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ライターの可能性を諦めない集団:CORECOLORというウェブメディア

かつて、取材して記事を書くためには音源の「文字起こし」という作業が必要だった。インタビュー中の録音を聞き直して、文字で書き起こす。この文字起こし原稿がないと、複雑で長い記事は書けない。正確に起こそうと思えば1時間の音源で6時間くらいかかる。大変な作業だから、お金を払って外注することもあった。

でも今はAIソフトに放り込めば数分もかからずに、文字になる。不正確なところはあるけれど、どこでどの話題を話しているのかはわかるので、正確に聞きたいところだけピンポイントで聞き直せば、記事は書ける。

というわけで、わたしの中で音源起こしという仕事は、消えてしまった。

そんなふうに、いつかライターの仕事も消えていくとわたしは思っている。文章として出力するところはAIがやるか、もしくは文章自体が読まれなくなる。文章として出力するだけの仕事をしている人は、仕事を失うと思う。

でも、何をどう企画してどんなふうに考えて情報をどうやって集めてどんなふうに構成してどう届けるか、という文章として出力する前段階の作戦を立てて遂行する能力は、もう少し寿命が長いと思う。それができるライターは、動画のシナリオを作ったり、プロジェクトを企画したり、広報のプランを立てたりと、違う出力方法の現場で役に立てると思う。

ライターの未来悲観派なわたしは、友人のベテランライターのさとゆみさんの、ライターの可能性を信じ切った超楽観的な活動に、いつもおののいている。自分がガシガシ書くだけでなく、続々とライターたちを育て、育てたライターたちが書いて成長できる場を自分で作りだし、編集をし、毎日コラムを書き、「だって楽しいんだもん!」ってキラッキラの一点の曇りなき笑みで言い切るのである。ひいい。化け物か。いや、神なのか? どんだけ熱量注いでんねん! なんでよ! なぜそこまでできるのか。

さとゆみさんがすべて編集し、育てたライターたちの活躍する場が、ウェブメディア CORECOLOR(コレカラ)である。CORECOLORは、わたしにとって、何とも不気味で恐ろしい場なのですよ。電源つながっていないのに動いている永久機関のような、謎のエネルギーに満ちている。世の物理法則(というか経済法則?)に反した生命体なのである。

平たく言うと、わたしの「常識」をぶっ壊すメディアなのだ。常識を壊されることは恐ろしい。足場がぐらぐらする。でも割れた地面から希望がにょきにょき生えてくる。さとゆみさんを見ていると、わたしの常識ってつまらないなあと思えてくる。あれ? 別にこの考えが「常」じゃなくてもよくない? 他にもあるんじゃない? という気になってくる。

CORECOLORが今クラウドファンディングをしている(あと3日)。リターンがもう笑ってしまう。才能豊かなCORECOLORメンバーが、ものすごくお得な価格設定で、持っている技を提供している。

さとゆみさんが毎日書いているコラムを集めたZINEのリターンも、こだわりすぎて元値がかかりすぎて、むしろ赤字かも…って。もう。愛しか伝わらない。

しかしですよ。敢えて心を塩対応モードにして、わたしは考えるのです。もう目標金額は達成しているけれど、さとゆみさんのことをまったく知らない、つまりライターという仕事が何かも知らない人にも、CORECOLORをもっと応援してもらいたい。そのためにはどうすればいいか。

ここでしか読めない記事がある、というのでは弱い。記事が読めるかどうかなんて、一般の人はそんなに優先順位が高くない。

CORECOLORって何なのだろう。なぜ応援したほうがいいのだろう。

まだ何者になるのかはわからないけれど、存在していてほしい、この感覚を言語化したい。何かの萌芽になりそうな気がする。ただのメディアとは違う。独特の気概がある。そして、ここで鍛えられた人たちがライターの未来を変えてくれそうな気がする。緒方洪庵の開いた適塾のような。松下村塾みたいな。ときわ荘みたいな。『青踏』のような。

CORECOLORはライターの可能性を諦めない集団なんだ、と思った。人間の書き手にしかできないことが何か。その答えがメンバーの数だけ生みだされていく。10年後、20年後、CORECOLORがあってよかったと思うのはライター業に携わる人だけじゃないと思う。

書くことを、わたしたち人間は手放してはいけないと思う。書くことで自分も変わる。書くことを教えたら、教わった誰かも変わる。書くことの力を信じて書き続ける人たちが集まれば世の中も変えられる。

さとゆみさんが「楽しい」と思っているのは、そういうことなんじゃないかなあと仮説をたてて、明日(というかもう今日ですが)、15日21時半からスペースでさとゆみさんにインタビューします。スペースのタイトルは、

書くことで「わたし」と「あなた」と「世界」が変わる――さとゆみさんがメディアを作ってわかったこと

いやはやちゃんとできるかしら。前回、朗読ライブしたときはトラブルまみれだったよ。もしよかったらグダグダ朗読ライブの録音も耳がお暇だったら聞いてみてね。こちら

あ、そうだ!今日の京都新聞の「私の京都新聞評」というコーナーの記事を書いています。半年間、月1で担当します。社説の下にどどーんとあってびっくりした。ウェブには載っていないので。また転載の許可をもらえたらHPに掲載します。京都新聞を取っている人は、これから半年、よろしくお願いします。



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