コロナがもたらした変化をどう見るか?ーーメディア専攻教員インタビュー(中)
私たちは今、新型コロナウイルス蔓延という未曽有の事態にある。絶え間なく変化し続ける情勢を、関西大学社会学部社会学科メディア専攻の専任教員全15名はどのように捉えているのか。各々の専門分野から見解をうかがった。(奥村多瑛・土居朋樹・横山未来)
人を映すテレビの未来 -里見繁先生-
民間放送局で多くのドキュメンタリー番組を手掛けてきた里見繁先生は、テレビ業界にとって新型コロナウイルスのような世界規模の問題は、悪いことではないと語る。
「世の中が動くということは、人々の注目がそこにあるということ。つまり、それについて報道すればお金が儲かるということだ。昔から『人の不幸は飯のタネ』と言われるように、マスメディアからすれば新型コロナは必ずしも悪いことだけではない。それに加え、リモート出演や番組の再放送、特別編の放送によって制作コストが下がっている。自粛生活で視聴率も上がり、結果的にテレビ局は得をしているのではないか」。インターネットの登場によりテレビ業界の衰退が叫ばれる中、視聴率が上がっているこの機会に、これまでのテレビのあり方を省みて、新たなテレビのあり方を模索しなければいけないという。
里見先生はテレビは「人を映す鏡」と表現する。「テレビがつまらないという批判の声は少なくないが、そのテレビをつまらなくした原因の一端が視聴者にもある」ということだ。民放テレビ局はスポンサーの広告費で成り立っているため、視聴率を高くするためには視聴者が求めるものを提供しなくてはならない。つまり、このつまらないテレビを求めているのは私たち視聴者なのだ。「新型コロナウイルスの影響が縮小したとき、人々の意識が今までとは異なり、例えば政治や国際関係などに興味が移り変われば、テレビはそれに合わせて変化する。しかし私の考えでは、ポストコロナの世界でも社会は変わらず、また元に戻っていくのではないか」。
新型コロナウイルスの影響によって追い風が吹いたようにみえるテレビ業界。この機会に発展していくのか、それともこれまでと同じように衰退していくのか、その鍵を握るのは私たち視聴者なのかもしれない。
(執筆:土居 取材日:2020年6月4日)
リモートの「物足りなさ」を補うために -富田英典先生-
「画面越しの遠隔コミュニケーションに物足りなさがあるのは、五感で感じるものが視覚と聴覚だけで、あと3つの感覚(触覚、嗅覚、味覚)が使われないからである」。そう語るのは、モバイルコミュニケーションを専門に研究する富田英典先生。
10年ほど前に病気で入院したときの体験が、リモートコミュニケーションにおける物足りなさと似たものがあったという。先生は病によって、左半身の温感が鈍くなり、しばらくリハビリ生活を送っていた。あるとき、病院の外で片方の体を抱えられながら歩いていると、もう片方から押される感覚があった。「何かと思ったら『風』だった。風には、強い風、弱い風、暖かい風、冷たい風、やわらかい風というように、いろいろな種類がある。だけど、温感が機能しなかったため、物理的にものが押してくるようにしか感じなかった」。
この現象は、五感がフルに使用されないことによって感じる、リモートでのコミュニケーションの「物足りなさ」に近い。同じ共通の場所にいれば、その部屋にあるさまざまなものや空気までを共有することができる。しかし、画面越しのコミュニケーションでは、視覚と聴覚しか使われないために感覚に対する物足りなさがある。これは温感がなくなったときに感じた、「風」への違和感と同じであった。
遠隔コミュニケーションは不完全ではあるが、工夫を凝らした新しい方法の開発に、富田先生は関わっている。10月に国際シンポジウムが行われる予定だったが、新型コロナウイルスの影響で、オンラインでの開催に変更となった。しかし、場所がオンライン空間となったとしても、時差の課題が残る。参加国であるアメリカや日本、ヨーロッパなどの時差の問題を解決するため、参加者同士がコメントを書き込む時刻が異なっていても、同時に書き込んでいるように画面上で見ることができる形式での開催が採用された。これを、「疑似同期」あるいは「ダブリングオブタイム」と呼ぶ。異なる時間が重なるという概念である。
こうして、一か所に集まらず、時間を合わせなくても、世界各地を結んで会議を行うことができる。シンポジウムでは、この方法でのコミュニケーションを2週間かけて行う予定だ。あたかもそこで講演しているかのように各国から動画がアップロードされ、互いにコメントしあう。遠隔コミュニケーションには物足りなさが生じるが、アフターコロナの時代には、こうした「ダブリングオブタイム」の考え方が活用されるなど、さまざまな工夫が広く浸透していくはずだ。
(執筆:奥村 取材日:2020年6月9日)
世界の課題を協力しながら解決するしかない -劉雪雁先生-
「人類が未知の状況に直面したとき、従来の概念や知識のもとで判断が行われるが、今回はそれでは不十分だということがどの国にも言える」。そう語るのは、国際メディア論を専門とする劉雪雁先生。
例えばマスク一つとっても、国や地域によって認識に違いがある。日本では、新型コロナウイルスが流行する前から、日常的にマスクを使っていたため、それほど抵抗がなかった。しかし、アメリカでウイルスが広まり始めた時期に、アジア系の人が感染症予防のためにマスクをしていると、暴言を浴びせられたり、殴られたりする「アジア人差別」が多発した。アメリカではマスクをする習慣がなく、マスクをする人に対して違和感や不安を覚えたからだった。しかし、感染拡大を受けて、WHO(世界保健機関)はマスク着用の必要性を示し、世界中でマスクが使用されるようになった。
このように、今までの常識のもと、行動することが難しくなっている。従来の枠組みでは考えられない新しい状況下で対応が求められていることは、今現在私たちが直面する喫緊の課題であるが、今後の教訓でもある。
「新型コロナウイルスの世界的流行は、どの大陸にも逃れられない、グローバル化の表れでもある」。現在、感染拡大防止のため、国境を越えて移動することが制限されているが、国や地域を越えたコミュニケーションが止まったわけではない。例えば、劉ゼミではZoomを使って10か国の学生にインタビューし、コロナ下の生活や思いを聞いた。普段出会わない人たちとオンラインでコミュニケーションをとることで、異なる国や地域でも、思った以上に共通点が多いことも分かった。
新型コロナウイルスの蔓延によって、国と国が分断され、保護主義が高まる動きが目立ってきた。しかし、各国の医療従事者がオンラインで、どのようにこのウイルスと戦うべきかと情報を交換したり、知恵を絞ったりするような民間レベルでの協力活動も行われている。パンデミックという状況下は、一国で対応できるものではない。2月、日本から中国に送った支援物資の箱には「山川異域 風月同天」(山河が異なろうとも風や月は同じ天の下にある)と書かれていた。このような世界的な問題を、人類一丸となって、国や地域を越えて協力しながら解決しなければいけない。
(執筆:奥村 取材日:2020年6月11日)
感染症対策データ活用、政府は信頼性の担保を -水谷瑛嗣郎先生-
新型コロナウイルス感染対策により、個人のデータの利活用が各国で進められている。携帯電話の位置情報やスマートフォンのアプリケーションを使用するものなど、利用される情報や規模はさまざまだ。日本でも感染症対策のためアプリの導入が検討されており他人事ではない。メディア法や情報法を専門に研究する水谷瑛嗣郎先生に、こうしたパーソナルデータを利用する感染症対策についての見解を尋ねた。
政府が国民のパーソナルデータを利用して感染症対策を行使するならば、「信頼性の担保が必要」と水谷先生は指摘する。利用されるのが個人情報でなくとも、他の情報と組み合わせれば再識別化(個人の特定)につながる危険性は残る。たとえアプリが任意のものであったとしても、アプリをもとに得たデータを政府が目的外利用する可能性は拭い切れない。こうした漠然とした国民の不安をいかに払拭できるかが最大の課題だ。
この問題は日本に限らない。シンガポールの「トレーストゥギャザー」は、Bluetoothで携帯電話同士の接触情報を記録する感染症対策アプリだ。基本的に感染者の特定は不可能で、通信した端末の記録も暗号化されているが、やはり情報の管理を政府が担うことに問題があるという。日本に限らず国家が情報を管理する場合は、再識別化の可能性の他にも、犯罪捜査など、本来とは別の目的で利用されるのではないか、といった不安は拭い切れない。
とはいえ政府が管理しないとなると、せっかく集まった情報を疫学的な調査に活かすことができない。そこで水谷先生は「バランスが大事。より積極的に感染症対策にデータ利活用をする仕組みを作るからには政府にルールが必要だ。できれば法律が良いが、このような情勢で時間もないため、せめて法律に匹敵するような民主的なコントロールを働かせ、濫用に対するチェック体制を作らなければならない」と語る。政府が正しく情報を運用する仕組みを作り、信頼性を担保し、加えて国民への丁寧な説明ができれば、国民の情報を利活用する感染症対策も広めることができるはずだ。
近い将来、新型コロナウイルス感染対策のためにこうしたアプリを使う機会がやってくるかもしれない(注:2020年6月19日、新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAが運用開始)。感染を防ぎ、また自分自身のプライバシーを守るためにも、当事者として政府の動きを注視する必要がある。
(執筆:横山 取材日:2020年5月29日)
密にかかわる音楽の形態とこれから -小川博司先生-
新型コロナウイルスの影響によって音楽業界は大きな打撃を受けている。特にライブやコンサートは、集団感染を引き起こす可能性が高い「3密」の空間であると指摘され、公演できない状況だ。
「音への欲望が、『密』を作り出しているのではないか」。社会学的観点からポピュラー音楽を研究する小川博司先生はこう語る。18世紀後半、ヨーロッパでは徐々に一般市民が誰でもコンサートを聴くことができるようになった。当初は、教会や既存の大型建築物や屋外が演奏会場として利用され、人びとが厳密に音楽空間を意識していなかった。この時代の音楽は、今よりもっと自由だったという。
その後、コンサートがより大規模になり、興行的な成功が見込めるようになると、より多くの観客に高品質な音を届けるため、コンサートホールが建設されていった。音をより響かせるため、より美しく聴くために、外の音を遮断して純粋な音響空間を作ったのである。音楽空間は人の欲望によって、より密になっていったことがわかる。
さらに20世紀になり、電気音響機器が使われるようになると、音楽の密室化はより徹底されるようになった。現在3密として問題になっているライブハウス、クラブ、カラオケボックスでは、電気音響機器が欠かせない。
ライブやコンサートを開催することができない昨今、これらの文化を守るために支援する方法を探ることはもちろん大切だ。しかし、「なぜ音楽が3密と密接な関係があるか」という疑問を立ち止まって考えなければいけないと小川先生は語る。「『音楽を聴くためには密な空間でなければいけない』という認識をもう一度問いなおせば、今とは違う、密ではない音楽の在り方を模索していくことにつながる」。
これまで閉鎖空間で行われてきたライブやコンサート。今後、人々の認識が変わることによってもっと開放的なコンテンツとして新しく生まれ変わるのかもしれない。
(執筆:土居 取材日:2020年6月6日)