっている学園のシステムを利用すれば、それこそ空きさえあればその隙間に滑り込むようにしてグラウンド設備を借り切る事も出来る。学生である以上、正規のルートで申請したものは権利として与えられる、そこを利用してエアリアルソニックの模擬戦を仕掛けた。生徒会からすればまさか学内でエースの試合をやられるなんて思ってもいなかっただろう。でもルールを破る様な悪い事をしたわけではないからそこに関しては反撃も出来ない。そういう意味で少ししてやったりくらいの感覚は持っていた。
だけど、その反逆は予想よりも大きな効果を生んだ。

「神谷野、部活か? 頑張れよー!」
「あ……ありがとう」

週も変わって新しい一週間の始まり。
月曜の放課後――いつもの教室だけど、名前も知らないクラスメイトから声をかけられた。名前も知らないのは自分が悪い気もするけど、オレや絵美里に声をかけてくるクラスメイトが増えた。先日の試合が生徒たちの間で結構な話題になっているのだった。
それに拍車をかけたのがカメが書いた記事だ。試合内容から部活動設立までをまとめた記事を学内に掲示してくれたおかげで、気になったその日学校に居なかった生徒たちの間でも、写真や動画がシェアされることになった。あの朝の一戦はオレ達に予想以上の宣伝効果をもたらしてくれていた。もちろん生徒会の心証は最悪だろうと推察されるが、それは元々そうだから今更考えてもしょうがない。どちらかというと味方が増えたという事の方がオレ達にとっては重要だった。
「――キャー、ありがとうございます!」
「見てみて、長篠先輩と写真撮っちゃった!」
廊下の方から女の子の甲高い声が響く。オレが廊下の方へと顔を出すと、背の高い長篠を囲むように2人の女子生徒がぴょこぴょこと跳ねまわっていた。これも最近何度か目にしていたので驚きはしない。あの試合後、長篠のファンとなった女子生徒が急増したらしい。どこか中性的で高身長のカッコイイ系女子の長篠はどうやら女性にモテるタイプらしい。
「……はぁ……」
「おはよう、長篠」
オレはうんざりといったため息を漏らす長篠に声をかける。
「おはよう神谷野、ってか長篠は止めてくれって言ったやん?」
挨拶をしながら、長篠はオレの呼びかけをとがめる。長篠はあまり名字呼びが好きではないらしく、ましてや同級生という事で下の名前で呼んでほしいらしい。
「悪い、真心。それでまた女の子におっかけられてため息?」
「まぁそれももちろん、そうなんやけど……いや、実はな……中間テスト、追試やねん」
「は……?」
「今朝、掲示板に学年順位に出てたでしょ? 見てないん?」
「自分以外の名前は特に見てないんだけど」
今朝、中間テストの順位発表があったのはあったけど、特に問題もないだろうと思ってチラッと見たくらいだ。前期中間テストがあったのは、ちょうど模擬戦をやっていた日の前後ではある。実はそういう日程だったからグラウンドが丸々空いていたという事情もあったりはするわけで。しかし、前期の中間テストなんてそこまで難しい試験では……
「それで、神谷野はどうやった?」
「……いや、さすがに余裕だし」
「だはー、頭良さそうやしなお前。藤沼や亀山はどうなんかな?」
「2人とも多分問題なかったんじゃないかと思うけど……ちなみに何の科目が追試なんだ?」
「国語と数学と英語と理科と社会」
「は?」
「つまり全部」

ダメだコイツ、それはダメだ。

スポーツ系だし根本的に勉強があまり好きじゃないのかもしれないけど、それにしても全科目追試はちょっと厳しい……というかこのまま放置すると、進級が怪しいのはもちろん、この事実を突破口に、生徒会がエアリアルソニック部に対してなんらかのアクションを起こしてくる可能性すらある。
「……ちょっと、なんて目でウチを見てるん?」
「そんな顔してたか?」
「可哀想な何かを見る目や」
「まぁ、正解じゃね?」
オレがそう答えると、一瞬不満げな表情を見せるもすぐにシュンと沈む。自分に問題ありな事は自覚しているらしい。
「それで、追試っていつ?」
「今週末、金曜と土曜の放課後」
「じゃあとりあえずそこまでは真心、部室で勉強な」
「えー! エアロフレームの基礎練習しないとまずいんじゃないん?」
「えー、じゃない! それじゃ安心して部活できないじゃん。とりあえず追試突破してから基礎練習再開、いい?」
「……はー、しゃーないなぁ……朝連とかはしてもええよね?」
ため息を深くつきたいのはこっちなんだけど、と思いながら真心を見ていた。追試クリアくらいはサクッとしてもらわないと、せっかくいい流れが来ているのに時間がもったいない。部活が出来たとはいえ、まだまだ人が足りていないし、メンバー勧誘も頑張らないと。
「あ、でもさ!」
……と、真心が沈んでいた顔をあげた。
「姫野先輩もダメなんじゃないんかな? あの人、ウチと同じにおいするし」
「あ……」
確かに。そうだ、真心がダメならあの人も勉強とかしてなさそうだ……
「神谷野、3階行ってみないか? 3年の成績一覧、出てるはずだし」
真心に促される様にしてオレは3階への階段を上る。

特別室での授業以外で上級生フロアである3階に行くのは少し憚られる。だが3階の廊下を歩いてみても案外誰からも気にされなかった。こんなものか、と思いながら大体廊下の中央部にある掲示板の前で足を止める。カメが書いてくれた記事も掲載されている学級新聞と共に、白い大きな用紙に学年順位がまとめて掲載されている。1位から学年最下位までが容赦なく掲載されているそれは今年から始まった儀式らしい。進学校方向へとシフトしようという学園側の意図が反映されたものだった。
「……ウソ……」
先に掲示板を眺めていた真心が、目を大きく見開いて固まっている。顔は真っ青、何があったのかとオレは真心の傍へ。近づいても視線1つよこさない。そんな彼女の視線の先を追いかけると……
「――マジかよ」
「うそやん……裏切りものぉ……」
学年1位の欄に「姫野輝夜」の文字があった。

先輩、こんなに頭良かったのか。そう驚いていると、続く2位の欄には「佐倉千歳」生徒会長の名前が記載されていた。

「……なるほど、生徒会長が2位なのか。だから……」
「だから、何?」
威圧感のある声にハッとして、振り向くと会長の姿がそこにあった。しまった、声に出ていたのか。
「いや、なんでも」
「ふーん、そう」
ヤバいな、目を付けられてしまったかもしれない。そう思いつつ、氷のように冷たい目でオレと真心を交互に見ながら、続けて怪しげな笑みを浮かべた。
「部活メンバー、集まったみたいね。おめでとう」
「……ありがとうございます、おかげさまで」
「でも、まだヴィーナスエースで戦える状態じゃないわよね。どうするの?」
視線の圧力が増したのがわかった。会長はオレを見据えている。
「メンバーは引き続き募集します」
「あれだけ掲示物を出してやっと1人確保でしょう? そこからさらに選手やサポートメンバーを集めるなんて本当にできるの?」
「それは……やってみないと分からないじゃないですか」
「わかるわよ、そんな事。ホントはわかってるんでしょ? アハハハッ、まるで輝夜のような事を言うのねアナタ。あの子と関わって頭おかしくなってるんじゃない?」
姫野先輩を下の名前で呼びながら、蔑むように笑う。
「それに、仮に人が集まったとして、それで本当にヴィーナスエースに出れると思ってるの?」
「それは……ちゃんと練習して……」
「練習したら届くなんて、そんな甘っちょろい世界じゃない事はあなたが一番よくわかってるんでしょ? 中学MVP」

ドクン、と心臓が跳ねる音がした。オレの事もちゃんと知ってるんだな、この人は。

「それとも何? 天才メカニックのあなたが居れば、どんな素人でも即戦力に変えられるとでも思ってるのかしら?」
「……アンタ、先輩だからっていい加減にしいや! 神谷野になんか恨みでもあるんか! おまっ……」
それまで黙っていた真心が、発言と共に一歩前に出かかったところ、オレは右手で彼女の肩を掴んで制止する。大丈夫、という意味でのアイコンタクトを送ると、彼女の代わりのオレが一歩前に出る。
「そんな事は、思ってない。オレは天才なんかじゃないし、自分が居ればどうにかとか……そんな傲慢な考えは持ってはいないです。ただ……」
「……ただ?」
「姫野先輩となら、何かができるかもしれないって、そう思ってるだけ」

そう、自分1人の力では何一つ実現しなくても、先輩となら何かができる。そういう予感だけを頼りにオレは今走っていた。その言葉を前に、会長は一文字に口を紡ぐ。その両手はスカートの裾を掴んで何かを我慢するように強く握りしめる。

「……ふざけないで。何も……何もさせないわよ、あなた達には!」

それまでどこか冷静さを保ちながら話していた会長らしくない、強く感情の乗った言葉にオレと真心は驚く。会長はそう捨て吐くと方向を変えて廊下の向こうへと消えていった。


 * * * *


「はぁ……」
書類が山積みになったデスクを前に、佐倉千歳は大きなため息をつく。様々な懸案が折り重なって私を押しつぶしそうになっている。ただでさえこんな状況なのに、まさか姫野輝夜にここまで振りまわされるなんて。そう思いながら、書類の山からスッと一枚の紙を引っ張りだす。学校再編に関する国からの通知書だった。学園長――おばあさまはどう考えているのだろう。一度話を聞きにいかないとと思っていたけど、なかなか会う時間がないままだ。続けてもう一枚、紙を引っ張りだしてみる。今度は学校中に張られた報道部の新聞の写しだった。全面に展開されているのは先日の輝夜と後輩のエアロフレームによる大立ち回りの記事だった。ギリリと奥歯を噛みしめる。

――なんでこんな……

「なにしかめっ面してんだ? 綺麗な顔が台無しじゃね?」
「……涼太」
いつの間に居たのか、ハイバックの椅子の背後から覗きこむようにして、長身の男が1人生徒会長に話しかける。

――加瀬涼太、特に所属のない3年の男子生徒。

癖っ毛の強い黒のミディアムロングの奥から覗く一重の瞳はどこか野性的で鋭く、彼のイメージを尖らせている。くしゃくしゃのシャツの前のボタンは開け放たれて、その下には英語ロゴの入った赤のTシャツが覗く。明らかに風紀を乱しているその格好は生徒会室には似つかわしくないものだと感じるが会長は特にそれを咎めるわけでもなくその男の存在を認めていた。
「相変わらず姫野に手を焼いてんのか」
「まぁね。それでも輝夜1人なら何とかなるんだけど……2年生が邪魔ね」
「子本はどうしたんだ?」
「あの子はダメね、根が真面目だから」
「それはそれはご愁傷様。まぁバカ正直な子本じゃ、姫野や……神谷野みたいなイレギュラーに対応するのは無理だろうな」
乾いた笑い、涼太と呼ばれる男はポケットからミントタブレットを取り出すと2・3個口の中へとほおり込む。
「それで、どうするよ? その2年が邪魔なんだろ?」
「どうするって……涼太、手荒な真似はダメよ」
「ハハハッ、手荒って……手を出すようなことはしねぇって。要は部活をつぶせばいいんだろ? こういうのはどうだ……?」
涼太は会長の耳元で囁く様にして、アイディアを提示する。
「……そうね、それならいいんじゃない?」
だろ? と涼太が屈託のない笑顔をみせた。


 * * * *


「裏切り者ー! 絶対先輩はウチの仲間だと思ってたのにー!」
「ハイそこ、余計なこと言わない。口を動かす暇があったら手を動かす」
「うへぇ……」
部室では真心とオレの2人がテーブルに座っている。真心は今回のテスト問題を再度解き直しているのだが、すぐに集中力が切れるのか余計な事を言ってはうなだれるを繰り返している。絵美里と先輩、それにカメも今日はまだ部室に顔を出してはいなかった。何にしてもまずは週末の追試を片付けてもらわないとという事で彼女について勉強を指南していた。部活になって周囲からの視線も変わってきている。このいい流れでなんとか仲間を増やしていけたら……
「――あの! すみません!」
扉の方から聞き慣れない女性の声がして、オレと真心は同時に視線を向ける。そこには金髪の女の子が1人、扉のところに立って室内を見回していた。制服のリボンが赤色、という事は1年生――後輩だ。光を弾くと銀や白にもみえる美しい金色の髪は左右対称のツインテールに結ばれている。染めているのかとも思ったが、やや鋭さを持った彼女の瞳がエメラルドグリーンといういで立ちは、どこか日本人離れしてみえる顔立ちである。もしかすると元々金髪なのではないかという予感もしてきた。身長はさほど大きくないが、そのルックスは非常に存在感のあるものだった。
「……えっと……」
オレが何か言葉を探していると、真心が被せるように声を被せる。
「もしかして入部希望者!?」

――えっ?

真心の言葉にオレが動揺する。初っ端でそんな事は考えてなかったけど、まさか……
「え? あぁ、違います」
違うんかい! って、ちょっと期待してしまった自分が悲しかったがすぐに気持ちを切り替える。
「……えっと、じゃあ何の用ですか?」
「ここに2年の亀山先輩がよく来るって聞いたので、見に来たんですけど……なんだ、いないわね」
少し部屋を見回して、すぐに残念そうにため息をつく。あぁ、この子がカメが言っていた自分を追いかけてくる後輩の女の子か。なんだよ、凄く可愛い子じゃないか。確かにちょっとは性格強そうだけど。
「それじゃ、失礼します」
それだけ言うとすぐに立ち去ろうとする。
「あ、よかったら少し部活見ていかない? カメも来るかもしれないし……」
とっさにそう彼女に声をかけていた。カメは彼女に追いかけられるのを嫌がっていたので、カメの事を考えたらこの提案には問題があった可能性もあるけれど。
「いえ、遠慮します」
彼女は淡々とそういうと続けて、

「私、エース嫌いなんで」

そう言って軽くお辞儀をすると、すぐに扉の前から姿を消した。あまりに流れるような展開だったため、オレも真心もポカンと口を開けてしばらく制止した。
「――あ、そうですか……」
少し経ってからぽつりとそう呟いた、無意識にだけど。順調に来てはいるけど別に何もかもが上手くいくわけじゃないし、一歩一歩積み上げていくしかないんだなと思う。
「とりあえず、勉強再開するか」
そういうとオレと真心は静かにテーブルへと向き合った。

chapter4-1(終)

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