#BFC4 ありがとうございました。Aグループ作品の感想と、各ジャッジ評の感想
ブンゲイファイトクラブという原稿用紙6枚のブンゲイ作品で戦うイベントに参加していました。ファイターとしては予選落ち(作品こちら)、ジャッジは応募者全員通過ということで、ジャッジで1回戦に参加しました。
選りすぐりの作品たちを、何らかの基準でジャッジして、勝ち抜けを1人選ぶ。そしてファイターはジャッジをジャッジして、ジャッジの勝ち抜けを選ぶ。そんなイベントです。
現在2回戦が進行中。わたしは2回戦ジャッジには選ばれなかったので、ここで観客席に戻ったわけですが、去年も参加して、作品の感想を書くとか言いながら結局やらなかったので、今年こそ、勢いに任せて書いてしまおうと思いました。とりあえずAグループだけ。というのも、Aグループの作者にはジャッジ評という失礼極まりない言葉しか届けていないので、ジャッジ台から降りて、もう一回読んで感想を書いてみたい。どの作品も読めて本当によかった。ありがとうございました。あと蛇足ながら、他のジャッジへの感想も書いてみたい。
言及している作品はこちらから読めます。
ジャッジ評はこちらから読めます。
表現者たちへの敬意を全力でこめて、敬称略です。わたしもいつか寒竹泉美って呼び捨てられたい!
Aグループ作品の感想
『ファクトリー・リセット』古川桃流
この作品、読み始めた瞬間に、物語の世界に入れてしまう。ノータイムでヒュンって飛ばされる。しかも画面越しに見ているのではなく、その場にいる体感がある。
世界観を表すのに何を書くかの選択が絶妙。洗濯カゴから濡れたズボンを取り出しながらオカンに返事する僕。そこから始めるのか、と感心した。むわっとした匂い、重さ、腰をかがめる筋肉の感覚。僕の視線で部屋の大きさも伝わってくる。台所の小窓から見える夕焼け。SFなのに、肉体感覚が伝わってくる小説なのが面白かった。ジャッジで指摘したことは、この五感の解像度の高さゆえだったと思う。最後にオカンをリセットする切ない物語だと読んだから、オカンに対してスマートスピーカー扱いしているのが気になった。
でも今、別の読み方も思いついた。オカンに対してもアリスに対しても、「僕」が圧倒的に冷たいのは、作者が隠し事をしているからではなく、もう僕が彼女たちのことをあきらめているからなのではないだろうか。彼女らは所詮モノである。彼女らがリセットされようがされまいが、もう僕はすでにひとりきりである。そのことをようやく認めようとしている物語なのではないか。そうだとしたら、僕はこのあとアリスもファクトリー・リセットするだろう。僕はひとりで生身の体で生き続ける。生き生きとした僕の体感の描写が、僕が生きることをあきらめていないことを証明しているから。
(後者だったら、的外れなジャッジだったわけです。思い切り振り抜いたら空振りもするよね)
『小僧の死神』日比野心労
主人公の少年の洋太は学校を飛び出すと家までの道を走り続ける。おしっこが漏れそうなわけでもないし、急いでどこかに行こうとしているわけではない。何かに「追いつかれてしまう」から走り続ける。洋太を見守るクラスメイトや近所の人たちは、平和な日常そのものだ。洋太をほほえましく見送っている。洋太だけが焦っている。
彼が何に追われているのかは全く見えない。ただ、ただ、この洋太の内に湧く切実な緊迫感だけが伝わってくる。子どもは勝手にルールを決めて遊んだりするが(白線だけをたどって帰るとか)、そういうのとは一線を画した、ちょっと怖くなるような感じ。でも決してホラーではない。作者は、読者をどこにも落ち着かせず、洋太を走らせ続ける。わたしは洋太から目が離せなかった。そこには、何か隠し事をされて、最後まで読んだら謎がわかるから続きはCMのあとで、みたいないやらしさが微塵もなかった。少年の洋太と同じように、作者は愚直に、無邪気に、ただただ、書くべきものに向かって書いていた。わたしは何も期待せず、追いかけた。その過程が楽しかった。あまりに楽しかったので、作者がサービス精神を発揮して差し入れをくれたような気がした部分をジャッジで減点してしまった。ごめん。
洋太は、自分を追いかける何かに気づいたのに、逃げることができていたのに、家に帰ったとたん日常に取り込まれた。きっともうこの感覚を忘れてしまうだろう。次に思い出すのは死がぱっくりと目の前で口を開けていて戻れない瞬間だろう。わたしだってそうだ。そんなのは嫌だな。わたしはまた忘れるから、ときどきこの小説を読んで、洋太が追われていたものを思い出して、心臓をばくばくさせて走りたい。そうして、いつかこんな、無我夢中な小説が書けたらいいな、と思った。
『柱のきず』藤崎ほつま
初読の感想は「なんか人間関係とかよくわからないけど、とにかく雰囲気が好き!」である。これがわたしにとっての、この作品に対する一番まっとうな読み方、距離感だと思った。
『ミジンコをミンジコと言い探すM』草野理恵子
なんじゃこりゃ、どうやって読むの? というのが初読の感想だった。変なタイトルだし、変な文章だし。でも指折り数えてみて、タイトルらしきものは短歌だとわかったら、読むのがとたんに楽しくなった。
わたしは短歌を詠むことができない。論理を飛躍させられない。言葉を化学反応させられない。空を飛べない。地べたを歩くことしかできない。だから、短歌に憧れる。自分は詠めないけど、いつか、誰かの作った短歌を題材に小説を書いてみたいと思っていた。けど、できなかった。
で、この作品に出会って、あ、そっか、短歌とコラボする物語は、こういう文章なんだなと思った。
詩はいつも乗り切れず地に滑り落ちてしまうし、短歌は何首もあると頭が忙しすぎてついていけなくなる。だけど、この作品はひゅーんっと宙を舞ったあとは、すとんと受け止めてくれる絶妙な親切設計で、運動神経の悪いわたしでも、充分な時間を遊ばせてくれて、心底楽しいなあと思った。
『現着』池谷和浩
「私」という女性の語り手がどんな人なのかと聞かれたら説明できない。特殊能力や変わった性格や悲惨な過去があるわけでもない。平凡な普通の人だ。でも確かに存在していると感じる。書いている人は、男の人なんだよなと何度も作者名を確認した。性別を名前で判断できるわけじゃないし、異性だから書けないというわけじゃないけれど、物語の「私」と作者が別人であることを確かめたくなるくらい、力の抜けた自然な生々しさがあった。こわいくらい。
無政府家政婦という仕事をしていたり、何だか時間がずれた相手と会話していたり、いろいろあるんだけども、こんな「私」を書けさえすれば、何を書いても面白いじゃないかと思った。たかいこ、ひくいこという呼び名が好きだった。
『タートル・トーク』野本泰地
1点つけて、一番ひどい読みをしたこの作品を、はたしてそれでよかったのか、ずっと気になっていた。
この作品の魅力は声が聞こえてくる文章だと思った。でも普通の小説とは違う書かれ方をしている。語り手は自分を少しも描写しないので、この文章を読んでも語り手の肉体が出現しない。朗読劇の脚本みたいだと思った。たぶん役者が生身の肉体でもって朗読するとすごく映える。脳内で肉体を補完すると読みやすくなった。小説のあるべき姿とは何かということを考えていたジャッジの頭では、ちゃんと入れなかった。ごめんなさい。
結婚式出席で疎外感、あるあるだ。ヨシノは付き合っている人がいたから結婚式を見てみたいと思っていたのに、結婚式直前でふられてしまって、そりゃ災難だよね、何のためにいるのかわからないよね。影の薄い主人公は「外交辞令」という独特の言い回しや、「ピラカンサ」という植物名をさらりと出してくる。ヨシノの家に行ったことはあるらしい。『酒は口より入り、恋は目より入る』って何だろう。そんな亀の話を聞かされても全く動揺しない。慣れているんだろうか。盛大にこけたヨシノのことも冷静に眺めている。どうしたいんだろう。語り手は最初から最後まで何も感じていないように見える。笑う話なのか、意味深な話なのか、もしかしてこれ青春ものなのか。ごめんなさい、わかりませんでした(土下座)。
ジャッジ評の感想
鞍馬アリス の ジャッジの感想
作品が自分の中でどのように奏でられてどのような音が鳴ったかを華やかに聞かせてくれるジャッジ評。吟遊詩人のようなジャッジ。わたしがいつか小説家として宮殿を建てたら、黄金を積み上げて宮廷吟遊詩人としてお抱えしたい。毎日耳元でわたしの作品評を歌ってほしい。
糖屋糖丞 の ジャッジの感想
作品を読み解いて語る文章が、こんなにも美しく切なく甘いなんて。丁寧で、言葉選びも、作品への寄り添いも、どうしてここまでできるのか。わたしなんて、人生3回くらいやり直しても無理だと思った。愛、しかない。わたしが小説家として文庫化されるくらいにベストセラー作家になったら、文庫の解説書いてほしい…。(単行本は解説ってないよね…)
サクラクロニクル の ジャッジの感想
BFCの派生企画であるイグBFC3を追ってない人には何のことかわからないと思うけれど、サクラクロニクルは「イグナイトファングマン」というキャラで作品を切っていくことにした。閉鎖的な文学界隈の外にいる大衆の代弁者として、彼らと文学を繋ぐ試みのために大刀を振るう。けれど切られた人に少しも傷を残したくない。きっと、ただ、それだけのために、ここまで大がかりに仕込んだのだと思う。愛。わたしも切られたいし、他にも切られたい人が続出するのではないか。そんなことになったら、真面目なサクラクロニクルは胃に穴あいちゃうね。
冬木草華 の ジャッジの感想
勝ち抜けジャッジさんです。解像度が高い。言葉の精度も高い。作者より作品のことがわかっているのではないかと思うような文章に、ただただ、感動する。こんなふうに読み解いてもらう価値のある作品を、わたしはまだまだ全然書けないと思った。いつか、どこかの舞台で、読みといてもらう作品をたずさえて出会いたい。
紅坂紫 の ジャッジの感想
批評という文芸だと思った。躍動する解説。夢中で読んだ。同じ作品を読んだはずなのに、文章を追いながら、新しい体験をした感じがした。「既存の文芸を跳躍しうるか」というジャッジをするためには、ジャッジはファイターの後を追って軽々と跳躍する力をもっていなくてはいけないのだなと思った。紅坂紫の文章を他にもいろいろ読みたくなった。もう、それだけ。
以上です。読んでいただき、ありがとうございました。楽しくジャッジするという抱負はかなえられました。楽しかったです。