女子バスケの試合で目が覚めた。時代は確実に変わっている。

東京オリンピック開催には反対だが、今回の日本女子バスケの活躍には涙がうるうるしている。初の決勝進出とかそういうことではない。そのプレイのすごさに圧倒されている。町田のドリブルや体のキレ、男子顔負けの身体能力の高さ。宮沢の3ポイント、みんなよく動く。バスケ的な体の使い方は世界ランクでは上のフランスチームを上回っているように見えた。
私は中学高校とバスケをやっていたが、近年はほとんどバスケの世界に注目していなかった。しかしその間に、日本バスケはがらりと変わっていたのだ。背の高いセンタープレイヤーがポストプレイを行うスタイルは今は昔。センターも外から3ポイントも打つし、5人が本当に動く動く、走る走る。フォーメーションがフォーメーションに見えないくらいスピーディだ。そもそも世界に出れば、小さな体の日本のチームは動いてこそだが、こうした全員が動くプレイは日本だけではなく、NBAでもトレンドらしい。


バスケをやる人間なら誰しもNBAのスーパープレイに憧れるが、普通は「私たちにあんなの無理」って思う。彼女たちは、体力的に劣る女性であるにもかかわらず、「ちょっとやってみる?」って真似してるうちに、そのプレイの「エッセンス」を身につけたにちがいない。ものおじせず、素直にバスケを愛する姿勢が今の若者らしい。身体能力を様々な形で生かし切るバスケットボールというスポーツの本質をやっと日本人も理解し始めていると感じた試合だった。


もう一つ、彼女たちには一昔前の五輪代表にありがちだった、国民の期待に押し潰されそうな悲壮な感じは微塵もない。
テレビ中継の解説者が「・・・戦ってくれました」というのを耳にしては、いつも「くれましたって、誰のためにやねん」とツッコミを入れている私だが、女子バスケチームはそんな「くれましたマインド」などどこ吹く風。何に怯えるでもなく、自分がこれまでやってきたことを確認するかのように、全力を出し切って、勝つ。気持ちいい。時代は変わったなと思う。
そして、「根性」とか「気負い」とか「怯え」とかそういうフィルターのかかっていない彼女らのピュアなプレイは、一つの籠にボールを入れるという競技が持っている本来の魅力を浮き上がらせた。


一瞬の間に精神を集中させて打つ3ポイントは刹那な瞑想。
究極の禅ではないか。敵を避けながらジャンプした、その短い対空時間の間に、空中でバランスをとりながら籠を狙う。たった0.5秒が永遠になる。敵のディフェンスはいるけれど、攻略すべきは彼らではなく、その向こうにある籠である。頼るべきは自らの身体能力であり、集中力であり、集中できた時、目の前の敵はフェイクに引っかかり、スクリーンプレイに阻まれ、自分から消えていく。


バレーボールにしても、卓球にしても、テニスにしても、相手に向けてスピードのあるボールを打ち付ける。サッカーやハンドボールにしても、キーパーがいて、スピードボールを投げつけ(蹴り付け)る。しかし、バスケットボールの場合、相手はただの壁だ。身体能力を駆使してその壁を欺き、一瞬その壁が「消えた」瞬間に無になって籠を狙う。その瞬間はもう自分だけの世界だ。


また、シュートの瞬間、ショットの瞬間に力を爆発させる他競技とは逆で、シュートの瞬間に瞑想状態になるかのようにもっとも力を抜かねばならないのがバスケットだ。特に放射状に籠に吸い込まれていく3ポイントシュートを打つ選手の姿は修行僧のようですらある。
私は中高時代、力が入りすぎて肝心なところで簡単なシュートを落とすことがあった。それはバスケというスポーツの本質を身につけていなかったからだと思う。


ところで、
バスケの世界では、近年、八村塁が出たり、女子のナショナルチームが世界ランクを上げたり、躍進甚だしい。ほんの7年ほど前には、協会の二重リーグ問題で国際大会出場を禁じられ、その後には選手の不祥事も重なり、東京五輪の開催国枠さえ一時は危ぶまれていた。なのに、この躍進である。バスケ界に何がおこったのだろう・・。そう思って、ググって納得した。長くなるので、この続きは後編に。。。

ただいまお手上げ状態脱出画策中。経済、乳がん、住宅ローン、とりあえず、お金を稼いでゆったり暮らせる状態を作るのが目標。乳がんは特に症状はなく、金欠だし、標準治療してないのですが元気です。