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chapter2-1. 先輩のお願い事


「こらぁ、神谷野! 何考えてるんだ?」
「えっ……?」
不意に教壇からオレを呼ぶ声がする。
「何度お前の名前をよばせりゃ気が済むんだ神谷野! 次の問題はお前の番だろうが。月曜だからってぼけっとしてんじゃないぞ」
その数学教師が語気を強める。気がつけばクラスの視線がこちらに向いていた。クスクスと嘲笑する声が混じっている、そっか、数学は順番にテキストの問題を解くんだったな。
「それともなんだ、優秀なお前にも解けない問題があるのか?」
……ったく、ちょっと考え事をしていただけじゃないか、いちいちうるさいな。
オレは立ち上がり教壇まで進む。問題は、まぁ大したことない。三角関数のちょっとした応用問題――加法定理を上手いこと組み合わせて、30度や60度などの見たことある角度の整数倍へ変換。それだけのことだが、それだけがメンドクサイらしく苦手だという奴も多い。
数学も物理と同じく得意な科目だった。というか、数字に強くなきゃメカイジリなんてできるわけないので、小学校から算数・数学は誰に習うわけでもなく気が付いたらできるようになっていた。それもこれも家で親父やじいちゃんの機械いじりを手伝ってきたおまけみたいなものだろう。
解き終わると、教師は満足げに解説を始める。周りをみるとみんなオレが黒板に書いた式をそっくりそのまま必死にノートに書き写していく。

――ホント、それって意味ないよな。

ノートを真面目にとっているだけで勉強やってますって、感じにはなるけどさ。そんなことを思いながら、同時に歴史や英語はノート写すくらいしかしていない自分を思い出す。まぁ結局、オレもみんなも同じなのに、何を偉そうなことを考えているんだか。席へ戻る流れで教室後の壁に掛けられている時計をみる。
――あれ、この授業、あと15分もあるのか。
オレの意識はこの時授業ではなく、全然別の所へと向いていた。

  * * * * 


「でさ、結局翼ってば結局帰って来ないの。酷くない?」
かったるい午前の授業をなんとかやりすごしての昼休憩、オレの机にもたれかかる様にして絵美里が不満を吐露する。
それを聞きながらカタカタと笑うのはカメだ。先日のエース観戦の話を、多少の脚色を付けて絵美里は不満たっぷりに演出していった。確かにオレが客席に戻らなかった事も悪いと言えば悪いんだけど……あの現場に生徒会長が居たのがそもそも想定外で、だからなんとなくその場を離れにくく……いや言い訳か。
それにしても、あのホーリーナイトって結局なんだったんだろう。
ピンポイント参戦だったのか、パーソナルデータはネット上にも見つけられなかった。個人出場の選手など無数にいる訳だし、何か記録を出していない限り無限に等しい情報の中ならそれを見つけ出すのは難しい。
どうして自分があれを姫野先輩だと思ったのか、そう直感した事に対して少し怖さを感じていた。ただ、あのライディングスキルは確かにボードのようなテクニックに思えたのは事実だった。
だから直前にボードでの走行を見た輝夜先輩にイメージを重ねただけなのかな、と思う。

「ちょっと、翼! 聞いてるの?」
耳元であまりに大きな声で叫ぶように言うので、キーンという頭痛と耳鳴りが起こる。
「うっさいなー、聞いてるって」
「嘘付け、全然別の事考えてたくせに」
いつもの調子で絵美里が食ってかかる。カメはその様子を見ながらニヤニヤしてるだけでどちらに付く事もなく静観している。


まぁ、別にどうでもいいか。

そんな光景の中にいて、思考がクリアになっていく。別にオレがそれを考えたところで、自分に何の関係があるんだか。そういうの考えなくても毎日楽しくなるように、クラスの友達とかとだべったり、遊んだりしてればいいじゃん。なんだ、そう思うと不思議と心が軽くなる。


そうだよ、別にオレには関係ないじゃないか――


――ガラッ!

 
部屋と廊下を隔てるサッシ扉が勢いよく開けられる。あまりの勢いにバンと音を立てて跳ね返ってきた。

何事かとクラス中の視線がその扉の方へと向けられる。跳ね返ってきた扉を押さえるようにして、1人の少女が肩で息をしながら、なんとか呼吸を落ち着かせようと下を向いている。
黒髪――ロングのポニーテール。

まさか、と思ったと同時にその顔がオレを捉える。
「――! 見つけた!」
「姫野先輩!?」
リボンの色で上級生と分かったからか、それとも学内最強のトラブルメイカーだからか。その少女はクラス中の視線を集め、教室は静寂に包まれる。頬に汗をにじませながらオレの元へと歩み寄る先輩を呆気に取られた誰もが静観していた。何が起きたのか、絵美里もカメも口が半開きのままその歩みを目で追っていった。
そうしてオレの前にやってくると、有無を言わさずオレの左手を掴んだ。

「ちょっと来て!」


――グン!

「おわっ!」
引っ張られる様にしてほおり出されたのは、廊下ではなく教室の窓から外。何の前置きもなく、外へと飛び出した。

「うわあああああああああああああああああああ!」

落ちたらケガは確実の高さ、手を引かれ背中から地面の方へとほおり出されたオレは反射的に叫びを上げた。

  * * * * 

「ごめんね、キミに何とかお願いできないかなって思って」
「ホント先輩って乱暴ですよね」
「いやー、ごめんごめん」
本当に悪いと思っているのかいないのか、その自然な笑顔からは読み解く事ができそうにない。手をひかれた反動こそ多少はあったが、全身無傷のまま連れてこられたのは情報処理部――彼女の部室だった。
オレの眼前には、塗装が焼け焦げてボロボロに剥がれおちた、白のエアロフレーム。ところどころ部品が欠け落ちてしまっている、満身創痍といった様相だ。
「……これ、ホーリーナイトですよね?」
「えっ!? 昨日見に来てくれてたの?」
「え、ええ、まぁ……」
「試合、どうだった?」
「えっ?」

先輩は笑顔を崩さない、だけど声のトーンがほんの少し変わったのが分かった。
震えている、というか、不安げ、というか……
「私の試合、どうだったかな?」

――どうだった?

無茶苦茶だ、そもそも5人制に1人で戦いを挑んだって試合になるワケがない。
そうだ、あんなの試合になっていない。

乱暴な言葉が頭をよぎる。
だけど――

「正直、始まる前は1分も経たずに試合が終わると思ってました」
彼女は黙ってオレの言葉に向き合っている。

「だけど5分以上も試合続けて、明らかに性能差も感じられた相手を1機沈めてる。客席では沢山の歓声も上がってた」
誰も期待なんてしていなかった、誰も想像だにしなかった、そんなシーンを先輩は作っていた。
「あんな試合、ありえないけど、凄かったです」
――そうだ、見た事がなかった。
そう、オレが言い終わると、先輩の頬がみるみる朱色に染まっていく。
「ホント! キミにそう言ってもらえるなんてホント嬉しいな、ありがとう!」
先輩が飛び跳ねるような笑顔で喜びの声を上げた。

――だがその代償がコレか。

喜ぶ先輩を横目に、ボロボロになった白のエアロフレームに触れる。
ボロッ、指先が触れた塗装部位がはがれおちる。白い砂のように崩れて、フレームの下地の傷が鮮明になる。これは相当なレベルの修理が必要になる、そう直感した。

「うーん、でももうちょっと上手く立ちまわれると思ったんだけど、まさか直撃喰らっちゃうとは思わなくてさ」

昨日のバトル、結局はノックアウト負け。

だが1VS5という圧倒的な数の差を考えれば試合としてある程度成立させた時点で、先輩の勝ちにも等しい負けだったようにも思う。まぁ、それはあくまでオレ個人の心証であって勝負自体、負けは負けだけど。

「これってトラブルは外装だけですか?」
「そうだったら私でも何とかできなくもなかったんだけどさ……」

そう言いながら、エアロフレームが安置してあるハンガーを回転させてフレームの背面をみせる。
「GPドライブの調子がどうも悪くて、出力が安定しないんだ」
背中に取りつけられている、機動の核であるGPドライブ。外装はそもそも消耗品で、規格に合ったものに取り換えるだけでも構わないけど、電気・伝送系統、そしてGPドライブは直接運動性能に影響を与えるためそういう訳にもいかない。
その中でも万が一ドライブが破損した場合は専門の人――チームメカニックであったり、場合によっては業者に依頼して修理する事も考えた方がいい。

「単に断線してどこかの電圧値がおかしくなってる可能性もあるけど、もし伝送系とかじゃなくてGPドライブ本体にトラブルがあるとしたら、オレなんかじゃなくて、ちゃんとした業者に頼む方が間違いないと思う……」

そうだ、オレみたいな学生じゃなくて、ちゃんとしたところに持ち込んだ方がいい。
そう指摘するも、先輩はそれはそうなんだけどと呟きながらボロボロになった外装部を触る。
「そうしたい気持ちもあるんだけど、まずはお金の問題があるでしょ? ウチの部活、予算がゼロなもので……」
まぁ当然費用はそれなりにするだろう。だけど仕方ない事だし、それでオレに頼むというのはちょっと……
そう思っていると、先輩は続けて
「それにね、頼んでる時間がないんだよね」
と、そんな事をいう。
「時間がない?」
「うん。もうすぐヴィーナスエースの地方予選でね、業者に頼んだらそこまでに帰ってこないと思うんだ。ホント、昨日のは練習試合のつもりで出場したんだけど、予想以上のダメージで……失敗したなぁ……」

ヴィーナスエース、という言葉に一瞬ドキッとする。
そうか、もうすぐ夏の大会――その予選があるんだっけ。前にいた学校は予選免除の強豪シード校だったから、いまいち予選の時期が分かってなかったけど、5月から6月というタイミングで地方予選は始まるのか。

だけど1つ疑問がある。
「ヴィーナスエースの予選って……先輩、トーナメントに出るんですか?」
「ん? もちろんだよ」
さも当然といった表情で、先輩はオレにそう答えた。
「でもヴィーナスエースってチーム戦ですけど、誰と出るんですか?」
オレがそう聞くと、先輩は少しバツが悪そうに笑うと
「いや、今は私1人しかいないからね。1人で出るよ」
「マジっすか……」

まさかとは思ったけど、少し呆れてしまった。
ヴィーナスエースは5VS5のチーム戦。まずちゃんと選手数が揃わないとそもそも不利だし、メカニックやオペレータなどの裏方――ピットクルーを含めての大掛かりなチーム戦だ。それに1人で出るなんて、ルール上不可能ではないけれど、バカにしてると思われても不思議はないくらいだ。
そう言い掛けて、オレは否定の言葉を飲み込んだ。
オレが何を言う権利もないし、それは先輩の考え方だし、問題だった。
「あ、もしキミが入部してくれたら2人になるよ? どうかな?」
「いえ、結構です。遠慮します」
「えー……」
本気とも嘘とも分からない先輩の騒がしい言葉を適当にあしらいながら、思考はいつになく静かでクリアだった。とにかく、もしこのフレームでヴィーナスエースに出るのだとしたら、修繕は必須な事は間違いない。

「ヴィーナスエースの地方予選って、いつからでしたっけ?」
「予選? えっとね、今週末」
「……は?」
先輩は壁の方を指差す。透き通るような白い指が指し示したのは壁に掛けられた今月のカレンダー。週末の土曜日に大きな赤丸がしてあった。今日が月曜日だから、5日後。
「業者に出しても間に合うか微妙な感じですね」
「でしょ? 万が一GPドライブに不具合あったらもう絶対に間に合わないよね。それに突貫でお願いしたら当然だけど費用が高額になるし……」
「でも、そうだとしたらオレにもどうにもできないですよ」
業者でどうにもならない作業をどうにかできるほど、特別な力は持っていない。技術は論理だ、一瞬で状況を改善する魔法なんてものはない。もしこの状況を打破できるとすれば、あるいはそうだな……

「……せめて予備のパーツやドライブがあれば何とかなる可能性もなくはないけど……」
無意識だった。オレは何を考えていたでもなくそんな事を口走っていた。それを聞いた先輩は先ほどから1つギアを上げた熱量でこちらへ話しかける。
「じゃあさ、これがあったらいけるかな?」
そういうと、フレームの両隣にあるハンガーロッカーの扉を開けた。

ホーリーナイトというエアロフレームが専用のハンガーに安置されていたように、この部室の一角にはそれと同様のハンガーが計5つ横に並んでいた。ただそれらの扉が閉められていたために中身を確認する事が出来ていなかった。彼女の指紋が認証コードになっているのか、電子錠が解除されると白く内気を吐きだしながらエアロフレームが出てきた。
ホーリーナイトの両サイドの2機、それぞれ似たような雰囲気のフレームではある。違いは装備だろうか、左隣のそれはマシンガン系統やハンドガンタイプの装備を有した中距離型フレームであるのに対して、右隣のそれは長剣デバイスを有した近距離型フレームである。
「これは?」
「今は私1人になっちゃったけど、これでもチーム戦に出るための部活だからね、5人分のフレームはあるんだよ。私の先輩が使ってたりしたんだから」
懐かしさからか、それとも淋しさからなのか、目を細めるようにしてそれらのフレームを見つめる。
「予備ってわけじゃないんだけど、ここから必要なパーツを移植したら、それならなんとかならない?」
やや使用感はあるものの、専用のハンガーに入っていただけあって保存状態は悪くない。
確かに既存のフレーム一式があれば必要な部品を移植すれば、確かに最低限の費用で修理が可能かも……
「……それは出来るかもしれないけど、でもそれじゃ移植元の機体はもう使えなくなるけど?」

「それはいいよ、使う機会ももうないかもしれないし、何より今は目の前の試合が大事だから」
確かに出場するが姫野先輩1人であれば、それ以外のフレームなんてあってもなくても同じ事だ。
何より6日後の試合に出る事が大事なのは分かる。

――と、我に返った。

そもそもなんでオレがこんな事を考えなきゃいけないんだっけ。確かに先輩にとってはヴィーナスエースは重要な事かも知れないけど、オレには一切関係ない話じゃないか。

「でもやっぱりオレには無理です」

そう、生徒会長にも睨まれてる人だ。
この人に変に関わっても自分にとっていい事なんてない。断って、それで終わり、それでいいじゃないか。

だけど、姫野先輩は食い下がる。
「そんなこと言わないで! お願い、少しは分かってても、私じゃ細かい所までは直せないの」
先輩が困っている事はその必死な形相からも良く分かる。
「外装とか、ちょっとしたことだったら自分でもできるんだけど、GPドライブや設定なんて全然できないし、私だけじゃどうしようもないの。その上、お金も時間もないし……頼れる人もいなくて」
「それでオレですか?」
先輩が困っている事は分かる。
だけど――
「なんでオレなんですか? 全然そんな知り合いってわけでもないでしょ」
そう、知り合い――まして友達でも何でもない。
どうしてこの人はオレに命にもかかわる重要な部分の修繕を事を頼めるんだろう。
「……それは……」
先輩は言葉を探す様に声を出すことなく口元を少し動かして、そうして続ける。

「それは……キミに出会っちゃったから」

「は?」
「キミに出会っちゃったから、もしかしたら何とかしてくれるんじゃないかって期待したの。私を助けてくれるんじゃないかって、そう思ったの」
予想すらしていなかった先輩の答えに頭が真っ白になる。
「変かな?」
先輩は表情を変えることなく、少しだけ首を傾げる。
「……意味わかんねぇ……」
変だと思う。オレの事なんてほとんど知らないはずなのに、この人にはまるで壁がない。すっと懐まで入ってきて、そうして心をかき乱していく。

――――できない。

先輩に何を言われても、そう言い続ければいいだけだ。だってオレ自身にはもうエースに関わる理由がない。理由、いや勇気かもしれないけど。それを言葉にしようとしてもなかなか体が言う事を聞かない。彼女の瞳から目を逸らす事ができない。まっすぐ視線を逸らすことなく見つめる彼女の瞳の中に映る自分の表情は見た事がないほどに矮小にみえた。

「――ごめん、迷惑なのは分かってる」

先輩は絶対に視線を逸らさない。
「だけど私にとって、今度の大会は最後のチャンスだから、どうしても出たいの」
視線を逸らすことなく、オレにありったけの想いをぶつけた。

「お願いします、私にできる事だったらなんでもするから、私を助けてください!」

先輩は言い終わると同時に勢いよく頭を垂れた。深く下げられた頭、彼女の表情を読み解く事は出来ない。今彼女はどんな顔をしているんだろう、そんな事を考えると胸がチクっと痛む。

――最後?
そうだ、彼女は3年生だから。

ヴィーナスエースは高校生の大会だ。もちろんそれだけがエースのすべてじゃないし、大学にも社会人にも大会やプロリーグだってある。だけど、高校を卒業したらヴィーナスエースには出れない。あれはそういう大会なんだ。

――でも

「ダメだって分かってても、ですか?」
オレは頭を上げない先輩にそう問いかける。
ヴィーナスエースはチーム戦だ。どんなに頑張ったって、1人で出場して勝つなんてマンガみたいな奇跡、起こるわけがない。でもきっとそんな事は人に言われる前に彼女自身が一番分かっているはずだ。

「……もし頑張った結果がダメなのだとしても、それでも、ダメになるまではダメじゃないから」

先輩は地面に視線を落したまま、こちらの問いに答える。
「機会はある、まだ私にはチャンスがあるの。なら出来る限りの事はしたい」
感情に突き動かされて、何度か言葉に詰まりながら彼女は想いを吐露する。
「だから、お願いします。力を貸してください……!」

無理なのも無茶なのも、どうしようもない事も、全部分かっていて、逃げないんだなこの人は。
――こんな風に言われたら、もう何も言えなかった。
「……やるよ、やればいいんだろ」

言葉の直後、先輩の上半身が跳ねるように起き上がる。
「ホント!?」
「でも、オレにできることなんてそんなにないから、過度な期待はしないでくださ……」
 
――ガッ!

言い終わる前に、オレの首には意外に華奢な先輩の腕が絡みついていた。正面からギュッと抱きしめられた。
「ありがとう! ホントありがとう!」
「ちょ……! 姫野先輩はなれ……」
「ありがとう……」
抱きつかれていたから、彼女の表情は見てとれない。だけど、首元の腕が小刻みに震えている。色々言いたい事があったんだけど、もう何も言えなかった。

chapter2-1(終)

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